影響しあい熱狂的な結果が生まれたポピュリズム選挙 すぐ反応すぐ判断二者択一の集積が巨大な変化生む

2009-09-04 | 政治

【山崎正和さんに聞く】 朝日新聞「オピニオン」2009/09/02Wed.

リーダーも熱狂もないまま揺れたポピュリズム選挙
 私は日本社会に広がる「リーダーなきポピュリズム」が今回の結果を生んだと見ています。
 「ポピュリズム」はメディアでは、「大衆迎合」とか「衆愚政治」などと言われますが、ここでは「ある問題を、主として否定することをテーマに、大多数の人がムードに乗って一気に大きく揺れること」としましょう。人びとが互いに過剰に適合しあって雪だるまのように世論が形成されていく、そういう状態です。
 一人ひとりが熱狂的だとファシズムになりますが、そうでなくても、互いに影響しあうことで全体では熱狂的な結果が生まれる。それがポピュリズムの特徴です。選挙戦のさなかに自民党の政治家たちが「選挙民が見えない」とこぼしていました。熱い「反自民」があったわけではないのに政権交代が生まれたのは、こうしたことによるものでしょう。
 今回の衆院選は前回2005年の、小泉政権によるいわゆる「郵政民営化選挙」と対になっています。どちらも特徴はワンフレーズ選挙です。前回は小泉さんの「郵政民営化」以外のテーマはほとんど関心を引かず、今回は鳩山さん(あるいは小沢さん)の言う「政権交代」に終始しました。もちろん今回、両党とも政策をあれこれ挙げましたが、演説でもポスターでも、民主党はもっぱら「政権交代」を押し出していました。
 興味深いのは、前回は民主党代表の岡田さんが「選択すべき政策はいろいろある」と強調したのにほとんど無視され、今回は自民党総裁の麻生さんが「政権交代ではなく政策の選挙だ、政策の細部を見てくれ」と盛んに呼びかけたものの、国民の耳に届かなかったことです。
 もともと民主主義とポピュリズムとは背中合わせの存在です。もともとはアメリカで生まれた大衆運動を指しました。あるいは、シェークスピアの悲劇「ジュリアス・シーザー」が教えてくれます。古代の民主制ローマで、民衆がわーっと集まって「殺ってしまえ」と叫ぶ。しかし、演説者がかわると次の瞬間、逆の方向を向いて「あいつを殺ってしまえ」となる。まさにこういう動きです。
 しかし特に今、日本で「リーダーなきポピュリズム」が広がった背景を考えてみましょう。 
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 歴史を振り返ると、ポピュリズムは、人間はどう振る舞ったら良いかが暗黙の了解として存在している時には発生しません。不安な時代、あるいは既成の秩序がゆるんだ時に起きやすいのです。
 さらに、現在は情報社会そのものが大きく変わってきています。電子メディアが大量に普及し、人々の情報入手のルートが多様化しました。これは文明的な変化と言えるでしょう。
 たとえば携帯電話で見るニュースは非常に速いものの、断片的であることが特徴的です。何が起きたかはわかっても、それはなぜなのか、背景や構造は教えてくれません。詳しく知るには新聞や雑誌など活字を待たないとわからない。あいかし、相対的な比重は電子メディアがどんどん大きくなっています。
すぐ反応すぐ判断二者択一の集積が巨大な変化生む
 娯楽や芸能の世界でも同じことが起きています。すぐ面白い、すぐわかる。そういう即効性が求められ、面倒くさいドラマはテレビの世界でも減っています。長期間訓練し、ある構造を持ったドラマを演じるような役者が減り、筋書きなしになんでも出切るタレントが増えている。これも象徴的です。
 特に問題は、双方向性を持つ電子メディアの誕生で、その中にはすぐに返事を書くことが求めら
れているものがあります。若い人の間では携帯メールが届いたら3分以内に返信しないと嫌われるとか。じっくり考えるよりも、すぐに反応する。すぐに断定する。何でも二者択一で考える。そういう社会に進んでいるように私には見えます。これは、進行中の活字離れと裏腹の流れでしょう。
 少し前から「空気の読めない人」というのが非社交的とみられ、非難や軽蔑の対象になりました。一方、政党支持などの世の中の意見、すなわち世論の動向は、新聞やテレビがしきりに調査し報道するので非常に見えやすくなった。毎週のように首相の支持率が上がった下がったと聞かされるし、選挙前にはどの新聞にも「民主300議席へ」などとありました。人々にとっては状況に乗りやすいし、誘われやすかった。
 かつて評論家の山本七平さんが「空気」と呼んだ、あのえたいの知れない世論の流れが非常に形成しやすくなりました。これは日本人の伝統的な性向にも合うんですね。世の中の流れに乗り遅れまいとする傾向です。
 こうしたことが重なると、世の中の変化を一段と加速させます。いろいろなことがばたばたっと進む。例えば地球温暖化対策です。問題点は数十年前から指摘されてきましたが、日本中が一色になったのはこの数年でしょう。「クールジャパン」もそうです。10年前は、だれも日本の若者文化が世界を席捲しているなんて考えませんでしたから。
 即反応、即断定、二者択一。そうした性向を持った多数の人々が、時々の「空気」を読んで行動したら、その集積は巨大な変化を生むでしょう。私は「世論形成の液状化現象」と呼んでいます。
