核燃料プール 数年で満杯 6割が運転不可に
中日〈東京〉新聞2012年9月4日 07時03分
全国の原発五十基のうち約六割の三十三基が、数年間稼働させれば使用済み核燃料プールが満杯になり、動かせなくなることが、各電力会社への取材で分かった。新たに中間貯蔵施設を造るには十年はかかり、使用済み核燃料を再処理しても、核のごみは減らず、再生される混合酸化物燃料(MOX燃料)は使う計画がない。原発の抱える深刻な問題がはっきりした。
本紙は、原発を保有する九つの電力会社と日本原子力発電(原電)に、各原発のプールの空き容量のほか、一年(通常、原発の定期検査の間隔は十三カ月)ごとの核燃料交換の実績値を取材。そのデータから、各プールがあと何年で満杯になるかを計算した。
これまでプールの空き容量は三割強あり、当面は何とかなるとされてきたが、個別に見ると状況はもっと厳しかった。
東京電力の福島第一5、6号機(福島県)や柏崎刈羽6、7号機(新潟県)は既にほぼ満杯。同社と原電は共同出資して青森県むつ市に中間貯蔵施設を建設中だが、まだ完成していない。仮に完成しても、六年ほどでいっぱいになる。
中部電力浜岡3、4号機(静岡県)、関西電力美浜1、2号機、大飯1、2号機、高浜1、2号機(いずれも福井県)などは一~三年分の空き容量しかない。新しい号機のプールは比較的余裕があるものの、ほかの号機の使用済み核燃料を受け入れると五年前後で満杯になってしまう状況だった。
東電と原電以外は、再処理工場(青森県六ケ所村)の貯蔵プールを活用したいところだが、既に97%以上が埋まっている。中間貯蔵施設を新設することも考えられるが、むつ市の事例も計画からほぼ完成まで十二年を要しており、とても各原発の厳しい状況には間に合わない。
十二年分以上の残り容量があるのは、北海道電力泊3号機(北海道)、四国電力伊方3号機(愛媛県)、九州電力川内1号機(鹿児島県)の三基だけだった。
<使用済み核燃料> 原発は定期検査ごとに原子炉内の核燃料をすべて取り出し、4分の1から3分の1程度を交換し、再び炉に戻される。交換作業が問題なく進むよう、使用済み核燃料プールには1炉心分強の空きスペースが必要とされる。使用済み核燃料といっても長期間、放射線と熱を発し続けるため、貯蔵プールでの継続的な冷却が欠かせない。
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◆ 核燃基地六ケ所村 / 核のごみ プール満杯 / 各地から2860㌧ 稼働は停止 2012-02-28 | 原発/政治
核のごみ プール満杯 核燃基地六ケ所村
各地から2860㌧ 稼働は停止
中日新聞《 特 報 》 2012/2/28 Tue.
日本原燃(青森県六ケ所村)の使用済み核燃料再処理工場内には巨大な貯蔵プールがある。全国の原発で燃やし終えた核燃料の受け入れは、昨年8月末を最後に中断している。再処理で出る高レベル放射性廃液にガラスを混ぜて固める機械が稼働していないためだ。原発を稼働させる限り核燃料は増え続けるが、その行き場となる現場を見て、課題に迫った。(上田千秋)
核燃料サイクル基地の一角にある再処理工場。2階の廊下から、
厚い窓越しに使用済み核燃料(以下、核燃料)貯蔵プールが見える。照明の関係でやや青みがかった水面に目を凝らすと、格子状のラックの中に整然と並べられた核燃料が肉眼で確認できた。
■防護服なし
プール周辺で作業するのは、高い放射線から身を守るために防護服を着た人ばかりかと思いきや、ほとんどは作業服姿。マスクもしていない。核燃料を移動させる機械の点検をする人だけが、防護服に身を包んでいた。
通常、1メートルの幅の水があれば放射線を遮れるとされるが、プールでは核燃料の上端から水面まで8メートルもある。日本原燃の赤坂猛広報部長(57)は「作業時に水がかかることも考えられないが、念には念を入れて防護服を着させている」と話す。
プールは1999年12月に使用が始まった。横24㍍、縦11㍍、深さ12㍍の大きさで3つあり、受け入れ能力は計3千㌧。各原発から運ばれてきた約2860㌧の核燃料が貯蔵され、ほぼ満杯だ。
長さ4㍍余の核燃料棒を束ねた集合体で11,626体ある。昨年8月29日、高浜(福井県高浜町)、玄海(佐賀県玄海町)両原発から計25㌧が搬入された以降は受け入れていない。
現在、水温は30度に維持され、原発のプールと合わせて4年以上冷やすことで放射能は数百分の一になるという。
東日本大震災が起きた昨年3月11日。施設は海岸から5㌔離れた高台にあり、津波の影響はなかった。だが停電により電源を喪失し、非常用発電機に切り替えて、プールの冷却水循環ポンプを作動させて乗り切った。
