三島由紀夫の自決の謎に連なる、もう一つの「不可解な謎」 『豊饒の海』のラストをどう読み解くか 大澤真幸 2018/12/14

2018-12-30 | 本/演劇…など

2018.12.14
三島由紀夫の自決の謎に連なる、もう一つの「不可解な謎」 『豊饒の海』のラストをどう読み解くか  
 大澤 真幸 社会学博士

  

いま解き明かされる、三島由紀夫「自決」の謎>で述べた、第一の謎=三島由紀夫の自決(クーデター未遂事件)の謎は、第二の謎=『豊饒の海』の論理的破綻という謎を経由することでしか解くことはできない。この「第二の謎」に迫る。

■三島最後の作品の驚愕のラスト
 三島由紀夫の最後の作品は、『豊饒の海』である。これは四巻からなる大長篇で、実際、三島が書いた小説の中で最も長い。
 彼は、あの日の朝(11月15日)、つまり市ヶ谷駐屯地へと向かう少し前に、連載の最終回に当たる原稿――第四巻『天人五衰』の結末にあたる原稿――が手伝いの者を通して新潮社の担当編集者の手に渡るように手はずを整えた。原稿の末尾には、擱筆日が「十一月二十五日」と記されていた。
 この結末は、実に驚くべきものなのだ。担当編集者も驚愕したという。連載の前の回までの中ではまったく予想できないような――したがって『豊饒の海』のそれまでの展開の中からは微塵も予感されていなかったような――、大どんでん返しが、最後の最後にやってくる。
 しかも探偵小説における「意外な犯人」の暴露などというものとはまったく違って、きわめて破壊的な効果をもつような終わり方なのだ。この結末を認めてしまえば、全四巻のそこまでの展開のすべてが、遡及的に、まったく無意味だったこととして否定されてしまう。三島の最後の原稿には、そんな結末が書かれていたのである。
 どのような趣旨なのかを説明するには、『豊饒の海』がどのような小説なのかを簡単に解説する必要がある。
■四部作『豊饒の海』のあらすじ
 この小説は、魂の輪廻転生を前提にしている。各巻の主人公はすべて異なっているが、彼らは転生者であり、実は同じ「人物」の反復である。彼らは皆、二十歳で死ぬ運命にあり、次巻で転生する。
 この場合、輪廻転生する魂の同一性を保証する者が、二十歳で死んでしまう主人公とは別に必要になる。それが、副主人公の本多(ほんだ)繁邦(しげくに)であり、彼は全巻を通じて登場し、異なる主人公たちが同じ魂の転生であることを確認する。本多は、作品内の三島の分身だと考えてよいだろう。
 第一巻の『春の雪』の主人公は、華族の令息、松枝(まつがえ)清顕(きよあき)である。本多は清顕と同じ歳で、二人は同級生。清顕は、幼馴染で二歳年上の綾倉聡子と激しい恋に落ちる。
 聡子と宮家との間の結婚に勅許が降りるのだが、にもかかわらず、清顕と聡子は逢瀬を重ね、関係をもつ。その結果、妊娠した聡子は、密かに堕胎した上で、出家して、月修寺という寺に退いてしまう。清顕は月修寺に通いつめるが、聡子は絶対に会おうとしなかった。
 第二巻『奔馬』の主人公は、飯沼勲(いさお)という青年である。彼は右翼のテロリストで、金融界の大物を刺殺して、割腹自殺する。三島と楯の会の若者に最も似ているのは、第二巻の主人公の勲である。
 第三巻『暁の寺』の主人公は、女性である。シャム(現タイ)の王女ジン・ジャン(月光姫)だ。本多は彼女に恋情を抱くが、彼女がレズビアンであったために、恋は実らない。
 こうして「清顕=勲=ジン・ジャン」という、転生を媒介にした等式が成り立つわけだが、第四巻で、この等式が崩れる。
 『天人五衰』の主人公は、安永透という青年だ。本多は、この青年を、清顕から始まる転生者の一人だと思い、自分の養子にするのだが、透は二十歳を過ぎても死なず、真の転生者ではなく贋ものだったことが判明する。
 こうした筋の後に、結末の驚くような転回が待っている。透が本物ではないことを知って落胆した本多は、自分の死期が近いという思いもあって、松枝清顕のかつての恋人、今や月修寺の門跡となっている聡子を訪ねることにした。
■徹底した自己否定につながる、衝撃の結末
 月修寺で対面したときに聡子が発した言葉に、本多はびっくりする。
「その松枝清顕さんという方は、どういうお人やした?」聡子は本多の口から清顕について語らせようとしているのだろうと推察し、本多は、ひとしきり清顕について物語った。これを聞き終わった聡子の反応は、まことに意外だった。彼女は感慨のない平坦な口調でこう言ったのだ。
「えろう面白いお話やすけど、松枝さんという方は、存じませんな。その松枝さんのお相手のお方さんは、何やらお人違いでっしゃろ」
 本多は愕然とする。目の前の門跡が、俗名「綾倉聡子」という、あの女性であることは間違いない。しかし、彼女は、清顕の存在も、また聡子と本多が知り合いだったとういことも、すべて本多の勘違いであり、彼の記憶(違い)が造り出した幻影ではないか、と言う。そうだとすると、清顕は存在していなかったことになる。
 清顕が存在しないならば、勲も、ジン・ジャンもいなかったことになる。それだけではない。本多は叫ぶ。「・・その上、ひょっとしたら、この私ですらも・・・」。絶対に疑いようもなく存在していると普通は見なされている「この私」すらも、存在していないことになってしまうのだ。
 何という結末であろうか。本多と聡子が対面するシーンは、四巻の大長篇の最後のほんの数ページである。この数ページによって、登場人物のすべてが存在していなかったことになる。この小説の、それまでの筋もなかったことになる。
 結局、これは作品世界の全否定であり、これ以上ありえないレヴェルの徹底した自己否定だ。展開がすべて無だったことになるのだとすれば、われわれ読者は何を読まされていたことになるのか。
