〈来栖の独白 2019.7.3 Wed〉
五木寛之著『孤独の力』(2014年9月4日 第1刷発行)を再び読んでいる。最初読んだときには、かなり否定的な思いを抱いた。
今回も違和感は否めないが、さほどでもない。共感したのは、以下だ。
p48~ エトランジェとして
そしていま、年をとって、どんどん物理的にも孤立していくわけである。親しい人が亡くなっていく。同世代の評論家、一緒にデビューした作家たちがである。
そうすると、孤独に始まって孤独にかえるということになる。それもさして寂しいとも思わないし、こころ細いとも思わない。自分としては非常に納得がいっているのだ。本来、こういうものなのかな、というような感じがしている。
トイレに入るときも、ごはんを食べているときも活字を読んでいる人間だから、文庫本でも一冊あれば、どこにいてもそれで済んでしまうというところがある。
--------------------
* 私の実質人生は終わっている。 夕刊は「緋の河」を読む。 〈来栖の独白 2018.9.5〉…緋の河<247>
----------------------
* 「かつて寄留者であった」〈来栖の独白2016.10.5〉