小沢一郎氏 法制局長官の答弁復活を批判「旧体制下と同じ」 「政治塾」で講義 2012.2.13

2012-02-13 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

小沢氏 法制局長官答弁復活を批判
NHK NEWS WEB 2月13日15時8分
民主党の小沢元代表は、みずからが主宰する政治塾で講演し、政権交代のあと、認めていなかった内閣法制局長官の国会答弁を政府が復活させたことについて、「政治主導とは到底言えない」と述べ、批判しました。
この中で、小沢元代表は「われわれは『政策決定などあらゆる面で政治家が責任を持つ体制を作る』と主張し、それを国民が受け入れて政権を与えた。これが実現できていないことが、国民の民主党政権に対する最大の疑問点や不満のもとになっている」と述べました。
そのうえで、小沢氏は、政府が今の通常国会から内閣法制局長官の国会答弁を復活させたことについて、「官僚の答弁は国会ではやめようと制度化したが、すべて元に戻り、旧体制下の国会運営になっている。立法府における論議こそ政治家自身が行わなければ、政治主導とは到底言えない」と述べ、批判しました。
また、小沢氏は「自民党と同じ体制でやっていて金がないのは当たり前だ。地域の実情にそぐわず、霞が関のマニュアルでしかお金が使えないところに膨大なむだが生じており、地域主権を進めるなかで、地域にお金や権限を移すべきだ」と述べ、消費税率の引き上げよりもむだの削減を優先させる必要があるという考えを示しました。
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小沢氏、法制局長官の答弁復活を批判「旧体制下と同じ」 「政治塾」で講義
産経ニュース2012.2.13 11:40
 民主党の小沢一郎元代表は13日午前、都内で開かれている「小沢一郎政治塾」で講義を行い、野田佳彦政権が今国会から復活させた内閣法制局長官の国会答弁について「旧体制下の国会運営とまったく同じになっている。立法府における論議こそ、政治家自身で行わなければ政治主導とは到底いえない」と批判した。
 民主党は鳩山、菅両政権で法制局長官を国会審議で答弁する「政府特別補佐人」から外していた。
 また、小沢氏は首相が進める消費税増税路線を念頭に「(現政権は)カネがないと言うが、自民党と同じことをやっててカネがないのは当たり前だ。(予算の使い方を)変えずにカネがないというのはいただけない」と重ねて苦言を呈した。
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民主党大会 小沢氏演説=この理念に沿った政治をこの国が渇望しないはずがない 2010-09-15 
 〈来栖の独白 2010/09/15〉
 代表選(民主党大会)での小沢一郎氏の演説は、極めて堅実なものだった。昨年の民主党マニフェスト「脱官僚依存」が、そのまま忠実に謳われている。民主党マニフェストは、「取り調べの全面可視化」「国民(政治)による検事総長選任」「記者クラブの開放」「米国との関係見直し」など政治主導を謳ったものであり、そのため小沢氏は、大マスコミと特捜により、政治生命を絶たれるに等しい攻撃を受けた。
 勝利した菅氏には、小沢演説に静かに耳を傾け、マニフェストに立ち返って、脱官僚依存の政策を推し進めて戴きたい。「記者クラブ開放」には、当然「クロスオーナーシップの禁止」も求められる。
 ビデオに録った演説を聴きなおし、共同通信の記事も引用させて戴きながら以下に起こしてみた。全文ではない。部分的に省略した箇所がある。
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民主党代表選に於ける小沢一郎氏演説
〈前段略〉
 さて、今回の立候補にあたっては、今日の危機的な政治経済事情の中で、果たして自分にその資質があるだろうか、政治の最高責任者として国民の生活を守るというその責任を果たすことができるだろうか、と本当に悩み、自問自答いたしました。それにもかかわらず立候補を決意をしたのは、今、政治を変えなければもう間に合わないという、私の切実な思いを正々堂々、世に問いかけたかったからであります。
 思い起こせば、私は27歳で衆議院議員に初めて立候補した際、選挙公報にこうつづりました。「このままでは日本の行く末は暗澹たるものになる。こうした弊害をなくすため、まず官僚政治を打破し、政策決定を政治家の手に取り戻さなければならない」と。意志なき政治の行き着く先には国の滅亡しかありません。日本は敗戦を経て本質は変わっていないのではないか。若かりしころの、感じたその思いは初当選以来、いまなお変わっておりません。
 今日、わが国はデフレによる経済の収縮、少子高齢化の既存の社会制度のギャップによる不安など、経済も社会も危機的な状況に陥っております。
 世界で最も層が厚かった中間所得層が解体され、ごく少数の富裕層と数多くの低所得層への分化が急速に進んでおります。日本が誇った社会保障制度も崩れつつある中、2年後には団塊の世代が年金受給者となる日を迎えます。
 今、日本は、最も大事にされなければならないお年寄りがいなくなっても誰も気づかず、また、就職できない多くの若者が絶望感にさいなまされ、若い親が育児を放棄しわが子を虐待する。もはや高度成長がいろいろな問題を覆い隠してくれた時期はとうに過ぎ去って、社会の仕組みそのものが壊れています。そしてまた、日本人の精神風土も興廃し始めていると思います。
 今、ここで政治を見直し、行政を見直し、国のあり方を見直さなければ、もう日本を立て直すことができないのではないかと思います。多くの国民の皆さんも同じように感じていたのだと思います。昨年、われわれ民主党に一縷の思いを託し、政権交代を実現させていただきました。しかしもう1年が過ぎ、残された任期はあと3年であります。
 私たちは今、直ちにこの3年間を国の集中治療期間と位置づけ、徹底した改革を断行し、実行していかなければなりません。しかしその改革は明治維新以来140年続く官僚主導の政治を、根っこから国民主導、政治主導に変えなければとても成し遂げられるものではありません。私の頭の中を占めているのはその思いなのであります。
