四番目物 雲林院
小学館刊『謡曲集(1)』より詞章抜粋
p443~
シテ「誰(た)そやう花折るは。今日(けふ)は朝(あした)の霞(かすみ)消えしままに、夕(イふべ)の空は春の夜の、殊にのどかに眺めやる、嵐の山は名にこそ聞け、♪まことの風は吹かぬに、「花を散らすは鶯の、羽風(はかぜ)に落つるか松の響きか人か、♪それかあらぬか木(こ)の下風(したかぜ)か、あら心もとなと散らしつる花や。
p444~
シテ「や、さればこそ人の候。落花狼藉の人そこ退(の)き給へ。
ワキ「それ花は乞ふも盗むも心あり。とても散るべき花な惜しみ給ひそ。
シテ「とても散るべき花なれども、花に憂きは嵐、それも花ばかりをこそ散らせ、おことは枝ながら手折(たを)れば、風よりもなほ憂き人よ。
ワキ「何とて素性法師(そせいほふし)、見てのみや人に語らん桜花、手ごとに折りて家苞(いえづと)にせんと詠みけるぞ。
シテ「そやうに詠むもありまたある歌に、♪春風は花のあたりをよぎりて吹け、「心づからや移ろふと見ん。げにや春の夜(よ)の一時(ひととき)を、千金(せんきん)に代へじとは、花に清香(せいきやう)月に陰、千顆万顆(せんくわばんくわ)の玉よりも、宝と思ふこの花を、♪折らせ申すことは候ふまじ。
p445~
地謡♪〈上歌〉げに枝を惜しむはまた春のため、手折(たお)るは見ぬ人のため、惜しむも乞ふも情(なさけ)あり、二つの色の争ひ、柳桜(やなぎさくら)をこき交ぜて、都ぞ春の錦なる、都ぞ春の錦なる。
シテ「いかに旅人、御身はいづかたより来たり給ふぞ」
ワキ「これは津の国蘆屋(あしや)の里に、公光(きんみつ)と申す者にて候ふが、われ、幼(いとけな)かりし頃よりも、伊勢物語を手馴れ候ふところに、ある夜(よ)の夢に、とある花の陰よりも、紅(くれない)の袴(はかま)召されたる女性(にょしょう)、そくたひ給へる男(おのこ)、伊勢物語の草子(そうし)を持ちたたずみ給ふを、あたりにありつる翁(おきな)に問へば、あれこそ伊勢物語の根本、在中将業平(ざいチうじやうなりひら)、女性は二条(にでう)の后(きさき)、所は都北山陰(きたやまかげ)、紫野雲(むらさきのくも)の林(はやし)と語ると見て夢覚めぬ。あまりにあらたなる事にて
p446~
候ふほどに、これまで参りて候。
シテ「さては御身(おんみ)の心を感じつつ、伊勢物語を授けんとなり。今宵(こよひ)はここに臥し給ひ、別れし夢を待ち給へ。
p447
ワキ ワキツレ 〈上歌〉いざさらば、木陰の月に臥して見ん、木陰の月に臥して見ん、暮れなばなげの花衣、袖を片敷き臥しにけり。 *(註)「いざ今日は春の山べにまじりなむ暮れなばなげの花のかげかは」(古今・春下 素性法師)に基づく。歌意は、さあ、今日は春の山べに分け入ることになろう。日が暮れたら、そこがかりそめの花の陰の宿りであろうか、いやりっぱな花の陰の宿りなのである。「なげ」は無気(なげ)で、なさそうな、ないと同様、の意。*(訳)「さあ、それでは、木陰を漏れる月のもとで寝て夢を見よう、月のもと、木陰に寝て夢を見ることにしようと、『日が暮れたら、それこそりっぱな花の宿りだ』と歌に詠まれた、雲林院の花の散りかかる衣の、片袖を敷いて寝たのであった、衣の片袖を敷いて寝たのであった。
シテ 月やあらぬ、春や昔の春ならぬ、わが身一つは、もとの身にして。 *(註)『古今集』恋五、在原業平。歌意は、月は昔のままの月であろうか、春は昔のままの春であろうか。わが身はたしかにもとのままの体なのだが。
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狂言 長光
京に滞在していた田舎者がお土産を買おうと市場で品物に見入っていると、そこにすっぱ(詐欺師)がやってきます。
すっぱは田舎者の持っている太刀の下げ緒を一緒に市場を見物しているふりをしながら自分の体に結んでしまいます。
そしてすっぱは田舎者にこの太刀は自分の物だと言いがかりをつけふたりで口論している所へ目代(お代官様)が仲裁にやってきます。
目代は太刀の持ち主を調べるため太刀の国作(造られた国と作者)や地肌、焼付けの事を尋ねますが田舎者が最初に大きな声で目代に言うのを盗み聞きしてすっぱは答えるので、太刀の寸尺(長さ)を田舎者に耳元で答えさせるとすっぱは答えることができず結局バレてしまい目代と田舎者に追いかけられてすっぱは逃げてゆくのでした。
◎上記事の著作権は[善竹富太郎]に帰属します
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日時:平成27年5月17日(日)13:30開場 14:00開演
会場:名古屋能楽堂
演目:狂言「長光(ながみつ)」(和泉流)/シテ 佐藤融
能「雲林院(うんりんいん)」(喜多流)/シテ 長田驍
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名古屋能楽堂5月定例公演 狂言解説「長光」
預かり物の太刀を携え、都へ遣いに出掛けた関東の奉公人。道中、大津松本の市を見物していると、見知らぬ男が寄り添って、奉公人の持つ太刀の緒に手を掛けて自分の物だと主張して…。
詐欺師が近付き所有権を言い争う演目は、狂言「茶壺」にも見られますが、本曲は太刀に焦点を充てています。備前の名刀《長光》を引き合いに、焼刃。地肌の色合いなど、言葉巧みに主張し合います。
《名刀》と呼ばれる太刀は、能楽の世界(間狂言)にも登場します。能「土蜘蛛」では伝説の太刀として通称《蜘蛛切丸(膝丸)》、能「小鍛冶」においては三種の神器と呼ばれる《草薙の剣》の謂れが語られます。また同曲で刀工職人として取り上げられている三条ノ小鍛冶《宗近》など、職人の名から取った《正宗》《村正》などは、この《長光》と並び評され今でも有名です。 (井上菊次郎)
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