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 さて、この結果、自民党が政権の座から降ろされ、戦後長く続いてきた「55年体制」がようやく終わります。「万年与党」の自民党と「万年野党」の社会党などで形作ったこの体制は、世界的な冷戦構造の日本版でした。日本の中から必然的に生まれたものではありません。世界の流れに対応したものでした。
 本来は1989年にベルリンの壁が崩壊し、93年に非自民の細川連立政権が生まれた時に終わってもよかったのに、そうならなかった。自民党は政敵だった社会党委員長を首相に担ぎ出すという奇策を弄してまで、延命したわけです。もし細川さんがもう少し辛抱強く続けていたら、あるいは小沢さんがもう少し賢明に動いていれば(もしくは動いていなければ)、もっと早く二大政党制が生まれていたでしょう。その後は英米のような、政権交代のありうる「普通の民主主義」が続いていたのではないでしょうか。自民党はずいぶん前に国民から愛想を尽かされていた。でもライバルの側が下手だったから敗れなかった。それが今回、ようやく実現するわけです。
 民主党が3倍近くに増え、300議席を突破した。変化は極めて大きなものですが、国民全体が熱狂した結果ではないし、一人ひとりにとっては積極的なものでもなかったかもしれません。「まあ、変わってもいいや」とか「民主党がいいのではなく、今の体制側にいる自民党がいや」というものでしょう。背中を押したのは昨年来の経済危機すなわち世界的な規模での「資本主義の失敗」です。
 私は、資本主義という制度は非常に悪い制度だが、これ以上いい制度はない、と思っています。でもこの資本主義は、冷戦終結後、傲慢なものになってしまった。旧ソ連はじめ東側諸国と比べて、資本主義陣営(当時は「自由主義陣営」と呼んでいました)は、生産性も経済力も高い。「勝った、勝った」と喜んでいました。それが20年たついつに、低賃金政策が広まり、金融市場主義が世界を覆いました。「郵政民有化」も、その日本版だったのです。それが崩れたのが、去年の世界規模の金融危機でした。
 日本でも失業者がたくさん出ている。それがメディアなどで大きく扱われる。これではいけないとみんなが思った。目が体制側に向かいます。前々から「自民はいつやめてもいい」と思ってきたのが、「今度はやめさせなきゃ」という話になった。それが多くの人の気持ではないでしょうか。
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 今回の選挙で露呈した、日本の政治の問題点を述べておきましょう。
 無残に負けた自民党は、幸か不幸か、これまで出来なかった自己改革を行うチャンスを与えられたと言えます。細川連立政権の時にも機会ありましたが、党の体質は変わらなかった。しかし今度は変わらざるをえません。派閥体質や密室政治を排除し、若返りを進める。リベラルを徹底させることも必要です。
 問題はむしろ民主党です。この党は、旧自民党系、旧社会党系、そして民主党の誕生とともに政界に入ってきた人たちの、異質な3つのグループから成り立っている。これを整理しないことには防衛・外交問題に限っても、決着がつきません。それをやるのかどうか。4年間何もしなかったら、次の選挙で逆の風が吹くかもしれません。
 それ以上に日本の政治全体の問題として浮かび上がったのは、日本を世界の中でどう位置づけるか、どういう位置取りをしていくのかという将来像が、選挙中も、そして30日夜の鳩山代表の会見でも、ほとんど問われなかったことです。
 例えば対テロの問題。自民党が付け足しのように言いましたが、ほとんど議論の対象になりませんでした。政府の途上国援助(ODA)は自民・公明の連立政権下でも減り続けています。日本は難民や移民をどれだけ受け入れるのか。北朝鮮の核開発をめぐって国連安保理の決議が出ています。日本はどこまでやるのか。国内法の整備が必要ですが、与野党とも国会の会期末に投げ出してしまった。どちらも真剣には見えません。
 どうも、日本は国際的な無関心・無責任体制をまだ捨てられないように思えます。世界の問題は知らない、という国はあります。それを選ぶのか。今の日本は「漠然とした鎖国状態」です。新しい政治は、ぜひそれを打開してほしい。
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/adagio/populism.htm

 参考; 「22日に光市事件差し戻し控訴審判決 バッシング渦中の安田好弘弁護士に再び聞く」より
 善か悪かの社会 世の中が2色刷りに変化
 「感情に反対尋問は通用しない。弁明は『荒唐無稽』、反省も『フリ』で片付けられてしまう。かつては善悪や喜怒哀楽が混在して現実があるという常識があった。いまは善か悪か、憎いか憎くないかだけ。カラーだった世の中が次第に2色刷りに変わってきている」http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/yasuda.htm


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