裁判官も叱責 舛添都知事「婚外子への扶助金22万円調停」取り下げの赤恥 FRI DAY 2014/3/13

2016-05-23 | 政治

裁判官も叱責 舛添都知事「婚外子への扶助金22万円調停」取り下げの赤恥 
 FRI DAY 2014.03.13
「東京を福祉先進都市にいたします。認知症の母親を介護した経験を生かし、この苦労を何人にも味わわせてはならない、その強い思いが政治の道を歩む原点です。任期中に、約8000人いる都内の待機児童をゼロにします」
*3度目の結婚をした現夫人には、中学生、小学生の子どもがいる。息子に知事選出馬を勧められたという
 2月26日に開会した東京都議会での舛添要一・新都知事(65)の施政方針演説を、複雑な思いで聴いた女性がいる。
 東大助教授時代の舛添氏と不倫交際し、その子を産んだAさんだ。
 Aさんの傍らには、’88年舛添氏との間に生まれた長男がいる。長男は障害者で、いまも入退院を繰り返している。仕事を持つAさんが不在のときは、高齢の両親が面倒を見ているという。舛添氏は母親の介護をした経験を繰り返し語るが、Aさん母子とは20年以上直接連絡をとったことは一度もない。「介護の苦労を味わわせたくない」という言葉が、むなしく響く。
 2月28日、家庭裁判所で、舛添氏側とAさんの調停が行われた。実は舛添氏は’12年6月、それまでに支払っていた1ヵ月22万円の「扶助金」の減額を申し立てていた。
「都知事に当選した舛添氏の年収は、2600万円前後。月額22万円が負担になるとは思えない。Aさんは当然、減額の要求を取り下げると思っていました」(Aさんの知人)
 ところが、この日も舛添氏側の弁護士は減額を主張しつづけた。弁護士はこう話したという。
「舛添氏がソチ五輪の視察に出かける直前に確認したところ、『自分のところ(現在の妻との間)には子どもが二人いる。Aのところには一人。裁判官には公正な分配を要求する』と言ってきかなかった。(申し立てを)取り下げることは考えていません」
 Aさんは、開いた口がふさがらなかったという。裁判官は、この主張を厳しい顔で聞いていた。
「これは最初の申し立てとは違います。これは通らないですよ」
 と叱責したという。舛添氏の代理人弁護士は「本人に伝えます」と神妙に答えるほかなかった。
 この調停で、舛添氏の主張ははじめからおかしなことだらけだった。長男に障害があることを知りながら、「すでに23歳(当時)で、自立した」と主張。さらに、議員を辞職すると、「月収が8万円に激減した」と主張し始めた。
「テレビに出演したり、講演や、著書もある舛添氏の月収が8万円というのは、いくらなんでも納得がいかない」(同前)
■取材直後に慌てて取り下げ
 舛添氏とAさんが知り合ったのは、26年ほど前。舛添氏は当時東大助教授、新進気鋭の国際政治学者で、メディアでの露出を増やしていた。
「大学での講義は、常に満員。テレビに出ている有名助教授ということで、『追っかけ』のような学生がいたほどでした。
  その当時、舛添氏は片山さつきさん(当時大蔵省職員、現参院議員)と結婚していましたが、大学院生だったAさんを口説いて、不倫関係にあった」(東大教養学部の元学生)
 二人の関係に気付いた片山氏が、舛添氏が収集していたナイフ2本を持ってAさんのマンションに乗り込み、ドアに体当たりしたこともあった。舛添氏は、裏口から逃走したという。
「Aさんはこの騒動のショックで、切迫流産寸前になった。
  出産後も舛添氏はAさん宅を頻繁に訪れ、長男を公園に連れて行ったり、風呂に入れたりしていた。東京ディズニーランドに行ったこともあった。Aさんの両親とも会い、いずれ籍を入れると話していたそうです。しかし、弁護士を立てて別れて以降、母子とは一度も会っていない。長男がイジメにあったり、入院したと聞いても電話すらしなかった」(前出・知人)
 しかも舛添氏は、Aさんとは別の女性との間にも二人の子どもを作り、認知していたことが発覚した。
「こちらの女性に子どもができたのは、’90年。舛添氏は1年近く経った’91年に、長女を認知しています。さらにもう一人の子どもをもうけた末、女性から婚約不履行の訴訟を起こされた。
  舛添氏はこちらの女性に対しても扶助金を払っていたが、最近になって突然半額に減額したと聞いています。やはり子どもが成人し、自立したことを理由にしていたようです。女性は反発したが公正証書を交わしていなかったため泣き寝入りするほかなかった」(女性の知人)
 片山氏とは’89年に離婚、’96年に現在の妻と結婚している。
 3月10日早朝、自宅を出てきた舛添氏に調停の進行について聞くと、
「個別の取材は一切受けていないので」
 の一言だった。
 実はこの本誌の直撃の直後、舛添氏は慌ただしく動いた。同日、突如として家裁の調停を取り下げたのだ。
「フライデーに報じられると知って、体裁が悪いと取り下げたのでしょう。どこまで往生際が悪いのか。知事以前に、人として赤っ恥です」(前出・知人)
 舛添知事とかかわりを持った女性たちは、憤りを隠さない。
*Aさんとの間に長男が生まれた1ヵ月後の’88年9月、「幸福論」を説く著書を上梓した

