湾岸戦争(1991年)から25年、国際秩序の崩れはいよいよ深刻な現実となった… 中西輝政 2016.1.4

2016-01-04 | 国際

2016.1.4 08:00更新
【正論】湾岸戦争から25年、国際秩序の崩れはいよいよ深刻な現実となった… 中西輝政
 ≪皮肉な「素晴らしき新世界」≫
 昨年、日本では「戦後70年」に人々は大きな関心を向けたが、世界では、ある戦争の「戦後25年」が差し迫った話題になっている。それは1991年に起こったあの湾岸戦争である。というのも、冷戦後の世界秩序の歴史的な崩れがいよいよ現実となってきたからである。実際、2015年の世界は、シェークスピアが人々の傲慢なほどの楽観主義はやがて大いなる幻滅と混乱をもたらすことを皮肉を込めて呼んだ「素晴らしき新世界」を現出するものとなった。
 中東とヨーロッパ・北米を覆った凄惨なイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)によるテロの連鎖と、第二次大戦以来かつてなかった大規模な難民流出という人道上の危機。目を東に転じれば、この数十年「改革・開放」を掲げグローバル経済の恩恵を受けて急成長してきた中国が、一転、強硬な軍事膨張政策を露わにし南シナ海の人工島をめぐり米軍と正面切って対峙し始めた。
 さらにプーチン政権のロシアも武力を行使してクリミアを併合した上に、ソ連時代にもやらなかったような中東への直接的な軍事介入に乗り出している。他方、アメリカは中東への本格介入は何としても避けようとしている。冷戦後の世界秩序は明らかに「底抜けした」と言うしかない状態である。
 かつて「希望の世紀」の到来と期待された冷戦終焉後の世界は、今や全く皮肉としての「素晴らしき新世界」に成り果ててしまった。一体なぜこんなことになってしまったのか。全ては「あの戦争」に起因しているのである。
 日本では湾岸戦争というと、自衛隊を派遣すべきか否かで大論争になり、結局、派遣できずに大金を支払って逆に世界から顰蹙を買った出来事、という記憶しかないかもしれない。が、あの戦争こそ今日の国際秩序の混迷の元凶だったことを知る必要があろう。
 ≪単独覇権もくろんだ湾岸戦争≫
 25年前の1月17日、湾岸戦争開戦の朝、「砂漠の嵐作戦」に参加したアメリカ第82空挺師団のある軍曹は次のような手記を残した。「今われわれは今後数百年にわたる世界の大改造のためにこの戦争を戦おうとしているのだ」。ブッシュ大統領(父)も、この戦争の目的を「世界新秩序の確立」と、その開戦演説で語った。
 確かに武力でクウェートを占領したサダム・フセインのイラクを制裁しクウェートから撤退させることは国際社会の一致した意思であった。問題はそのやり方だった。しかもアメリカの目標は理念的にすぎた。ここにアメリカの過誤があったといえる。
 実は地上戦突入の直前、イラク軍のクウェートからの無条件撤退が行われる流れができあがっていたのである。しかし、アメリカはあえてそれを許そうとはしなかった。このことは近年公開され始めた各国の外交文書や各種資料が実証するところである。
 私は湾岸戦争直後、「湾岸に沈んだ新秩序-単極体制を夢みるアメリカは世紀の過ちを犯す」と題する論文を発表した(『Voice』91年5月号)。そこでも触れたが、ブッシュ大統領は開戦演説でアメリカ独立戦争の思想的指導者トマス・ペインの言葉を引用して「この戦いは人々の魂をめぐる戦いとなろう」と語っていた。
 つまり、アメリカの圧倒的な力を世界に見せつけることによって、冷戦後の世界で「唯一の超大国」として強いリーダーシップとアメリカの単独覇権という世界秩序を作り出すことがこの戦争の目的だ、ということを意味していたのである。
 ≪アメリカの振幅と落差の大きさ≫
 実際それはあまりにも華々しく成功し、しかもあまりにもあからさまであった。その傲慢さは世界中に深い反発と怨念を残すことになった。その一つがアルカーイダなどのイスラム過激主義を生み出し「9・11」やアフガン戦争、イラク戦争をもたらし、今日のISの出現に繋がってくるのである。
 今こそオバマ大統領のアメリカは世界秩序維持のために地上軍による本格介入が求められるときであるのに、そしてアメリカにはその力があるのに、シリアの人道危機にも正面から対処しようとしない。この振幅と落差の大きさは、アメリカの同盟国としてわれわれは覚えておく必要があろう。
 湾岸戦争を見て米軍のハイテク兵器に震え上がった中国の人民解放軍は以来、営々と歴史的な大軍拡へと突き進み今日に至っている。地上戦突入の前日(91年2月23日)には、モスクワ中心部に50万人のソ連軍人が集まってアメリカへの対抗の必要を訴えた。これこそソ連崩壊を超えて、今日アメリカへの対抗心をむき出しにクリミア併合や中東介入に突き進むプーチン外交を支えるロシア国民の精神的な淵源なのだ。
 かくて世界は冷戦後の新秩序の機会を失っていったのである。25年の長丁場で世界を見る視点が求められるゆえんである。
(京都大学名誉教授・中西輝政 なかにし てるまさ)

