郷原信郎:「政治とカネ」を代表選の争点にするな!
2010年09月08日 「内憂外患」 THE JOURNAL編集部
次期首相の座をめぐって激しい選挙戦が繰り広げられている民主党代表選。ところが、議論されている中身はといえば「政治とカネ」の話ばかりで、世論の動向にも大きな影響を与えている。その問題点について、名城大学教授・コンプライアンス研究センター長である郷原信郎氏が本誌編集部のインタビューに応じた。(9月3日取材)
──民主党代表選で「政治とカネ」が大きな争点となっています。事実上の首相を選ぶ選挙に「政治とカネ」は論ずべきテーマなのでしょうか
昨年3月に西松事件、そして今年1月には小沢一郎氏の政治資金管理団体である陸山会の不動産取得問題が発覚しました。この間、検察は一貫して小沢さんをターゲットに捜査を行い、それをメディアが大きく報道しました。結果として、世の中には「小沢はカネに汚い政治家」というイメージが作られました。
ところがその実態は何だったのか。少なくとも西松事件に関しては犯罪事実としての中身がなく、陸山会の不動産取得問題については元秘書である石川知裕議員は起訴されたものの、小沢さんは不起訴となっています。一連の流れを冷静に見てみると、これまで大騒ぎされた「政治とカネ」という問題は、今回の代表選を判断するほどの決定的な実態はありません。
──「実態がない」とは具体的にどういうことでしょうか?
今回の代表選で議論となっているのは、世田谷の不動産取得問題に関連するものですが、検察の判断ではすでに小沢さんは不起訴になっています。ただ、その不起訴に対して検察審査会に申し立てが行われたため、審議の結果として起訴相当の議決が出ました。しかし、市民の声を受けて検察は再捜査したものの、結果として再度不起訴にしました。これは、検察が短期間で結論が動かないと判断したことを意味します。ただ、検察審査会はもう一度審議を行うことになりますので、再度「起訴相当」の議決が出る可能性はあり、その場合は強制的に起訴されることになります。
たしかに小沢氏が起訴される可能性はあるけれども、この被疑事実の中身とは、不動産の取得時期と代金支払時期がたった2ヶ月あまりずれた「期ズレ」の話で、そもそもこのこと自体が政治資金規正法上の違反に問えるのかどうかも疑問です。仮に、当時の会計担当者である石川さんが違反と判断されても、小沢さんが共謀したという立証は極めて難しい。そう判断して検察は不起訴にしたのです。つまり、検察が2回も不起訴にしたということは、小沢さんに「政治とカネ」で問題となるような中身はほとんどなかったということなのです。
検察審査会が首相への拒否権を持ってはならない
もちろん、一般市民である検察審査会の審査員がどう判断されるかは自由です。ただ、訴追機関である検察が2回不起訴したにもかかわらず、それが審査員の判断で起訴となったとしても「検察限りの判断で終わりせず、裁判所の判断を仰ぐべき」ということにすぎません。
ところが、いまのメディアは検察の起訴と検察審査会の2度の起訴相当議決による強制起訴を一緒にしているのです。コンサートにたとえるなら、検察の処分までは事前に発表されている正式な曲目で、検察審査会はアンコールのようなものです。起訴相当の議決も「おまけ」のようなものと捉えているのならいいのですが、そうでないから困るのです。
──残念ながら、現実には「政治とカネ」が代表選の争点の一つとなっています
すでに法的にはほとんど決着がついている問題を再度掘り出して代表選の争点にすることは、明らかにアンフェアです。私は「政治とカネ」を代表選の争点にすべきでないということを強く言いたい。
「政治とカネ」というとき、具体的な問題の中身を理解しないまま、イメージだけで判断してしまっています。これは非常に危険なことです。このような曖昧なイメージで首相になる資格が失われてしまうということになれば、特定の政治家に「カネに汚い」というイメージを植えつけるだけで、その政治家が首相になることを防げます。つまり、検察審査会に選ばれた11人の審査員のなかのわずか8人が、首相への拒否権を持つということになるのです。
検察審査会が民主主義のバランスを崩しかねない
──小沢氏は3日午前に出演したテレビ朝日の番組内で検察審査会のあり方について将来的には議論がおこるだろうとの主旨の発言をしました
当然のことです。これは小沢さんの事件に限らず、検察審査会の議決に起訴の拘束力を持たせた現在の制度が、日本の刑事司法にとって、または検察制度にとってどのような影響があるのかを考え直さなければなりません。特に、政治資金規正法違反のような政治的な事件に対してこの制度を適用すれば、民主主義のバランスを崩す可能性があることも議論されなければなりません。
──明石の花火大会歩道橋事故の件も含め、本来は検察を審査するはずの検察審査会が被疑者を審査しているような形になっています
現状では検察審査会が「第二検察庁」のようになっています。検察審査会は「検察の処分が正当か」を審査することが本来の目的ですが、検察審査会の処分が2段ロケットの2段目のようになってしまっています。これは検察審査会の制度趣旨からしておかしい話で、考え直さなければなりません。
──西松事件で小沢さんは民主党代表の座を辞任し、陸山会事件では幹事長を辞任せざるをえなくなりました。次は、検察審査会が代表選に大きな影響を与えようとしています。この1年半の間、常に検察の動向が政局の中心となっていることについてどのように思われますか?
