朝刊小説 平野啓一郎著『本 心』 〈来栖の独白〉 2019.10.3

2019-10-03 | 日録

〈来栖の独白2019.10.3 Thu〉
 本日で27回目とあるが、すっかり私の生活の一部となってしまい、連載が始まってまだひと月ほどとは思えない。平野啓一郎さんの朝刊小説『本心』である。さほど期待したわけでもなく、「VF(ヴァーチャル・フィギュア)」などという言葉も出てくるので縁遠い連載だろうと思いながら、習慣で読んでいた。
 が、とんでもない。主人公は母親のVF(ヴァーチャル・フィギュア)を作ろうと業者に依頼するのである。私が本腰を入れて読むようになったのはVFのせいではなく、綿々と綴られる主人公の「亡き母に対する思い」によってである。
 私自身は2年余り前に母を亡くしている。2017年2月24日のことだった。生前、私は母について考える、思いを巡らすなどということは、碌にしなかった。親子なのに性格もずいぶん違っていた。我儘で気難しい私だったが、母は常に変わらず私を肯定し応援してくれた。一度として否定することはなかった。私はそんな母を振り返ることをしなかった。
 母がいなくなってから、母のことが思われてならない。愛おしまれてならない。ふと気が付けば、母について考えている。「会いたい」「話したい」と思う。「死んだ人のことをいつまで思っていても・・・」などと云う人もいるが、母の人生、母の「思い」を考えずにはいられない。後ろ向きになっているのではない。「人間」、「人生」を、考えることだ。

        


 以下は本日の『本心』<27>から、僅かな抜き書きである。

本心<27>
  母に対しては、幾つもの後悔がある。そのうちの一つは、VF(ヴァーチャル・フィギュア)によっても決して満たされない。
 (略)
 母が唐突に、安楽死を願うようになった理由は、ライフログを虱潰しに読むことで判明するのかもしれない。
 (略)
 母の何もかもを知りたい、というわけではない。
 母が敢て僕に秘していたことには、それなりの理由があるだろう。あれほどまでに僕を愛し、僕が愛した母。----その思い出を、変質させてしまうことを、僕は恐れた。


AI時代の人間を問う 朝刊小説『本 心』  平野啓一郎さんに聞く 2019/9/6 


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