仮に長期間電源が失われたとしても、「原発と違って核燃料の温度はかなり下がっており、100日ほどたってようやく燃料の上部が水面から出る程度」(日本原燃)。
このプールから核燃料再処理は始まる。
最初の工程は、厚いコンクリートに囲まれた部屋で核燃料棒を3~4㌢の小片にせん断し、溶解槽に入れて硝酸で溶かす。「せん断は歯、溶解槽は胃袋のようなもの」と赤坂部長。
燃料を覆う管状の金属片とかすを除去し、セシウムなどを含む核分裂生成物、ウラン、プルトニウムを分離する。核分裂生成物などは高レベル廃液となり、ガラスと混ぜたガラス固化体となるが最終試験は中断した。
続いてウランとプルトニウムから硝酸を取り除くなどすると、粉末状のウラン酸化物製品と、プルサーマル発電で使われるウラン・プルトニウム混合酸化物製品(MOX燃料のもと)が出来上がる。中断以前の過去の試験では、ウラン酸化物製品357㌧と、ウラン・プルトニウム混合酸化物製品6・7㌧を製造している。
■再処理中止なら村外へ
核燃基地では、MOX燃料工場を建設中だが、大震災後中断し、春の再開を目指す。完成予定の2016年3月までは、取り出したウラン・プルトニウム混合酸化物製品に使い道はない。原発で使用するには、さらに加工が必要となるためだ。
現在、玄海原発3号機や伊方原発3号機(愛媛県伊方町)などで使っているMOX燃料は海外で作られている。
プルサーマル発電とはプルトニウムをサーマルリアクター(軽水炉)で利用することだ。水素爆発した福島第一原発3号機でも一昨年から始まっていた。今回の事故で半減期が2万4千年のプルトニウム239などが周辺で検出されたが、赤坂部長は「一般の原発でも発電量の3分の1は燃えるウランが変化したプルトニウムによるもの。プルサーマルがとくに危険とは言えない」と語る。
1966年に茨城県東海村で原発の運転が始まって以来、これまでに国内で出た核燃料の総量は2万千㌧以上。うち英国とフランスに委託して計約7100㌧、東海村の施設で約1140㌧を再処理。六ケ所村の工場でも2006年から09年にかけて試験的に約425㌧が再処理された。各原発でも計約1万4千㌧を貯蔵する。
東海村の施設は日本原子力研究開発機構が開発し運営する。1977年7月に初めて核燃料が運び込まれ、81年1月から本格稼働した。年間210㌧の処理能力を持つものの、2007年5月以降、「耐震補強工事のため運転を休止し、再開のめどは立っていない」(広報部)状況だ。
六ケ所村に核燃料が運ばれてくるのは月に1、2回。専用輸送船が各原発近くの港を回り、むつ小川原港に荷揚げする。英仏で再処理された後にできたガラス固化体を積んだ船も同港を利用し、ともに専用道を通って工場内に運び込まれる。
また、国内の原発が通常稼働した場合、1年間に出る核燃料は900~1000トン。一方、六ケ所村の再処理工場の処理能力は、本格稼働したとしても800㌧で、ガラス固化体で1000本分。同工場に入りきらない多くの分は、各原発のプールに留め置かれることになる。
こうした中で福島の原発事故は起きた。原発政策とともに核燃料サイクル事業も議論されるが、仮に大幅な見直しとなったときに核燃料をどうするのかという問題が浮上する。1998年、青森県と六ケ所村、日本原燃が電気事業連合会(電事連)立ち会いのもとに交わした覚書では、再処理事業が実施できないときは、核燃料は同村から運び出すと定められている。
同県原子力立地対策課では「村内に置いておくことは許されない。核燃料が最初に運び込まれる前の段階から決まっていたこと」と主張する。
ただ、どの原発もプールにそれほど余裕はない。おおむね4年で交換する核燃料は増え続け、電事連の調べでは、貯蔵能力に対する使用率は半数以上の原発が60%超。3年程度でいっぱいになる原発も少なくない。
赤坂部長は「覚書で六ケ所に残すことはできないし、各原発に戻すことも簡単ではないだろう。再処理をしないと、半減期が長いプルトニウムを取り出さないまま最終処分することになる。核燃料サイクルを見直すというのなら、そういったことまで踏まえて議論をしてほしい」と話した。
<デスクメモ> 再処理工場から約5㌔の太平洋に面したむつ小川原港。巨大なクレーン施設がひときわ目を引く。核のごみなどが専用船で搬入されるたびに反対派と機動隊がにらみ合った。その攻防も2001年、一般人が入れない高架の専用道が完成して終わった。非暴力直接行動は今、霞が関を舞台に続いている。(呂)
