大澤真幸=資本主義を超える普遍性を求めて

2008-08-29 | 社会

 前月のこの欄でも示唆したように、中国の経済成長がーそして北京五輪の成功がーわれわれに強く印象づけるのは、資本主義の圧倒的な普遍性である。本来は資本主義に対する代替的選択肢(オールタナティブ)として構想された社会主義の下にあってさえも、資本主義は繁栄するのだ。言い換えれば、資本主義は、その対抗馬であるはずの社会主義をも包摂できるような、中立的な機構だということになる。

 ヴェーバーの研究が含意していることは、資本主義を駆動した力には、極端に西洋的なバイアスがかかっていたということである。そうだとすると、資本主義は、きわめて地方的でありながら、同時に普遍的だということになる。

 すべての個別の状況から身を引き、それらを中立的に通覧し、記述するような第三者の立場は不可能なのだ。この事実の中に、たとえば古代ギリシャという個別的・特異的な状況(1人称・2人称)が、同時に普遍的な模範(3人称)としての魅力をももつという二重性の秘密も隠されている。
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/adagio/ column12「資本主義を超える普遍性を求めて」大澤真幸


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