母の死去 そして今、私自身のepilogue 〈来栖の独白 2017.8.11〉

2017-08-11 | 日録

〈来栖の独白 2017.8.11 Fri 〉
 本年2月24日に母が亡くなり、少しずつ「母ロス」の生活に慣れていったと自分を見ていた。
 しかし、母の死と時を同じくして、私自身の人生のepilogueが始まっていた。
 母の成年後見人という立場もあったが、そんなことより母を支えなければという思いが、私を支えていたようだ。母が亡くなってから徐々に、私に張りのようなものが喪われていったと思う。
 母がいれば、母の前では、私は娘だった。が、母のいない今、老女だけが遺った。
 体の具合が悪くなった。若い頃から「首も腰も椎間板がすり減っているので、痛くて当たり前」と医師から言われていた。が、さほど痛みに悩まされた記憶はない。

                                  

 しかし、今週、実家に帰っている間に、首が痛くてならなくなった。
 堪えかねて、実家近くの整形外科クリニックを受診。ロキソニン系の緩和剤を服んだり湿布したりしているが、今も、痛い。死ぬような(死ねるような)病ではない。
 昔在籍した教会のオルガン弾き仲間の友人(3歳上)が、5月と今月初め、手紙を寄越していた。「本年1月からリウマチを病んでいます。ステージ3。オルガンも、ドクターストップ」「多分、発症は10年くらい前」と。
 リウマチの痛み・抱える精神的辛さは相当なものだ、と彼女の手紙から知る。痛みもさることながら、ピアノが弾けなくなることは、私なら想像を絶するほど辛い。これまでの、そして現在の私を支えてくれているのはピアノである。これがなくては生きてはゆけない。怖ろしい。
 流石にこの三日、ピアノを弾いていない。重い頭を首で支えて弾くことが、怖い。
 わが人生の最終章が幕を開けた。(画像;2007年10月11日撮影)
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追記
 8月は「命の尊さ」との言葉が溢れる。広島・長崎の原爆忌、そして明日12日は日航ジャンボ機墜落事故発生から32年とのことである。ご遺族の皆様のお悲しみは、私などの想像に余りあるし、いかほど歳月が流れようと薄れるものではないだろう。
 ただ、私は「命は何よりも尊貴」との言葉に出会うとき、必ずと云ってイエスの言葉を思わないではいられない。
 聖書は、「肉の命」よりも大切なものがある、と説く。

ヨハネ12章
24 よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
25 自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。

ルカ14章
26 「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。
27 自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない。

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日々、ピアノに向かう カトリック聖歌を弾き「迎えてください」と祈る 〈来栖の独白〉
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世を去る 友をば かえりみたまえ 死こそは 神への 門出なりせば 2017.3.1  

   
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1 コメント

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永遠の命 (あやか)
2017-08-12 21:02:47
お母様が、帰天されて、お淋しい、お気持ちはわかります。
しかし、宥子さまも、出来るだけ、お元気に長生きなさっていただきたいと思います。

☆☆☆私も『肉の命』を超えた、永遠の命というものが有る、と確信出来るようになりました。
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