【愛知県日進市 高3強盗殺人事件】…神戸連続児童殺傷事件「少年A」との共通点?

2015-07-24 | 少年 社会

愛知・高3強盗殺人 専門家が指摘する「少年A」との“共通点”
2015年7月24日 10時26分 日刊ゲンダイ
 愛知県日進市の強盗殺人事件で、逮捕された県立高3年の少年(17)は一転、殺意を否認し始めたという。
 被害男性(65)を十数カ所も刺しておいてそりゃないが、イマイチ「動機」が見えてこない。強盗については最初から否認している。
 強盗でも殺人でもないと言いたいらしいが、23日発売の週刊新潮によると、少年は事件の1カ月ほど前、同級生に「人の殺し方を調べている」などと話していたという。以前から殺人願望を強めていたフシがあるのだ。
「少年は物心がつく前に両親が離婚し、祖父母に預けられて育った。両親とはほとんど会っていなかったそうです。地元の公立中学を卒業し、高校受験で第1志望に落ち、地元の中堅校に進学。大学受験の勉強も順調ではなかったとか。剣道部に所属し、目立つ生徒でもなく、アニメや“銃撃ゲーム”が好きだったといいます。ナイフマニアで、自宅から複数の種類のナイフが見つかっています」(地元マスコミ関係者)
 犯行に使ったのもサバイバルナイフだった。犯罪心理に詳しい臨床心理士の矢幡洋氏は、先月手記を出版した“酒鬼薔薇事件”の少年Aと「一致点が多い。サイコパス(反社会性人格障害)ではないか」とこう話す。
 「まず似ているのが母親からの愛情が薄い点。少年Aも母親とうまくいかず、おばあちゃんっ子でした。母親から愛情をもらえない子は疎外感が強くなるケースがある。勉強がうまくいっていなかったなど自己評価が低くなっていた点も似ている。銃撃ゲームやさまざまな種類のナイフを集めるなど、殺人に関心が強かった点、殺しやすそうな相手を衝動的に狙った点も同じです。報道を見る限り、少年はただ殺すのが目的だったようにみえます」
 現場近くの公園で見つかった少年が盗んだバッグには、現金6000円が残されていたという。ただの強盗殺人事件じゃなさそうだ。
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〈来栖の独白 2015.7.24 〉
 >まず似ているのが母親からの愛情が薄い点。少年Aも母親とうまくいかず、
 臨床心理士・矢幡洋氏の安易な指摘には、疑問が残る。
 以下、『絶歌』元少年A著 2015年6月 初版発行 〈…母親を憎んだことなんてこれまで一度もなかった。〉 から考えてみたい。

『絶歌』 「元少年A」著 株式会社太田出版 2015年6月28日 初版発行(発売;6月11日)
p150~
 キッチンで母親と二人っきりになると、僕は毎度のように、
「兄弟三人の中で誰がいちばん好き?」
 と、母親に尋ねた。
「あんたに決まっとおやん」
 実際は母親の愛情は兄弟三人に分け隔てなく、まったく平等に注がれていた。僕を喜ばせるために、母親がそう言ったことは知っていた。でも僕は母親の「いちばん」になりたかったのだと思う。僕は母親の笑顔が大好きだったのに、なぜ母親をあんなに泣かせるようなことをしてしまったのだろう・・・。
 母親を憎んだことなんてこれまで一度もなかった。事件後、新聞や週刊誌に「母親との関係に問題があった」、「母親の愛情に飢えていた」、「母親に責任がある」、「母親は本当は息子の犯罪に気付いていたのではないか」などと書かれた。自分のことは何と言われようと仕方ない。でも母親を非難されるのだけは我慢できなかった。母親は事件のことについては(p151~)まったく気づいていなかったし、母親は僕を本当に愛して、だいじにしてくれた。僕の起した事件と母親には何の因果関係もない。母親を振り向かせるために事件を起こしたとか、母親に気付いてほしくて事件を起こしたとか、そういう、いかにもドラマ仕立てのストーリーはわかりやすいし面白い。でも実際はそうではない。(略)あの事件は、どこまでもどこまでも、僕が「超極私的」にやったことだ。母親はいっさい関係なかった。
「僕の母親は、“母親という役割”を演じていただけ」
「母親は、ひとりの人間として僕を見ていなかった」
 少年院に居た頃、僕はそう語ったことがある。でもそれは本心ではなかった。誰もかれもが母親を「悪者」に仕立て上げようとした。ともすれば事件の元凶は母親だというニュアンスで(p152~)語られることも多かった。裁判所からは少年院側に「母子関係の改善をはかるように」という要望が出された。そんな状況の中で、いつしか僕自身、「母親を悪く思わなくてはならない」と考えるようになってしまった。そうすることで、周囲からどんなに非難されても、最後の最後まで自分を信じようとしてくれた母親を、僕は「二度」も裏切った。
 僕は自分のやったことを、母親にだけは知られたくなかった。それを知った上で、母親に「自分の子供」として愛してもらえる自信がなかったからだ。でも母親は、僕が本当はどんな人間なのか、被害者にどれほど酷いことをしてしまったのか、そのすべてを知っても、以前と同じように、いやそれ以上に、ありのままの僕を自分の一部のように受け容れ、愛し続けてくれた。「役割を演じている母親」に、そんなことができるはずがない。母親の愛には一片の嘘もなかった。僕が母親を信じる以上に、母親は僕を信じてくれた。僕が母親を愛する以上に、母親は僕を愛してくれた。
 あんなに大事に育ててくれたのに、たっぷりと愛情を注いでくれたのに、こんな生き方しかできなかったことを、母親に心から申し訳なく思う。
 母親のことを考えない日は、一日もない。僕は今でも、母親のことが大好きだ。
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〈来栖の独白 2015.06 〉
 『文藝春秋』2015年5月号【少年A 神戸連続児童殺傷 家裁審判「決定(判決)」全文公表】から、判決文〈非行に至る経緯〉には

