光市事件 「なぜテレビは死刑を求めるのか」メディアによる殺せの大合唱(弁護士安田好弘)

2007-07-07 | 光市母子殺害事件

メディアによる殺せの大合唱

 マスメディアの今の関心ですけれども、マスメディアと言いましても、テレビメディアと新聞メディアに分ける必要があると思うんです。今回は、殺せ殺せという大合唱をしている、あるいは裁判なんか不要だと言っているのはいわゆるテレビを中心としたメディアなんですね。ところがそれに対し一定の距離を置いているのは新聞と雑誌メディアです。とりわけ気になったのは、被告人の写真を出し、名前を出し、そして死刑のキャンペーン、あるいは原判決不当のキャンペーンを張り続けたのは『週刊新潮』だったわけですけれども、私が見る限りでは『週刊新潮』はこれについてはほとんど沈黙しているという、たいへん面白い現象が起っているわけですね。
 それだけで結論を出すわけにはいかないですけれども、今の世論を形成し、世論を動かす原動力、あるいは司法と新たにシンクロナイズしているメディアというのは実はテレビメディアだったのではないか、いわゆるポピュリズム、大衆迎合主義と言われるようなものもテレビメディアなのではないかという実感をたいへん強くしているわけです。
 テレビメディアにはもともと限界があるわけです。新聞メディアあるいは雑誌メディアは一ヵ月なり一週間なりという時間的資源を持っているわけですけれども、テレビメディアはわずか24時間しか時間をもっていない。彼らがいくら報道しようとしたところで最大24時間の枠内しか報道できないわけです。そういう中で送る側としては、常に、すべてを捨象して単純明快な図式、つまり善悪という価値のデジタル化、論理ではなく感情というわかりやすさに収れんしなければならないですし、  ⇒

⇒ http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/ 「光市最高裁判決と弁護人バッシング報道 安田好弘」


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