【平成の事件】植松被告と文通、障害ある娘と暮らす社会学者 「心失者なんていない」被告と同調者たちに伝えたい
2019/4/11(木) 10:00配信 カナロコ by 神奈川新聞
平成最悪とされる犠牲者を出した相模原障害者施設殺傷事件から2年8カ月。和光大名誉教授の最首悟さん(82)=横浜市旭区=が、植松聖被告(29)と手紙のやりとりを続けている。社会学者であり、重度の知的障害がある娘を持つ父親という立場から、障害者への差別や偏見が根強く残る社会に宛てたメッセージだ。(神奈川新聞記者・石川泰大、川島秀宜)
2018年4月27日、最首さんの元に手紙が届いた。丁寧に折りたたまれた2枚の便せんに、検閲済みを意味する「○」の押印があった。封筒の差出人の名前には「植松聖」。神奈川県立障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)で、入所者19人を殺害した罪などで起訴された被告だった。
植松被告は、重度障害者に造語を当て、「心失者(しんしつしゃ)」と呼んでいた。新聞紙面上で植松被告を批判していた最首さんに対し、手紙に反論がつづられていた。
〈現実を認識しつつも問題解決を目指していないよう映ります〉
最首さんは受け止め、論敵として本気で私見を戦わせてみようと考えた。ひとは心を失い得るのか、と。いわば、社会学者としての性(さが)だった。
最首さんは、ダウン症で知的障害のある三女、星子さん(42)と暮らす。我が子についても、こうあった。
〈心失者と言われても家族として過ごしてきたのですから情が移るのも当然です。最首さんの立場は本当に酷な位置にあると思いますが、それを受け入れることもできません〉
丁寧な言葉使いとは裏腹に、重度障害者は「不幸を生み出す」と決めつけ、なぜ育てる必要があるのか、と問い詰めていた。
*一層募った「わからなさ」
7月6日、最首さんは立川拘置所(東京都立川市)を訪ねた。
待合室のテレビは、オウム真理教の7人の死刑執行を速報していた。面会室の中央に腰掛け、植松被告を静かに待った。
〈植松〉きょうは、すみません。遠いところからご足労いただき、ありがとうございます。
アクリル板が中央を隔てる4畳ほどの空間。2人は手が届きそうな間合いで向かい合う。最首さんは、着座したまま会釈した。
被告はなぜ、すべてを悟ったかのように万事を容易に「わかる」のか―。最首さんが面会を望んだのは、その純粋な疑問からだった。例えば、手紙に記されたこの断定。〈人間として生きるためには、人間として死ぬ必要があります〉。まず、立ち会った記者が真意を聞いた。
〈植松〉糞尿(ふんにょう)を漏らしてしまい、意思疎通できないのは、人間として責任を放棄していると思うんですよ。人間なら、自分のことは自分でやる義務がある。
答えはまた、「わかる」から導かれた。最首さんは、ほほ笑み、沈黙を破った。
〈最首〉私の学びのゴールは、人間にはどのようにしてもわからないことがある、ということを認めることなんですね。わかったと思えば、いっぱい「わからない」が増えてくる。
星子さんとの生活が、念頭にあった。その日常は「わからない」の連続という。
〈最首〉星子との暮らしは、大変じゃない。一緒に暮らせないと思ったら、施設に預けています。
被告は苦笑しているように見えた。
〈植松〉自分の人生を否定したくないのが人間なんだと思います。大変だよ、と言えない。やっぱり、(重度障害者の子どもを)家で育てちゃいけないんですよ。一緒に生活したら、情が湧きますよね。
被告が反問する。ベッドに縛り付けられ、糞尿を漏らしてまで、自分は生きたいか、と。
〈最首〉答えられない、わからない。意思疎通が取れなくなったら、気持ちは誰にもわからない。前もって死ななきゃいけないと言い聞かすのは、未来の私に対する節度と配慮を欠いている。
被告は首をかしげる。持説はかたくなだった。
〈植松〉誰でも死にたくない。本能的に怖いですよね。でも、それを言っちゃうと、社会が成り立たない。オランダやオーストラリア(の一部の州)では、安楽死、尊厳死が認められています。死を受け入れるべきだ。
「残り5分です」。傍らの刑務官が告げた。ひとは心を失い得るか、それぞれに記者は尋ねた。
〈植松〉はい。断言できる。
