「無期懲役では反省しない」死刑判決を受けた当事者の肉声 世界を取材をしてたどり着いた「死刑制度を残すべき理由」2023/3/27

2023-03-28 | 死刑/重刑/生命犯

「無期懲役では反省しない」死刑判決を受けた当事者の肉声 世界を取材をしてたどり着いた「死刑制度を残すべき理由」
  2023/3/27(月) 5:57配信 デイリー新潮

 野蛮で非人道的。死刑制度を廃止せよ。それが世界の潮流だという。だが、日本が「死刑があっても安全な国」であることは紛う方なき事実だ。外国からとやかく言われる筋合いがあるのだろうか。各国の現状を取材したジャーナリスト・宮下洋一による、死刑制度を巡る考察。

【写真を見る】ここで死刑執行が行われる… 東京拘置所内にある刑場

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「死刑になるのが当然」
「(死刑制度は)日本国民にはとても恥ずかしいこと」
 相容れることのない死刑制度存置派と反対派、それぞれの思い。死刑の是非を巡る“正解”への糸口は、あるひとつの事件に潜んでいた――。
 米国、フランス、スペイン、日本の4カ国を取材し、昨年12月に上梓した『死刑のある国で生きる』(新潮社)の中で、私が取り上げなかった日本の無期懲役事件がある。その事件取材を振り返ってみると、悩み続けた疑問――死刑は何のためにあるのか――の答えが改めて浮かび上がってきた。

「覚醒剤が原因での減刑が許せない」
 2012年6月10日、大阪を訪れた音楽プロデューサーの南野信吾(当時42歳)が東心斎橋の路上を散歩中、刃物を構えた一人の男に背後から突進され、倒れたところを馬乗りになって何度も刺され、死亡した。それを見て逃げようとした佐々木トシ(同66歳)も、同じように複数箇所を刺され、帰らぬ人となった。
 覚醒剤取締法違反で服役し、満期出所したばかりだった礒飛(いそひ)京三(当時36歳)による犯行で、「心斎橋通り魔殺人事件」と呼ばれた。覚醒剤中毒の後遺症で、〈刺せ〉との幻聴から拡大自殺を試みる再犯行為だった。
 昨年2月、私は、被害者である南野の妻で、娘3人を育てる母でもある有紀(52歳)に都内のホテルで会った。事件の流れを説明し終えた彼女の口から、真っ先に出た言葉はこうだった。
「これまでわびたこともないし、反省の色もない。礒飛本人が好きで覚醒剤をやっていたのに、それが原因での減刑が許せない」
 一審大阪地裁の裁判員裁判では、極刑が言い渡された。しかし、二審の公判で礒飛は、「死刑になるのは怖い」と吐露。死を恐れた。結局、二審は死刑を破棄し、無期懲役としたが、検察・弁護側ともに上告。2019年12月、最高裁は上告を棄却し、無期懲役が確定した。

「甘えてんじゃねえぞ」
 礒飛の死刑を確信していた有紀は、無期懲役という結末にがくぜんとした。
「死刑になるのが当然だと思います。夫が死んだのに、なぜ犯人が生きているんですか。生きて償ってもらわなくていいです」
 有紀は、人を殺した数よりも、礒飛が覚醒剤に溺れ、出所後に自暴自棄で刺し続けた残忍行為に照らして、判決に納得できなかった。彼女は証人として出廷した公判で、「死刑廃止論を持つ弁護人が、この裁判を利用していることにも腹が立つ」と苦言を呈した。
 被害者遺族からすると、死刑は残酷などと考える余裕はない。彼女が望むのは、犯人がこの世から消えることのみだった。
「私が死刑執行のボタンを押すので、死んでもらいたい。甘えてんじゃねぇぞ。死にたかったら、てめぇで死ね、という思いです」
 殺害された佐々木トシの長男・丹政樹(52歳)も、有紀と同じように礒飛の死刑を望んでいた。北海道の地で暮らす丹は、電話越しでこう明かした。
「(控訴審で)また死刑判決になったら上告するのかと聞くと、『それはちょっと……。上告します』と言った。自分が死にたくて2人も殺しておいて、生きたいなんて勝手だと思いましたよ。無期懲役で、いずれ出てくる可能性もある。あいつは反省しないでしょうね」
 私欲で再犯に手を染め、無辜の市民を惨殺し、改悛の様子も見られない礒飛。無期懲役が彼のために良かったのか、私のなかに問いが生まれた。