 ◎上記事は[FRI DAY]からの転載・引用です
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「演技力だけはある。品性ゼロの寄生癖。トップにしてはいけない人」舛添知事を元妻・片山さつきが一刀両断
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元妻・片山さつき氏が激白 舛添氏の隠し子、実姉の生活保護
  dot.  (更新 2014/1/30 07:00)
 都知事選を優位に進める舛添氏の私生活は賑やかだ。結婚3回、離婚2回、子ども2人と愛人の子3人を抱える。「隠し子の養育費減額をめぐって係争中」との報道もあった。元妻で、自民党都連所属の片山さつき参院議員(54)にズバリ聞いた。

――都知事にふさわしい?
 「都連として推薦した訳だから、そうでしょうね。今年に入り、都議団から舛添さんという話が上がったので、私は都連の総務として承認したということです。擁立には関わっていない」

 舛添氏と片山氏は1986年にお見合い結婚。しかし、2年3カ月後に離婚している。片山氏は当時の夫・舛添氏について、4年前の週刊新潮の取材に《その辺にあるものを手当たり次第に投げつける》《いくつものナイフを私の前に並べた(中略)刃先を私に向けたこともあります》と話した。
 また昨年の「婦人公論」には、《結婚したことがそもそも間違いであった》とまでぶちまけた。

――当時の結婚生活は?
 「うーん、今はちょっとお話しできませんね(苦笑)。ただ、取材で話したことはすべて事実です。ウソはついていません。選挙が終わったら、聞きに来て下さい」
――今は仲が良い?
 「良いも悪いも普通ですよ。私が作った法案を、新党改革(当時は舛添代表)と国会に提出したこともあるし、議場で挨拶くらいはしていました。テレビ番組でも一緒に出演し、お互い、『一緒はイヤ』と言ったことはありません」

 目下の注目は片山氏が“元夫”の応援演説に行くのかどうか。安倍首相は今月19日、「行ってほしい」と片山氏に要請した。
 「首相は細川・小泉連合を意識されていて、何か対抗できる話題作りを考えていたようです。そこで私となった(苦笑)。ただ行くとなれば、舛添さんが抱える二つの問題はクリアしておいていただきたい」
 二つの問題とは舛添氏が隠し子の養育費減額をめぐり元愛人Aさんと係争中という点。また舛添氏の実姉が生活保護を受ける際、役所からの扶養要請を舛添氏が断ったという点だ。
 「実は私と婚姻関係にあるときに起きたことなんですよ。舛添さんはAさんと浮気してお子さんが生まれた。当初はその事実も認めようとしなかった。実姉の生活保護が始まったのも、離婚して数年以内のことです。3人のことを知っている分、誠実に対応して頂きたい。保守政党の自民党が推薦する候補者でもあるし、クリアされないのに応援演説までは、やはりできないですよね」

――最後にひと言。
 「私は舛添さんと離婚した翌年の90年に再婚しています。片山家の嫁になって四半世紀経つことを、みんな忘れている(苦笑)。そこが歯がゆいですね」
 ※週刊朝日 2014年2月7日号
 
  ◎上記事は[ dot. ]からの転載・引用です
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