リンチ殺人、来年2月弁論 二審死刑の元少年3人
大阪、愛知、岐阜の3府県で1994年、男性4人が死亡した連続リンチ殺人事件で強盗殺人などの罪に問われ、二審で死刑とされた当時少年の被告3人について、最高裁第1小法廷(桜井龍子裁判長)は8日までに、検察、弁護側双方の主張を聴く弁論を来年2月10日に開くことを決めた。
最高裁は二審死刑の場合、慣例として弁論を開く。被告は、一審も死刑とされた35歳の男1人と、一審は無期懲役だった34歳の男2人。
2001年7月の一審名古屋地裁判決は「中心的な立場だった」などと認定した1人だけを死刑としたが、05年10月の二審名古屋高裁判決は「事件当時少年だったことなど熟慮を重ねても、死刑の選択はやむを得ない」として全員に死刑を言い渡した。
判決によると、3人は94年9月、大阪市内のビルに連れ込んだ林正英さん=当時(26)=を絞殺し、高知県の山中に遺棄。10月には愛知県の木曽川河川敷で遊び仲間の岡田五輪和さん=当時(22)=を殺害し、同県内で男性3人を車に監禁。うち渡辺勝利さん=当時(20)=と江崎正史さん=当時(19)=を岐阜県の長良川堤防で金属パイプで殴るなどして殺害するなどした。2010/07/08 【共同通信】
遺族「待っていた」
「この日を、ずっと待っていた」。連続リンチ殺人事件の被害者の1人、江崎正史さん=当時(19)=の父恭平さん(65)=愛知県一宮市=は8日、絞り出すように語った。
弁論期日決定を知ったこの日は、正史さんの月命日。夕方、仏壇に報告した。3被告に死刑を言い渡した控訴審判決から間もなく5年。「同じ判決を確定させたいとの思いは今も微動だにしない」
被告の3人からは、それぞれ謝罪の手紙が届いてきたが、「誠実な気持ちが伝わってこない」という理由で最近、うち1人からの受け取りを断った。事件の発生から今年で16年。遺族は深い心の傷に苦しみ続けている。2010/07/09 〔中日新聞 朝刊〕
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◆償いの言葉 響かない。無念 胸に11年。3被告見つめる遺族 木曽川・長良川連続リンチ殺人事件
◆「正義のかたち:死刑・日米家族の選択/2 遺族と被告、拘置所で面会」
◆「木曽川・長良川殺人事件」 “「凶悪犯罪」とは何か”「三人の元少年に死刑判決が出た木曽川・長良川事件高裁判決」
村上 名古屋の事件というのは、いわゆる木曽川・長良川事件といわれるリンチ殺傷事件(1994年)で、19歳前後の少年たちが、大阪で1人の若者を死に至らしめ、その後愛知に移って、愛知の木曽川で、1人の若者を死に至らしめ、そして長良川河川敷で2人の若者を死に至らしめた事件であります。
その前に、名古屋では大高緑地アベック殺人事件(1988年)というのがあり、当時、少年または少女たちによる凶悪犯罪として大きく報道され、それに続くものとして、この木曽川・長良川事件が起きましたので、名古屋では相当衝撃的な事件として報道されていたわけです。
この事件は、少年たちが出会って集団になってから20日前後から1ヵ月半程度しか経っていない段階でこの犯罪が起きているというのが特徴的です。
この木曽川・長良川事件は、1審で1人が死刑で、2人が無期となりました。そして、そこで、死刑と無期に分かれた論理は、主犯格か従属的な立場だったかが主な形で区別されたわけです。その後、控訴され、検察官は3人ともに死刑を求刑し、名古屋高裁におきまして3人とも死刑判決が下されたのです。
裁判をやっていくなかで、私が一番感じたことですが、この木曽川・長良川事件以外の他の事件の中で被害者の方の意見陳述という制度が導入されてきまして、被害者感情が裁判にそのまま導入されてきているなぁというイメージがありました。でもそれは、犯罪事実の認定だとかそういうことには影響しないと言っているんですけれども、被害者遺族が被害感情を強く法廷で言うことによって、裁判官は、被告人にとって一番シビアな犯罪事実の認定を選ぶというような効果があるのではないかという危惧感をもっておりました。
当時、この木曽川・長良川事件で自分が担当している被告人に対して死刑判決はないと確信しておりました。証拠調べが終わった最後に、4人の遺族の代表的な方が、被害者意見陳述で痛烈に被告人3人を非難しました。そこでは、死刑という言葉は使われてはいません。ただ、この3人は絶対許せないという形で、法廷にそのままの形で感情が入ってきました。そのときに、この被害者意見陳述が裁判所にどういう影響を与えるんだろうと危惧感を感じました。実際、判決を聞いたときに、被害者意見陳述の内容がそのまま判決の構成になっているというのを感じました。