国連の理事会による死刑廃止の勧告
 今年1月14日、広島拘置所で女性死刑囚の上田美由紀が事故死を遂げた。これにより、現在、日本にいる死刑囚の数は105人。諸外国の実態はどうなのか。
 米国では、昨年4月の時点で合計2414人(死刑情報センター調べ)の死刑囚を数え、日本の約20倍にあたる。
 ただ、690人の死刑囚を抱えるカリフォルニア州のほか、ペンシルベニア州やオレゴン州などのように、過去5年間で処刑を行っていない州もある。また23州は、すでに死刑を廃止しており、この流れは今後も続く可能性が高い。
 欧州の場合、ベラルーシを除き、死刑を廃止している。欧州連合(EU)では、廃止が加盟条件でもあるからだ。韓国では、1997年以降、死刑執行はない状態だ。要するに、先進的な民主主義国家において、もはや死刑はほぼ存在しないと言っていい。
 日本は、刑法9条で「死刑、懲役、禁錮、罰金、拘留及び科料を主刑とし、没収を付加刑とする」と定めており、絞首刑が違憲でないことも、最高裁判例で示されている。
 ただ、世界的に死刑の廃止、または事実上の廃止を決めている国が144カ国ある中で、人権擁護派や日本弁護士連合会(日弁連)等は、「世界の潮流」であることなどを理由に、日本も廃止するよう求めている。
 国連の人権理事会は日本の人権状況について6年ぶりの審査を行い、死刑廃止を勧告する報告書を今年2月3日、採択した。特に、フランスやドイツが廃止を求めており、日本政府は勧告を受け入れるかどうか、6月までに見解を示す方針だという。

「形を変えた死刑」
 だが、私は、それを受け入れる必要があるのか疑問だ。なぜなら、日本の死刑よりも野蛮に思える状況を、フランスで取材していたからだ。
 欧州生活が25年以上になる私は、現地で日々、複雑な社会情勢を目の当たりにしてきた。日本に対し、死刑廃止を声高に叫ぶフランスの治安は、近年、悪化している。同国以外では報じられないが、警察による「正当防衛でない現場射殺」が、実は横行しているのだ。私はこれを、「形を変えた死刑」ではないかと考えてきた。
 昨年5月、南仏マルセイユで、現場射殺事件の被害者遺族と、加害者となった国家警察の組合事務局長を取材した。職務質問を拒否して車をバックさせた19歳の男性を警官が射殺した事件だ。犠牲者の父親は、「死刑が公共の場で復活している」と嘆いた。
 さらにその父親は、「現場射殺されるくらいなら死刑を復活させて、裁判を経た結果として処刑されたほうが、よっぽどましです」と語気を強めた。

「もし今のフランスに死刑があれば…」
 マルセイユを含む人口203万人のブーシュ・デュ・ローヌ県の殺人・殺人未遂認知件数は、2021年の1年間で149件(マルセイユ司法当局調べ)。東京都は、2020年が105件で2021年が83件(警視庁調べ)だった。人口比で見ると、同県の現状は東京都内で今の約10倍もの殺人事件が起きている感覚だ。
 こうした治安環境の中、警察組合の事務局長は、「現場射殺はやむを得ない」と指摘し、あくまで正当防衛を主張。その上で、こうも明言した。
「もし今のフランスに死刑があれば、人を殺したら自分が殺されるという意識が生まれるでしょう」
 図らずも、死刑制度による犯罪抑止力を認めた格好となった。

「日本の民主主義のためにも」
 昨年10月14日付の仏紙ルモンドは、同年1月からの10カ月間で、職務質問を拒否した市民12人が警察官に射殺されていると報じた。また、同国ラジオ局「フランスアンフォ」は、今年の1月22日にも、パリで1人の男性が警察官に銃殺されたと伝えている。
 このような状況を踏まえ、前回(2022年)の大統領選挙に出馬した野党のジャン=リュック・メランションは、昨年6月4日、ツイッター上で、ついに「死刑」という言葉を使った。

〈またも、受け入れ難い公権力乱用。職務質問拒否による死刑〉

 フランスは、ミッテラン政権時代の1981年10月、死刑を廃止している。最後にギロチン(断頭刑)が行われたのは、その4年前だった。当時、司法大臣だったロベール・バダンテール(94歳)が盟友のミッテランに働きかけ、死刑廃止を実現した。
 2021年2月、私は、パリ市内にある彼の法律事務所を訪ねている。バダンテールは、日本がなおも死刑を維持している現状を知り、肩を落とした。
「日本国民にはとても恥ずかしいこと。日本の民主主義のためにも、将来のためにも、非常に残念でならない。私は、世界中の進歩を目にしている。日本という偉大な民主主義国家で、なおも死刑があることは悲しい話だ」

