安楽死どこまで 認知症・老いの孤独…広がる「死の権利」要求 オランダ 2018.7.22

2018-07-23 | Life 死と隣合わせ

産経ニュース 2018.7.22 11:00更新
【特派員発】安楽死どこまで 認知症・老いの孤独…広がる「死の権利」要求 オランダ・三井美奈
 2002年に世界初の安楽死法を制定したオランダが、「死なせてよい生命」の範囲をめぐって揺れている。安楽死の広がりで、認知症や精神障害者、「人生はもう無意味」と訴える高齢者まで死の権利を主張するようになり、国内で「行き過ぎ」という懸念も高まる。論議の最前線を追った。
*ある認知症患者の死
 「世界が毎日縮んでいく。本当は一人息子(17)の成長を見ていたかった」
 遺書に苦悩がにじみ出る。5月、62歳のヤンヘンク・リーテマさんが安楽死の前日に書き残した。アルツハイマー病と診断されてから2年半。認知症が進む苦痛に耐えられず、医師に致死薬処方を頼んだ。
 遺書を受け取った姉のイナ・ハイマリーテマさん(70)は今年1月、弟から死の決断を告げられた。「『よだれを垂らし、他人頼みで生きるのは耐えられない』と言った。闘病の苦しみを見てきたから、反対なんてできなかった」と回想する。ヤンヘンクさんの写真を見せてもらうと、眼鏡の奥のまっすぐな瞳が印象的だった。生真面目な性格がうかがえた。
 病の兆候は57歳で表れた。物忘れがひどくなり、運転中、突然ハンドル制御ができなくなった。2年後に退職。外出先から帰宅できなくなり、水道を閉め忘れたこともあった。肉体的には年相応に元気だった。耐え難かったのは、「いつか完全に自己認識できなくなる」という絶望感だ。
 昨年末、医師から安楽死の同意を得た。葬儀広告は自分で用意した。死の1週間前、イナさんや離婚した妻、息子を前に趣味のオルガンを披露し、別れを告げた。
*日常会話の話題に
 安楽死者は昨年、国内で6585人。法施行直後に比べ、3倍増した。死者約23人のうち1人が安楽死していることになる。
 「同級生が『祖父が安楽死する』と言って学校を早退した」(17歳、高校生)、「末期がんの父の最期を家族で見送った。遺体の脇でワインを飲み、思い出話をした」(52歳、男性)-など、オランダでは日常会話の話題になるほど死の選択肢として浸透した。
 安楽死とは、患者の要請に基づき、致死薬を飲ませるか注入するかして即死させること。延命治療をやめ、死期を早める「尊厳死」とは異なる。02年の法は医師が「耐え難い苦痛がある」「苦痛は治せない」などの要件を満たして患者を安楽死させた場合、刑法の殺人罪に問わないと定めた。医師は学者や法曹関係者で作る「安楽死地域評価委員会」に事後報告し、同委員会は要件違反の疑いがある場合のみ送検する。
 法は安楽死を末期患者に限定せず、精神的苦痛を理由とする場合も認めている。ヤンヘンクさんの安楽死が認められたのは、このためだ。昨年、認知症を理由とする安楽死は169件にのぼった。
*母の自殺幇助→起訴
 目下、論議の的となっているのは「高齢者の死ぬ権利」を認めるべきか否かだ。孤独や老衰、「人生はもはや無意味」と感じる心の苦痛を安楽死要件と認めるべきか。5年越しの裁判で争われている。
 被告のアルベルト・ヘリンハさん(75)は、08年に99歳だった母の自殺を幇助(ほうじょ)した罪で起訴された。
 母は物忘れがひどくなり、老衰で身動きできなくなった。「介護を待つだけの人生は耐え難い」と安楽死を求めたが、医師は「病気ではないから」と拒否した。母はそれでも執拗(しつよう)に死を求め、ヘリンハさんが見かねて致死薬を渡した。
 「母は若い頃、アフリカを単身旅行するほど活動的だった。『私の人生は終わった。自分で誇りを持って死にたい』と訴えた。私が娘と『家族のために生きて』と訴えても嫌そうに手を払った」と話した。
 母は自殺を計画し、引き出しに睡眠薬をためた。薬学知識のあるヘリンハさんはそれを見て、「せめて安らかに死なせたい」と幇助を決めた。アフリカ勤務時代に入手したマラリア薬などを調合した。