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◆ 新党「脱原発」で厳しい立場=横山北斗・中野渡詔子・平山幸司議員/【国民の多数意見 第一】中日新聞・核心 2012-07-12 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
小沢新党「脱原発」で厳しい立場…中野渡氏
2012年7月12日 読売新聞 青森
民主党を除籍(除名)された小沢一郎元代表は11日の新党「国民の生活が第一」の結党大会で、脱原発を新党の旗印にする方針を明らかにした。原発に加え核燃サイクル施設も立地する本県から新党に参加した横山北斗、中野渡詔子両衆院議員と平山幸司参院議員は難しい対応を迫られそうだ。
小沢氏は大会後の記者会見で、「高レベル廃棄物がどんどんたまるので、原発を推進するのは不可能。できるだけ早く新エネルギーへの転換をしていくのが大事」と明言。ただ、原発所在地への対策は必要とした。
最も厳しい立場となるのが、原子力施設が集中する下北半島を選挙区とする中野渡氏。この日、都内の議員会館で開いた会見で「小沢先生に直談判し、原子力を止めるのは現実的に難しいという話はした。(新党の)政策担当から、100%応えられるかは別として小沢先生も考えてくれているということだった」と苦しい胸の内を明かした。
横山氏も議員会館で会見を開き、原発がゼロとなる時期を明示して、それまでは必要な原発を維持する考えを示した。原発がなくても再生可能エネルギーを普及させることで「県経済を活性化できる」と訴えた。
平山氏は大会後、「新エネルギー政策を発信し、創造していく必要がある。『計画的脱原発依存』という考え方を進めていきたい」と小沢氏に賛同した。
新党で横山氏は政策担当、中野渡、平山両氏は広報担当となることが決まった。県連組織については党の方針が固まってから検討するという。
一方、民主党県連代表の田名部匡代衆院議員は新党結成に関し、「他の党がどうかではなく、私たちの党をしっかりまとめ上げるということだし、政策を一つ一つ実現すること以外に特にない」と記者団に話した。(2012年7月12日 読売新聞)
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◆核燃基地六ケ所村 巨額マネー 村を一変/原子力半島 本州最北端の大間 「原発をやめるなら黙っちゃいねぇ」 2012-03-07 | 地震/原発/政治
巨額マネー 村を一変 豪華施設・全戸TV電話 核燃基地六ケ所村
中日新聞 《特 報》 2012/3/6Tue.
使用済み核燃料の再処理など核燃料サイクル事業施設が集中立地する青森県六ケ所村。過疎で貧しかった村の暮らしを一変させたのが、施設と引き換えに流れ込んだ巨額の「核燃マネー」だった。だが、福島の原発事故後には核燃料サイクル事業の見直しが議論に。経済と雇用を頼る村民はその行方を不安げに見守る。今年は雪も多い。春まだ遠い「核燃城下町」を歩いた。(小倉貞俊)
電源立地地域対策交付金などの「核燃マネー」の象徴といえる存在が、村役場に近い尾駮(おぶち)沼北側にある「尾駮レイクタウン」だ。核燃施設に関連した事業所などが立地する。核燃料サイクル施設を運営する日本原燃の社員寮には、全社員約2400人のうち約1000人が住む。
中学校や幼稚園、診療所も。建設費33億円をかけた村の文化交流施設「スワニー」は、国内有数の音響設備のコンサートホールを備え、図書館も併設する。
「昔と比べ、随分便利になりました」。大型ショッピングモール「リーブ」で買い物をしていた主婦木村たえさん(72)は、感慨にふける。「村には商店街がなくて、みんな数十㌔も離れた隣町まで買い出しに行ったものです」
リーブには格安の「村営」学習塾もある。運営する第三セクター「六ケ所地域振興開発」の業務課長秋戸学大(さとひろ)さん(41)は「村の発展も核燃施設があってこそです」と話す。
村の鷹架(たかほこ)地区には、温泉施設「ろっかぽっか」がある。地下2千㍍で掘り当てた湯が売りで、レストランや宴会場がある憩いの場。70歳以上の村民は無料で、送迎バスも運行する。日本原燃が建設して村に寄贈した。男性客(60)は「夕方や休日は大にぎわいだよ」と満足げだ。
村の人口は約11300人、約4500世帯。地上デジタル放送への移行に伴い、村は2010年度にテレビ電話を無償で全戸に設置した。
■除雪充実「一番の恩恵」
路上では何度も、大型の除雪車とすれ違った。住民にとって核燃マネーの一番の恩恵は除雪という。「昔は、雪が道さ吹きだまって、しょっちゅう車が走れなくなった」と振り返る。