 しかし、私は官僚無用論を言っているわけではありません。日本の官僚機構は世界に冠たる人材の集まっているところであると考えております。問題は政治家がその官僚をスタッフとして使いこなし、政治家が自分の責任で政策の決定と執行の責任を負えるかどうかということであります。
 私は40代でたまたま国務大臣、自民党幹事長に就任するという機会があり、国家はどう運営されているのか、その実態を権力の中枢でつぶさに見続けて参りました。そこで見た官僚主導の、例えば予算作りでは、各省のシェアが十年一日のごとくほとんど変わることがありませんでした。官僚組織というのはそういうものであります。
 その中で私は、自民党の中にいながらこの改革は無理であることを骨身に染みて分かりました。だからこそ、政権与党である自民党を飛び出して、真にしがらみのない政党を作り、政権を変えるしかないという決意をもってこの17年間、政治活動を続けて参りました。
 改めて申しあげます。昨年、政権交代が実現したのは、こんな日本を何とか変えてくれ、という国民の悲痛なまでの叫びからだったはずであります。この声に応えようと、菅総理大臣始め閣僚の皆さんが一生懸命に取り組んでおられることを否定をするものではありません。
 しかし、政治と行政の無駄を徹底的に省き、そこから絞り出した財源を国民の生活に返すという、去年の衆院選挙マニフェストの理念はだんだん隅においやられつつあるのではないでしょうか。実際に来年度の予算編成は、概算要求で一律10%カット。これではこれまでの自民党中心の政権と変わりません。財政規律を重視するという、そういうことは大事なことではありますけれども、要は官僚の抵抗で無駄を削減できず、結局マニフェストを転換して国民に負担をお願いするだけではないでしょうか。これでは本当の意味で国民の生活は変わりません。
 私には夢があります。役所が企画した、まるで金太郎あめのような町ではなく、(地域の特色にあった町作りの中で、お年寄りも小さな子供たちも近所の人も、お互いがきずなで結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と大勢の人たちが集う都市が調和を保ち、どこでも一家だんらんの姿が見られる日本。その一方で個人個人が自らの意見を持ち、諸外国とも堂々と渡り合う自立した国家日本。そのような日本に作り直したいというのが、私の夢であります。
 日本人は千年以上前から共生の知恵として、和の文化を築きました。われわれには共生の理念と政策を世界に発信できる能力と資格が十分にあります。誰にもチャンスとぬくもりがある、豊かな日本を作るために、自立した国民から選ばれた自立した政治家が自らの見識と自らの責任で政策を決定し実行に移さなければなりません。
 そして、霞ヶ関で集中している権限と財源を地方に解き放ち、国民の手に取り戻さなければなりません。そのため、国のひも付き補助金を順次すべて地方への一括交付金に改めます。これにより、地方では自主的な町作りやインフラ整備が可能になります。国、地方を通じた大きな節約効果と、そして地域経済の活性化が期待できます。また、地域での雇用が生み出され、若者がふるさとに帰り、仕事に就くこともできるようになります。
 国民の皆さんにご負担をお願いするのは、ここにいる皆さんがありとあらゆる知恵を絞って、できることすべてに取り組んでからでいいはずであります。そしてそれが、昨年の総選挙で民主党と国民との約束でなかったでしょうか。
 衆議院の解散総選挙はこうした改革に与えられた任期を費やして、その結果を出してからのことであります。官僚支配の140年のうち、40年間、私は衆院議員として戦い抜いてきました。そしてようやく官僚機構と対立できる政権の誕生にかかわることができました。われわれは国民の生活が第一の政治の幕開けにやっとこぎつけたのであります。
 官僚依存の政治に逆戻りさせるわけにはいきません。それはとりもなおさず、政治の歴史を20世紀に後戻りさせることになるからであります。私は代表になってもできないことはできないと正直に言うつもりであります。しかし、約束したことは必ず守ります。
 こう断言できるのは官僚の壁を突破して、国民の生活が第一の政治を実行するのは、最後は政治家の志であり、改革のきずなで結ばれている皆さんとなら、長い時代の壁を突破できると信じるからであります。そして私自身は、民主党の代表すなわち国の最終責任者として、すべての責任を取る覚悟があります
 今回の選挙の結果は私にはわかりません。皆さんにこうして訴えるのも、私にとっては最後の機会になるかもしれません。従って最後にもう一つだけ付け加えさせてください。
 明治維新の偉業を達成するまでに多くの志を持った人たちの命が失われました。また、わが民主党においても、昨年の政権交代をみることなく、志半ばで亡くなった同志もおります。このことに思いをはせるとき、私は自らの政治生命の総決算として最後のご奉公をする決意であります。そして同志の皆さんとともに、日本を官僚の国から国民の国へ立て直し、次の世代に松明を引き継ぎたいと思います。
 そのために私は政治生命はおろか、自らの一命をかけて全力で頑張る決意であります。皆さんのご指示、ご理解をお願いいたしまして、私のごあいさつといたします。ありがとうございました。
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〈来栖の独白、続き〉
 「クリーン」などといった意味不明、空虚な言葉の1つもなく、肝心なことが言い尽くされて、素晴らしい演説だ。憲法一三条の理念を、小沢さん自身の言葉で語っている。この政治家を、国民が必要としないはずがない。この理念に沿った政治を、この国が待望しないはずがない。
 *演説文中、強調(太字)は、来栖。

憲法第13条
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする
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小沢一郎裁判=「官僚支配に従う者」と「国民主権を打ち立てようとする者」とを見分けるリトマス紙である 2011-10-10 
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小沢一郎氏 初公判 全発言/ 『誰が小沢一郎を殺すのか?』 2011-10-06 
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