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です *強調(太字・着色)、リンクは来栖
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湾岸戦争…多国籍軍に参加しなかった日本、「金は出しても汗はかかない」と国際社会から非難を浴びていた 
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■ 『賢者の戦略』〈手嶋龍一×佐藤優〉新潮新書 2014年12月20日発行 第4章 集団的自衛権が抱えるトラウマ 
  (抜粋)
 湾岸戦争の「敗北」
手嶋 それでは二つ目のトラウマはなんだったのでしょう。
佐藤 私の古巣になりますが、いま安倍内閣を支えている外務省の連中が抱えるトラウマです。1991年の湾岸戦争という突然の嵐に見舞われて日本外交は無惨な姿をさらけ出しました。外務官僚がこの時受けたトラウマはいまだに癒えていないんですよ。わが心の傷を安倍総理の傷にすり替えた悪知恵の働く奴がいたはずです。あの時、外務官僚が受けた衝撃は、まさに手嶋さんご自身がノンフィクションとして『1991年 日本の敗北』で (p174~)怜悧な記録を残されていますよね。のちに題を改めて『外交敗戦―130億ドルは砂に消えた』となって新潮文庫に収録され、いまも外交官の必読書です。まさしく130億ドルが白紙小切手として多国籍軍に拠出され、誰からも感謝されなかった。むしろ顰蹙すら買ってしまった。こういった事態は、二度と繰り返したくないと思ったんですよ。だから安倍さんが集団的自衛権を言い始めたこの機会を外務官僚は千載一遇のチャンスと捉えたということでしょう。
手嶋 湾岸戦争で日本が蒙った惨めな敗北は忘れられてはなりません。しかし、あの敗戦訓を引いて、いまの集団的自衛権の見直し論議に援用するのは賛成しかねます。
p178~
 「あてはめ」という魔術
手嶋 湾岸戦争で多国籍軍への参加を求められた日本政府は、何とか自衛隊を海外に派遣できないかと急きょ検討を重ねました。(略)しかし、内閣法制局は、従来の国会答弁の積み重ねを持ち出し、「否」と頑として首を縦に振りませんでした。
佐藤 外務官僚にとっては、ひどい負け戦でしたから、皆この時の議論をよく覚えています。だから、第二次安倍内閣が出現したことを絶好の機会と捉え、何とか内閣法制局を押し切って硬直した現状を変えられないかと思案を巡らせたんですよ。その結果、集団的自衛権、個別的自衛権と区別して論じることをこの際やめにして、基本的に自衛権は一つと捉えてみてはどうだろうと考えた。安全保障の概念をポスト冷戦の時代にふさわしいものに組み直し、地球の裏側までも自衛隊が行けるようにしたいと。
手嶋 そのためには、内閣法制局を包囲し、制圧しなければならなかった。そこで安倍総理が断行した最重要の人事が、内閣法制局長官の更迭です。後任には小松一郎氏を充てることだったのです。前著の『知の武装』でもこの人事が持つ意味を詳しく解説しましたが、ここで簡潔におさらいしておきましょう。小松一郎氏は外務省の国際法局長や駐仏大使を歴任した、いわば条約官僚の代表格のひとりです。第一次安倍内閣では首相の私的諮問機関、いわゆる安保法制懇の事務局を率いました。そして集団的自衛権の行使に道を拓くべく動いて、安倍総理の篤い信任を受けた人物です。法制局の長官は内部からというのが不文律でしたから、この人事は霞が関を驚かせました。これによって内閣法制局長官の座を追われた旧通産省出身の官僚には、外務省OB枠の最高裁判事のポストを譲るなどして周到な布石が打たれました。
 (略)
p180~
手嶋 鋭いなあ、官僚の内在論理に通じていなければ、その機微は見えてこないんです。ひとことでいえば、小松長官は「別にあなた方が間違ったわけじゃない」と言いくるめることで、難所を乗り切り、辞職を封じてしまったということです。
p181~
佐藤 従来あなた方が国会で答弁してきた見解は誤りでした――内閣法制局としては、こう言われる事態だけは断じて避けたい。そこで、小松長官は、「いや、あなた方が答弁してきたことは別に間違いじゃなかった。ただ、日本を取り巻く環境、客観情勢がすっかり様変わりしてしまったのですから、ここは個別的自衛権、あちらは集団的自衛権と言ってきたこれまでの見解を整理してみましょう」と言葉巧みに説得したという訳です。
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