村は本年度約1億2千万円を計上し、建設業者に除雪作業を委託している。木村英裕財政課長補佐(53)は「昔は村職員が除雪していたが、集落が点在して行き届かなかった。電源交付金のおかげで除雪委託費を出せるようになった」と話す。
長芋焼酎「六趣(ろくしゅ)」の製造。これも六ケ所地域振興開発が運営する。冷害に強い長芋は特産品。約20年前、日本原燃に出向中の九州電力社員が、山積みに捨てられていた形の悪い長芋を見て「焼酎に利用したら」と発案した。工場で働く荒谷直人さん(31)は「村内での販売が中心のため『幻の焼酎』と人気が出ています」と胸を張った。
福島事故 原燃依存に影
六ケ所村はその名の通り1889(明治22)年、小川原湖以北の6つの集落が集まってできた。入植者が原野を開拓したが、夏は北東や東から吹く「ヤマセ」と呼ばれる風で常に冷害に見舞われた。その荒涼とした土地から「シベリア」「満州」と呼ばれたことさえもある寒村だった。
そんな村が「開発」の舞台となるのは、国が1969年に「新全国総合開発計画」を閣議決定してからだ。高度経済成長期、石油コンビナート建設を目指す国家プロジェクト「むつ小川原開発」が動きだす。ところが、70年代の2度の石油危機で計画は頓挫。開発面積は大幅に縮小され、村内に国家石油備蓄基地だけが造られた。
それがなぜ、核燃基地となったのか。
県、国、大手企業など官民で設立したむつ小川原開発会社は、土地買収で巨額の借金を抱え、政治問題化した。84年、各電力会社でつくる電気事業連合会は、核燃料サイクル施設の立地協力を要請。県と村は翌85年、受け入れを決めた。それ以前から核燃基地構想は動いていたが、開発会社(98年に経営破綻)救済の側面もあった。
当時、住民は開発をめぐり、賛成、反対に二分され、激しい闘争が繰り広げられた。受け入れと引き換えに、享受することになったのが潤沢な核燃マネーだった。
施設建設が始まった88年度から2010年度までの電源交付金は、計約300億円。日本原燃から村に入る固定資産税は10年度で57億円と村予算の半分近い。関連企業の固定資産税も入る。
村は県内で唯一の地方交付税の不交付団体。村民一人当たり平均所得は県内トップクラスだ。日本原燃などで働く人たちが買い物などで村に落とす金も大きい。
福島の原発事故後、村の将来に暗雲が立ち込め始めた。政府が核燃料サイクルの見直し論議を始めたためだ。使用済み核燃料の再処理工場も技術的なミスが続いて本格操業には入っていない。
前出の秋戸さんは「財政が厳しくなり『暮らしが変わるのでは』と不安を抱く村民も多い」と話す。木村財政課長補佐も「村施設の委託管理費だけでも、年間3億円以上。交付金がなくなれば、行政サービス自体もレベルを下げざるを得なくなる」と懸念する。
かつて漁民を中心に反対運動が激しかった村北部の泊地区。泊漁港には漁船約60隻が係留され、交付金で造られた豪華な荷さばき施設が建っていた。
漁師の種市信雄さん(77)は「表立って核燃に反対している人はもうほとんどいない」と語る。「海が汚染される」と反対運動を展開した中心人物の一人だ。村長選での反対派候補の敗北や核燃事業の既成化で運動は衰退していった。
種市さんは「核燃の施設はいつかなくなるかもしれないが、そうなってからでは村は立ち行かない。漁業や農業の加工販売やネット販売などを進めて、核燃マネー依存から抜け出さないといけない」と訴える。
■最終処分場に不安視
核燃料サイクルの見直しが進んでも、使用済み核燃料の処理問題は残る。脱原発は「脱六ケ所村」とイコールではない。種市さんは、現実を見据え、もう一つの懸念を口にした。「このまま核廃棄物の最終処分場にされてしまう恐れだってある。六ケ所村は国に翻弄されている。これまでも、これからも」
<デスクメモ> 六ケ所村は古来、馬の産地として知られ、源頼朝の名馬「生食(いけづき)」も生まれたところという。しかし、ヤマセのために稲作には適さず、ジャガイモやゴボウなどが採れるだけ。かつて同じ県内の人間からもやゆされるほど貧しかったという。国と電力会社はそこに付け込んだというのは言い過ぎか。(国)
◆原子力半島 本州最北端の大間 「原発をやめるなら黙っちゃいねぇ」漁師仲間の飲食・タクシー代まで原発持ち2011-08-17 | 地震/原発
原発で波高まる津軽海峡夏景色(上) 「原発をやめるなら黙っちゃいねぇ」川井 龍介 JBpress2011.08.16(火)
◆漁師仲間の飲食・タクシー代まで原発持ち 原発で波高まる津軽海峡夏景色(下)
川井 龍介JBpress2011.08.17(水)
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