極めて不健全な状態です。検察官は政治のキャスティングボートを握れるような世の中の民意を反映した組織ではありません。しかも、検察とは国家機関として捜査権限や訴追権限を行使する立場です。説明責任も情報開示義務も負っていません。検察内部で意思決定したことが政治に大きな影響を与えているという現状は、民主主義の基本である「権力分立」の観点から見ると、とても異常な事態だと言わざるをえません。
菅首相はホームベースにボールを投げろ!
──「政治とカネ」が繰り返し取り上げられることによって、特に序盤戦では本来代表選で取り上げられるべき政策論議が脇に追いやられてしまいました
「政治とカネ」の問題とは何なのか。実は、ほとんどの人がその中身について理解していません。これは何を言っているのかわからないのに、なぜか効果が出ている「呪文」のようなものです。
たしかに「政治とカネ」には法律的な意味と政治家としての倫理的な意味があります。「検察審査会が...」というのは法律上の問題で、法律的にはさきほどもお話したように何の問題もありません。一方、それとは別に政治倫理上の問題があるのかもしれません。であるならば、問題の中身を具体的に言えばいい。ところがそれも明確に指摘されることはありません。一体何が問題となっているのかすらわからない。
ただ、憲法75条との関係では問題があると言えます。憲法75条では内閣総理大臣は、本人が同意しない限り訴追されないことになっています。小沢さんは検察審査会の2度目の起訴相当の議決によって起訴される可能性が残っている状況で、この条文を利用すれば、総理大臣の職を失うまで起訴が先送りされる効果が生じることは間違いありません。たとえ起訴されても有罪の可能性はほとんどないとしても、「首相になろうとしたのは訴追を逃れるためではないか」と疑われることは避けられません。
なので、私は「あとは小沢さんの姿勢次第だ」と言ってきました。「訴追逃れ」と見られないためには、代表選への立候補を発表した時点から「訴追には同意する」と宣言すればいい。そうすれば「訴追逃れ」という批判を跳ね返し、「政治とカネ」が代表選の争点から消えるからです。
それが、討論会の場で憲法75条について問われたとき、小沢さんが「逃げない」と発言しました。訴追を受ける意思を明らかにしたもので、これで「政治とカネ」の問題は今回の代表選の争点からは基本的に排除されました。「政治とカネ」の呪文はいまや完全に廃れた。これからは堂々と政策論争をやって、残りの代表選を盛り上げてほしいと思います。
──今後の代表選には何を望みますか?
私は、これまで小沢さんがどのような政策を考えているのか明確に聞いたことがありませんでした。漠然とした印象では、小沢さんは積極財政論者で、公共工事や子ども手当てなどで国債を増発する方向ではないかと感じています。緊縮財政的な政策をすすめる菅政権とは政策が大きく違うという印象でした。また、小沢さんは官僚主導の今の国のあり方を変えていくという強い意志を持っていると感じています。ただ、これは小沢氏だけではなく、民主党全体がこれまで言ってきたことですので、具体的に「官僚主導をどう脱却していくのか」という観点から、今の日本に必要なことを菅さんと小沢さんの間で政策論議を闘わせることが必要だと思います。
その意味では、小沢さんは自らの政策を今回の代表選で積極的に表に出しています。ところが、菅さんは「政治とカネ」の話を繰り返し持ち出し、ホームベースにボールを投げないといけないのに、一塁方向に向かって牽制球ばかり投げていました。しかも、その牽制球は暴投で大量失点。菅さんはちゃんとホームベースに向かってストライクを投げないと勝負にならない。
だから、菅さんにはもっと頑張ってほしい。今までのように「政治とカネ」で揚げ足をとるようなことをしてほしくない。一塁に牽制球ばかり投げていたのでは「8年ぶりの民主党代表選はいったい何だったのか」ということになってしまいます。
多くの人は菅さんは財務省べったりで、官主導からの脱却ができていないと思っているわけだから、一発逆転を狙うのであればここは一つ、財務省中心の官僚組織に対して「こうやって正面から戦いを挑む」ということを主張して「官主導からの脱却は私でないとできない」と示してほしい。