 したがって、三島由紀夫をめぐる第二の謎は、『豊饒の海』の結末はどうしてかくも(自己)破壊的なものになっているのか、である。何が、どのような衝動が、三島に、このような結末を書かせたのだろうか。
■三島自身にも予想できなかった物語の最後
 まず、確実に言えることは、三島が、このような結末を意図して、『豊饒の海』を書き始めることは不可能だ、とうことだ。書いてきたことが結局、無に帰するような、そして読者を騙すような小説を、最初から意図して書くことはできない。
 実際、『豊饒の海』のために三島が残している創作ノート等の資料から、三島が、この長篇の起筆時においては、こんな破壊的な終わりを予定していなかったことが、つまりまったく違う普通の積極的・建設的な結末が計画されていたということがわかっている。
 ならば、いつ三島は計画を変更し、このような結末にしようと決めたのだろうか。
 遅くとも、第四巻を書き始めるときには、このラストは予定されていたのだろうか。第三巻の『暁の寺』を書き終え、第四巻の『天人五衰』を書き始めるまでの間の期間に書かれた「第四巻plan」というタイトルをもつ創作ノートがある。
 この中には、第四巻の筋について二つの計画が書かれているが、どちらにも、実際に書かれたような否定的な結末は予定されてはいない。
 それでも、第四巻の連載を始めたときには、あのような結末を目指して三島は書いていたのではないか、と推測している研究者が多いようだ。しかし、私はそうは思わない。
 誰もあのような結末を意図して、物語を叙することは不可能だ。結末は、小説の骨格となる基本的な主題(輪廻転生によって保証されているアイデンティティ)を否定しているからだ。
 結末をあらかじめ意図して三島が書いたとすれば、それは、作品の全体が読者を愚弄するペテンだった場合だけだが、そんなことはないだろう。
 そうだとすれば、三島は、事前のどの段階でも、あのような結末を構想したことなどないはずだ。ただ書いているうちに、作者である三島自身も制御できない流れの中で、あのような結末に到達してしまったのだ。
 結末への過程は、作者自身も自覚できていない無意識の論理に導かれていたのである。このように結末に至って最も驚いたのは、作者本人だったかもしれない。実際、小説内での三島の分身である本多は、結末で茫然自失している。
■三島は無意識下の何かに導かれて書いていた
 だが、あのような結末が作者の意図的な構想の中にあらかじめあったのか、それとも書いているうちに作者の筆があの結末へと自然と導かれていったのか、などという違いは読解の上ではどちらでもよいことではないか。そのように考える人もいるだろう。
 しかし、どちらを真実として想定するかで、解釈はまったく変わってきてしまう。そのことは、『新約聖書』福音書に記されたイエス・キリストの生涯の物語と類比させてみると理解できるはずだ。
 キリストは十字架の上で死に、その日から数えて三日目にあたる日に復活した。キリストはこのような展開になることをあらかじめ知っていたのだろうか。
 考えてみれば、キリストは神なのだから、彼は最初から結末を知っていて、そのように予定していた、と想定することも不可能ではない。それどころか、そう想定すべきだ、という主張も(神学的には)成り立ちうる。
 だがしかし、もしキリストがあらかじめ自分の死と復活を知っていたとすれば、たとえば十字架の上でキリストが「あとで復活することだし、ここは死んでおこう」などと思っていたとすれば、福音書に記された物語は、人類をバカにした茶番になってしまう。
 福音書の物語に衝撃的な意味を読み取るためには、キリストが、殺されるかもしれないという予感の中にあってもなお、救われることへの一縷の希望をもっていたと仮定しなくてはならず、それ以上に、キリストは死んだあとに自分が復活することになるなどとまったく知らなかったと仮定しておかなくてはならない。
 同じことは『豊饒の海』にも言える。あの結末に有意味な衝撃があるとすれば、それは、結末を作者があらかじめ意図してはいなかった場合だけである。三島は、無意識の論理に導かれていたのだ。だから、第二の謎を解くことは、三島自身も自覚していないこの論理を抽出することを含意している。
 では、まさに書いている中で、あのような結末に至ったのだとして、三島は、実際に、何月何日にあの部分を書いたのだろうか。
 先にも述べたように、三島の原稿には「十一月二十五日」とある。しかし、研究者の間で一般に信じられていることは、三島は最終章の原稿を夏ころにはすでに書き上げており、最期の日に、その日付だけ書き足した、ということである。夏にドナルド・キーンが、最終章の原稿を三島に見せられているからである。
 だが、厳密には、キーンは、その原稿を読んだわけではない。だから、キーンが見た原稿に、ほんとうにあの破壊的な結末が書かれていたかどうかはわからない。少なくとも確実なことは、三島としては、「それ」が書き上がった日を、昭和45年11月25日としたかった、ということである。
 私は、三島自身が記した「擱筆日」を素直に受け取ってよいと考える。実際に原稿が書かれた日と、原稿の末尾にある日との間に、何ヶ月もの違いがある、とわざわざ考えなくてはならない強い根拠はない。三島はほんとうに、「あの日」に、『豊饒の海』の結末部分を書いたのではないか。
(次回に続く)

 ◎上記事は[現代ビジネス]からの転載・引用です
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