〈最首〉心がないのは、物、物質です。心は、失われない。
最首さんの表情は終始、穏やかだった。面会前の「わからなさ」は一層、募った。いつものように。
〈最首〉まず、手紙の返事を書きます。
1週間後の13日、最首さんは第1信を送った。以降、毎月13日に被告に手紙を送り、その内容を神奈川新聞のサイト上で公開している。4月で10通目になる。植松被告から返事はほとんどない。
*「わからないからわかりたい」
「起こるべくして起きてしまった」。最首さんは殺傷事件を知った時、そう感じたという。
〈障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます〉
〈日本国が大きな第一歩を踏み出すのです〉
事件前、植松被告は衆院議長に宛てた手紙にそう書いた。
最首さんは面会を経て、確信した。植松被告は精神障害でも薬物中毒でもなく、正気だった、と。
「社会にとって正しいことをし、多くの人に受け入れられると信じている。国が褒めてくれるとさえ思っているのでしょう」
植松被告は多くの人の潜在意識にある前衛として出るべくして出てきた、と最首さんは考えている。事件直後、インターネットの掲示板やツイッターには「正論だ」「障害者はいらない」といった被告の主張に同調する投稿があふれた。その状況は今も変わらない。
「『働かざる者、食うべからず』という、経済的に役立つ存在かどうかで人を判断し、生産能力の低い者を排除する社会。植松青年のような考えを持つ人は圧倒的な多数派であり、彼は社会が抑制した思想や意識を暴いた先鋭的な表現者とも言える」
だが、不幸を生み出す重度障害者を代わりに殺してあげたと言わんばかりの独善に、八つ裂きにしてやりたいという強い怒りを覚える。
「役に立つか、立たないか。それだけを基準にしてしまえば、社会の多様性は失われてしまう。役に立たない物を捨てて何が悪いというのは、子どもの論理でしかない」
舌鋒鋭く、しかし口調は穏やかだ。最首さんは植松被告と同じ目線に立ち続ける。
「生産性のない人を排除する思想は現代社会を生きる『人』だからこそ。彼をそう認めなければ、星子を心失者と呼ばせる正当性を与えてしまうことにもなる」
娘の星子さんは言葉を話せない。一日の大半を横になって過ごし、食事にも排せつにも親の介助が必要だ。
最首さんは星子さんを「鉢植えの花」に例える。
「全くの無防備で、弱者そのもの。水が一つでも失われたら枯れてしまう。その悠然とした身のゆだね方に、いかに自分が欲だらけなのかを思い知る。命とは、わからず、はかれない価値を持っている」
障害者への差別や偏見が助長しかねない今だからこそ、学者として、障害のある娘を持つ父親として、植松被告と、被告の主張に同調する人たちに伝えたい。
「表には出ない心を誰もが持っている。わからないからわかりたい。わからないからこそ、次に何が起きるだろうという期待や希望が湧く。心失者なんていない」
その思いを、第1信の最後に込めた。
〈人にはどんなにしても、決してわからないことがある。そのことが腑に落ちると、人は穏やかなやさしさに包まれるのではないか〉
この先どれだけの時間がかかるのか、自分でも分からない。それでも、この一点に向かってこれまでも、そしてこれからも書き続ける。
「渦巻きを中心に向かって進んでいく蚊取り線香の火のように、少しずつでいい。心に風穴を通したい。彼に、彼の背後にいる社会の大多数の人々に」
連載「平成の事件」 この記事は神奈川新聞社とYahoo!ニュースの共同企画による連載記事です。「平成」という時代が終わる節目に、事件を通して社会がどのように変わったかを探ります。4月8日から計10本を公開します。
最終更新:4/11(木) 10:00 カナロコ by 神奈川新聞
◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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◇ 相模原障害者殺傷事件・植松聖被告と面会室で話した強制不妊問題 篠田博之 2018/5/30
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