日本には財政制度、単年度予算主義、補助金のあり方など、根本的な部分で変わらなくてはいけないものが残っています。財務省中心にこの国が動いてきて、その財務省の支配から脱却し、本物の政治主導・民間主導という、新しい日本の社会をつくりあげないといけない。このことを主張できたとき、菅さんははじめて小沢さんを逆転できると思います。政策論議で勝負することが、あるべき代表選の姿です。
◆「“政治とカネ”は検察とメディアが捏造したもの、小沢氏は無罪」=郷原信郎氏 緊急メッセージ
<『政治とカネ』とは具体的に何か>
検察は起訴事実がないことを2度も明らかにした。
『政治とカネ』問題は、検察審査会が一回目の議決で起訴相当の判決を出したことだけ。
その被疑事実も「収支報告書での不動産取得時期記載のずれ」だけだ。
2度目の審査会で、万が一、起訴相当の議決を出しても、無罪判決は間違いない。
ところが、メディアはこの被疑事実などを国民に明らかにしないで、『政治とカネ』『説明責任』『疑惑があるのだから代表選は出るべきでない』と騒ぎ立てる。メディアの荒廃は目を覆うばかりだ。
この検察とメディアの暴挙に異を唱えるメディア・法曹関係者が現れた。その2例を紹介。
<山口一臣週刊朝日編集長が、検察とメディア批判>
週刊朝日の山口一臣編集長が、ご自身のツイッターと、6月26日テレ朝スーパーモーニングでコメンテイターとして、小沢氏の『政治とカネ』問題は検察とメディアが作った虚構とはっきり言い切った。
山口氏のツイッターその1(6月25日)
小沢氏が代表選に出馬を表明しました。選挙の公平性のためにも検察審査会に関する世間の誤った認識をなんとかしなければ。またマスコミを挙げての大キャンペーンが始まりそうなので(爆)。念のためですが、小沢氏のために言ってるわけじゃありません。インチキな宣伝が嫌いなだけです。
山口氏のツイッターその2(6月25日)
端的にいえば、いま言われている小沢氏に関する『政治とカネ』は一部検察官が自らの保身と出世のためにデッチ上げた虚構に過ぎないということです。民主党代表選の直前に、村木厚子さんの裁判で無罪判決が出て、検察がどういう組織なのかがハッキリします。小沢陸山会事件は、村木裁判と表裏です。
6月26日 テレ朝スーパーモーニングでの一幕
生方幸夫議員「『政治と金』の問題があるのだから出るべきでない」の発言に対し、
山口氏「『政治と金』の問題とは具体的に何ですか。検察審査会の被疑事実は記載時期のずれだけですよ」。
生方議員「それ以外政治資金の流れに疑惑が...」としどろもどろ。
山口氏「小沢さんの『政治とカネ』問題は検察官僚がつくった虚構じゃないですか」
司会者があわてて話題を変えてしまった。
<郷原信郎氏が、民主党議員・党員・サポーターに緊急メッセージ>
検察出身の郷原信郎弁護士が、ご自身のツィッターで、民主党議員・党員・サポーターに向けて、メッセージを発信した。
以下郷原信郎氏のメッセージ (ツイッターから転記しました)
『 全国の民主党議員・党員・サポーターへ
常々言っているように、私は小沢氏の支持者でも擁護者でもありません。しかし、『政治とカネ』の問題で代表選での政策論議を封殺しようとする企みは許せません。堂々と政策論を戦わせるべきです。
第5検審が「起訴相当」とした「被疑事実」は、不動産取得時期と代金支払時期の「期ズレ」だけです。こんな事実で再度の起訴相当議決はありえません。万が一あっても、絶対に無罪です。
この『政治とカネ』の問題が検察の暴走と検察翼賛メディアによって作り上げられたものだったことは、私の著書「検察が危ない」(ベスト新書)の冒頭70頁を読んでもらえば容易に理解してもらえるはずです。
代表選挙までの間、「厄除け」に「検察が危ない」を携帯してください。その「厄災」とは、『政治とカネ』という意味不明の呪文で8年ぶりの民主党代表選を蹂躙する動きです。財務省ベッタリの菅政権では「政権交代」の意味がありません。
『政治とカネ』の問題が法的にはいかなる事実がどのように刑事手続の対象になったのか。その他に社会的には何が問題にされ、それは何の根拠に基づいているのか、政治家の評価の問題として政治全体の中にどう位置づけられ、現在の政治にどう影響するのか、しっかり考えてから物を言うべきです。 郷原信郎 』