死刑復活を望む世論
 しかし、今となってはその言葉にはあまり説得力を感じていない。現場射殺以外にも、フランスでは、多くの市民が事件に巻き込まれている。同国内務省によると、2012年以降、国内のテロ事件で271人の命が奪われ、約1200人が負傷しているという。大多数がホームグロウン(自国育ち)テロリストによる惨事で、死刑制度以前に人命を軽んじた行為であるとしか思えない。
 仏世論調査会社「イプソス」の調べでは、「死刑の復活は必要か」との問いに対し、「賛成」と答えているフランス人は2020年に55%、2021年に50%だった。半数以上が死刑復活を望んでいるのだ。
 欧米が求める「自由」や「平等」といった普遍的価値観の裏には、制御できない問題が隠れている。自由を与えすぎると、社会の秩序が混乱することを、私は欧米生活で学んできた。
 なぜ彼らは、銃をためらいなく使用したり、脱獄したり、街中で白昼堂々と強盗したりするのか。それは日本人とは異なる「個の生き方」にしがみついているからだ。個人主義社会での生活には、危険が頻繁に伴う。欧米で警官による射殺事件が相次ぐのは、そのためだろう。
 そんな中、世界的にも治安が良く、殺人事件の数も極めて少ない日本に対し、先進諸国は繰り返し死刑廃止を強要してくる。死刑があっても安全な国と、死刑がなくても治安の悪い国のどちらが健全かといえば、間違いなく前者ではないか。
 では、死刑は何のためにあるのか……。冒頭の疑問に対する私なりの答えが、今回の取材を終え、見えてきた。

死刑は誰のためのものか
 無期懲役刑に服する礒飛は、反省しているのだろうか。自らの死刑を望む無期懲役囚の作家・美達大和は、獄中からの著書『罪を償うということ』(小学館新書)の中で、多くの無期懲役囚に共通する心理を見抜いている。
〈相手にも落ち度があるならまだしも、そうではないのにもかかわらず、被害者と遺族のことなど眼中になく、ひたすら「シャバに出たい」としか考えていないのが現実です〉
 そして、夫を失った有紀は、「犯罪者に対する憎しみは、遺族にしか分からない。生きて償ってもらわなくていい」と発言し、死刑の正当性を主張している。
 他方、先に見たように、感情を切り離し、人権や世界的な潮流から死刑を廃止すべきだと訴える活動家たちも多くいる。
 しかし、私にとって死刑とは、もはや遺族の気持ちや人権派の信条、世界の潮流との関係で考えるものではなくなっていた。死刑とはむしろ、その刑に直面する者が「より良く生きる」ためにあるのではないかと思うようになったのだ。
 死の恐怖に向き合い、欲を捨て、改心することのほうが、出所ばかり願う無期懲役よりも、人間としての変化を望めるのではないか。

無期懲役囚は反省するのか
 私は、今年の2月9日、ある未決囚に会ってみることにした。
 現在、大阪拘置所に収監されている上村隆(56歳)だ。2010~11年に兵庫県姫路市などで、男性3人に対して殺人や逮捕監禁致死をはたらいたとして、一審、二審ともに死刑判決を言い渡され、上告中だ。犯行を指示した主犯格とされる男性は昨年10月、無期懲役が確定している。
 午後1時55分、刑務官に車椅子を押され、上村が面会室に現れた。私は、12分という短い面会時間の中で、事件の動機や背景はともかく、彼の心の中を知ることに努めた。そこで、こう尋ねた。

「死刑判決が出てから、意識的な変化はありますか」
 声に力はないが、真剣な目で話す上村は、合掌のポーズをとった。
「朝晩、手を合わせて南無阿弥陀仏を唱えるようになりましたね。相手が亡くなったことに対する責任は、やっぱりあると思ったので。1回に2分くらいの短い時間ですけどね」
 死を覚悟する上村は、遺族に対し、「申し訳ない気持ちが芽生えた」と呟いた。ただ、まだ改悛の過程を歩んでいるようにも見えた。
「首を絞めたことは後悔していません。私は、1人しかやってないし、何もしてない人を拉致したり、殺したりはしない」
 上村は、無差別殺人との違いを強調した。私は、礒飛のことを思い浮かべた。

「無期懲役囚は反省すると思いますか」
 そう聞くと上村は、「強盗や強姦殺人とかする人たちは、無期懲役のままだと、悪いことをしたとは思わないですよ」と答えた。

死刑があっても安全な国
 この言葉を聞いた私は、死刑か否かの確定が近づく前科なしの上村と、再犯で無期懲役となった礒飛の二人が、同じ凶悪犯でも性質の異なる存在に映った。人間性の差はもちろんある。だが、死を覚悟する上村からは、人への「情」を感じとることができた。
 死刑は、殺人事件を犯した人間が己を知り、己の罪と向き合いながら改心する力を与え得るものだ。死刑の目的が執行そのものであるならば、それは悪なのかもしれない。しかし、死刑には確実に「意義」が存在している。
 日本はこの先、欧米の問題も視野に入れながら、独自の死刑存廃議論を重ねていけばいいのではないだろうか。少なくとも、死刑があっても安全な国が、死刑がなくても治安の悪い国におもねらなければならない理屈を、いまの私は理解することができない。

宮下洋一(みやしたよういち)
 ジャーナリスト。 1976年生まれ。米ウエスト・バージニア州立大学卒業。バルセロナ大学大学院で国際論修士、ジャーナリズム修士。フランスとスペインを拠点に世界各地を取材。欧米での生活は約30年に及ぶ。『死刑のある国で生きる』『安楽死を遂げるまで』『卵子探しています 世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』等の著書がある。

「週刊新潮」2023年3月23日号 掲載  新潮社

 最終更新:デイリー新潮

 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です

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