 少年は、母乳で育てられたが、母は生後10月で離乳を強行した。

  とあるが、生後10月はさほど早期の離乳とは思えない。

 少年が幼稚園に行って恥をかくことのないよう、団体生活で必要な生活習慣や能力をきっちり身に付けさせようと、排尿、排便、食事、着替え、玩具の後片付け等を早め早めに厳しく仕付けた。

  ことも、

 人に迷惑を掛けず人から後ろ指を指されないこと、人に優しく、特に小さい子には譲り、苛めないこと、しかし自分の意見をはっきり言い、苛められたらやり返すこと、親の言うことをよく聞き、親に逆らわず従順であること等であり、長男を仕付ければ弟達は自然と見習う

  という教育方針も、

 母親が中心となって少年には厳しく叱責を続けた。口で何回も注意して聞かない時はお尻を叩くという体罰を加えた。

  のも、通常の範囲と思う。
  手記『絶歌』には、祖母との思い出が懐かしさを伴って大部の紙幅を割き、綴られている。祖母との写真も掲載されている。
  私にも覚えがあるが、私どもに次男が生まれたとき(分娩時に鉗子が赤ちゃんの眼にあたって混濁。眼科通院・治療を小学校高学年まで余儀なくされた)、私も母(長男には、祖母)に手伝いを求めたり、祖母宅で面倒を看てもらったりした。長男は、次男に多く手を取られ、また何かにつけストレートで、きつい(怖い)母親よりも、まったりした祖母のほうに甘えた。元少年Aの母親のように年子で計3人の男児を持てば、祖母の援けはどれほど力となったことだろう。
  この事件の起きた要因は、親からの過度な躾けなどではなく、祖母の死と、それに続く愛犬サスケの死ではないか、と私は考える。祖母の「死」による永訣と喪失感、「死体」となった祖母を目にしたことが、「死とは何か」というのっぴきならざる問い(『絶歌』p45)を少年Aにもたらすこととなった。やがて祖母の遺品である電気按摩器から「精通」(『絶歌』p48)を経験し、それは本人も云う「性サディズム障害」(『絶歌』p230)へと繋がり、事件を引き起こすこととなった。 以下、『絶歌』より

p48~
 体勢を起し、按摩器のスイッチを切ると、しばらく呆けたように宙を見つめた。下着の中にひんやりとした不快感がある。「血でも出たのかもしれない」。そう思い下着をめくると、見たこともない白濁したジェル状の液体がこびりついていた。(略)
 僕は祖母の位牌の前で、祖母の遺影に見つめられながら、祖母の愛用していた遺品で、祖母のことを想いながら、精通を経験した。
p49~
 僕のなかで“性”と、“死”が“罪悪感”という接着剤でがっちりと結合した瞬間だった。

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日進市 強盗殺人容疑の少年「家族のことでストレスがあり、祖父に似ていたので刺した」
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