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『2006 年報・死刑廃止』特集“光市裁判 なぜテレビは死刑を求めるのか”
「凶悪犯罪」とは何か 光市裁判、木曽川・長良川裁判とメルトダウンする司法
2、光市事件最高裁判決の踏み出したもの 【3】
安田 木曽川・長良川事件の1審判決はかなり杜撰だったけれども、事件をそれなりに見ようとする態度が見られたと思います。というのは、木曽川の事件については殺人罪を認定しなかった。裁判所は、子供たちの曖昧模糊とした意思とバラバラな意思疎通の中で、解決策も歯止めもないまま事態だけがどんどん悪い方向に進行していくという事案の実相をそれなりに見ていたんだろうと思うんです。しかし、それにもかかわらず一人だけを死刑にしたというのは、やっぱりあの被害者の数との関係で、ものすごい政策的な辻褄合わせをしたんだろうと思うんです。ですからあの判決はたいへん中途半端な判決で、それが、高裁につけいるスキを与えてしまったんだと思います。検察官にとっては大変批判しやすかったんだと思うんです。
高裁は、それぞれの子供たちが細胞としては別々かも知れないけれど、3つ、4つ集まってからまると1つの生物となるとでも考えたのか、3人をまとめて故意を認定し、それをテコに3人を死刑にしてしまうという、ものすごく荒っぽいことをしてしまいました。あの判決のどこを読んだって、法適用の厳粛さ、つまり3人に死刑を適用しなければならない必然性は出てこない。もちろん、熟慮の痕跡などもまったくない。ましてや教訓的でもない。単なる決算書とほとんど変わらないような中身だったですね。僕は、あれを見てやはり司法の危機というのをすごく感じたわけです。