 母は薬入りヨーグルトをむさぼり、笑顔でベッドに横たわった。ヘリンハさんはその姿を収めたビデオを1年半後、「問題提起したい」とテレビで公開。事件は世間を揺さぶった。
 15年、地裁は「苦痛から救うためのやむを得ない行為」として無罪判決を出したが、今年1月の高裁判決は一転して執行猶予付き禁錮6カ月の有罪。ヘリンハさんは最高裁に上告して争う構えだ。世論調査では54%が「無罪にすべきだ」と答えた。
 「高齢者の自決権」論議はこれが初めてではない。政治家や医師、作家らが10年、「70歳以上には、自分で死の時を決める権利を認めるべきだ」と訴え、約10万人の署名を集めた。16年には保健福祉相がこうした高齢者の要求に応じるため、法改正の方針を表明。昨年の政権交代で国会の動きは止まったが、是非論は続いている。
*自由の範囲とは
 自分の生命は自分で決める-オランダ人のあくなき自由の欲求はこの国の歴史に根ざす。
 17世紀、カトリック王政に抵抗して共和国として独立。宗教に縛られない自由貿易国として成長し、世界金融の中心地となった。「他人に迷惑をかけない限り、個人の自由を尊重すべきだ」という気風は欧州でも特に強い。安楽死は1973年、病床の母を死なせた女医の裁判判決で容認要件の骨格が示され、約40年の国民論議が法に結実した。
 しかし、元来の目的は、望まない延命や末期がんの痛みから患者を救うことだったため、容認範囲が拡大することへの批判も強い。地域評価委員会の元委員で、14年に抗議辞任したテオ・ブール氏(倫理学教授)は「国民は死を管理するという考えに慣れ、なし崩し的に安楽死が広がっている」と警告する。
*104歳科学者 死を求めスイスへ
 今年5月、104歳のオーストラリア人科学者デビッド・グドールさんが安楽死するためスイスに渡航した「事件」が世界的注目を浴びた。オランダの合法化を機に「死ぬ権利」を求める声は高まる一方だ。
 欧州では、ベルギーとルクセンブルクも安楽死法を制定。スイスは刑法で自殺幇助を免責しており、医療手続きが不要なため、「安楽死ツーリスト」が各国から集まる。
 グドールさんは102歳で大学から退職勧告を受け、「人生に生きる価値がない」と訴えてきた。渡航に付き添った安楽死支援団体の代表で豪州人フィリップ・ニツケ医師(68)は「医者として患者に『死なせてくれ』といわれているのはつらい。だが、医療の進歩でなかなか死ねない時代、彼のように介護で救えない高齢者は増えるはずだ。見て見ぬふりをすべきではない」と話す。グドールさんは死の前日に記者会見し、「私の死を機に、高齢者の自決権について考えてほしい」と話した。ニツケさんの支援団体の会員は米欧やカナダに約5万人。日本人も数百人いるという。
■「公平な医療保険が前提」 オランダ安楽死地域評価委員会 ヤコブ・コンスタム委員長
 オランダの安楽死法は、だれもが公平で高度な医療を受けられる保険制度があるから可能だ。貧富の差で医療や介護の水準が決まる国では、患者が「家族に迷惑がかかる」と考え、死を求める危険がある。
 戦後生まれのベビーブーマーが70代を迎えた。高齢化の進展で、安楽死希望は今後も増えるだろう。だからこそ、要件違反がないかをチェックする透明な制度を維持せねばならない。
 安楽死は患者の意思表示が前提になる。認知症患者でも判断力が残る段階で、医師の診断を元に将来を予想することは可能だ。「このままでは安らかに死ねない」という苦痛も、安楽死要件として認められる。「人生が意味を失った」という高齢者の死の要求は近年増えているが、現段階では認められない。今後、裁判で争われることになるだろう。

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
――――――――――――――――――――――――
豪の104歳科学者 オーストラリアでは安楽死が認められておらず、スイスで安楽死 2018/5/10
西部邁さん自殺 幇助罪初公判 2018.7.12 窪田被告が無罪主張 青山被告は起訴内容認める
..........


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。