日本はいつまで議論から逃げるのか 「生きるための安楽死」もう避けられない本格議論と日本社会の覚悟 2020/08/07

2020-08-09 | Life 死と隣合わせ

iRONNA
「生きるための安楽死」もう避けられない本格議論と日本社会の覚悟
 『上昌広』 (医療ガバナンス研究所理事長)2020/08/07

 「大久保容疑者はどんな人でしたか」
 多くのメディアから連絡があった。大久保容疑者とは大久保愉一(よしかず)医師。7月23日に筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の女性に対する嘱託殺人容疑で京都府警に逮捕された人物だ。
 筆者と大久保氏は、彼が厚生労働省の医系技官であった頃からの10年来の付き合いだ。真面目で正義感が強く信頼できる人物だった。常に日本の医療をよくしたいと考えていた。その姿勢は、彼が医系技官を退職するときに送ってきたメールにも表れていた。
 「3月末に辞めるまでに何かを残せたらと思います。医師が自ら律するようになり、国試をいずれ肩代わりするまでつなぎになるような何かを。せこい話ではありますが、これまでスタックしていたものが動けばよくなり、風通しがよくなり、教育関係者の士気が上がり、学生のやる気にもつながるのではと考えています。国任せではなく、自分たちで考える環境づくりに一役買えるのではと思うのです」
 大久保氏は厚労省が管理する医師国家試験の在り方に疑問を感じていた。問題意識は筆者も同じだった。大久保氏は腹が据わっていた。あるとき、彼から聞いた厚労省内の問題を筆者が記者に話し、記事になったことがある。
 だが、彼は、筆者に対して「局内では誰がリークしたのかの犯人捜しが始まっております。課長も憤慨しています。メールの履歴をチェックされて私が処分されそうですが、それはその時考えます」とメールで記したように、全く責めることなく、淡々と業務をこなしたのである。これが、筆者が知る大久保氏の姿だ。読者の皆さんが報道から受ける印象とは違うだろう。
 筆者は今回の嘱託殺人の詳細を知らない。メディアは、大久保氏が「やっぱりドクターキリコになりたい」と投稿するなど、「ドクター・キリコ」についてツイッターで何度も言及していたことを取り上げ、彼の変質的な側面を強調している。ドクター・キリコとは、手塚治虫の人気漫画『ブラック・ジャック』の登場人物で、高額報酬で患者の安楽死を請け負う医師のことだ。果たして、そのような動機だけで動いたのだろうか。筆者が知る大久保氏なら、相当な覚悟を持って、この件に臨んだことは想像に難くない。それほどALS患者の安楽死は重大な問題だからだ。
 ALSという難病を抱え、死を望む患者にわれわれはどう接するべきか、当事者に寄り添い真剣に考えねばならない。ところが、日本はこの問題を避けてきた。今回の事件が起こっても、真剣に取り組もうとしていない。就任したばかりの日本医師会の中川俊男会長も「嘱託殺人、安楽死議論の契機にすべきではない」と発言する始末だ。
 今こそ日本が安楽死とどう向き合うかを、社会で議論すべきである。本稿では、世界における安楽死の現状を紹介したい。

 近年、安楽死の議論は急展開を遂げている。今年2月には、ドイツの連邦憲法裁判所が医師による自殺幇助(ほうじょ)、つまり安楽死を禁じる法律を違憲とする判断を下した。医師、患者、支援者らが、安楽死の禁止は患者の自己決定権を侵害していると訴え、長年の議論の末に認められた。
 このような動きはドイツに限った話ではない。最近になって、ポルトガルやスペインでも安楽死の法制化に関する議論が進み始めた。注目すべきは、いずれもカトリックが強い国であることだ。
 終末期医療の在り方は宗教と密接に関係する。以前から安楽死を認めてきたのは、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクのベネルクス三国やスイス、米国のオレゴン州などだ。プロテスタントが強い国や地域が目立つことからも、世界の安楽死問題が大きく変わり始めていることが分かる。

 このような動きは、カトリック教会の危機意識を反映している。前教皇のベネディクト16世(在位2005~13年)が、著書の中で「教会の危機」を訴えたのは1985年だ。フランス、イタリア、スペインなどのカトリック系諸国では、信者が減少し、ミサに参加する信者は少数派に転落している。21世紀に入ると、聖職者による性的虐待事件も表面化した。
 現教皇のフランシスコは、離婚を禁じてきたカトリック教会が、再婚できる手続きを簡略化し、ジカ熱の感染予防に際し「避妊は絶対的な悪ではない」と述べるなど、さまざまな改革を断行中だ。伝統的なカトリック信者の離反を防ぎながら、現代社会にマッチしたリベラルな対応を模索しているのだろう。その一環が安楽死への対応だ。高齢化が進む先進国では、この問題は避けて通れない。

 世界は変化している。アジアも例外ではないが、安楽死への対応は欧米とは違う。その象徴が、すい臓がんを患い18年に安楽死で他界した、台湾の有名なテレビ司会者、傅達仁(フー・ダーレン)氏の存在だ。
 膵臓がんの予後は悪い。傅氏は適切な治療を求め、台湾だけでなく、中国や日本などを訪れたが、がんの進行は食い止められなかった。進行したすい臓がんは、しばしば強い痛みを伴う。モルヒネなどで治療するも、痛みに耐えられなくなり、安楽死を希望するようになった。
 彼が頼ったのが、スイスの自殺幇助団体「ディグニタス」だ。創設者で元弁護士のルドウィッグ・ミネリ氏が現在も運営している。医師の作成した診療録をスイスの裁判所が許可した場合、自殺幇助が許可される。
 傅氏の場合、費用は日本円にして約1650万円だった。09年1月には元職員による「営利目的で自殺幇助が流れ作業で行われている」という告発がメディアで報じられた。その後、刑事事件などには発展していない。
 この組織の在り方にはさまざまな意見があるが、一部の患者から強く支持されていることは間違いない。近年は「ディグニタス」に登録するアジア人が急増しており、18年末の時点で香港人36人、韓国人32人、日本人25人、台湾人24人、タイ人20人、シンガポール人18人が登録しているという。
 ジャーナリストの宮下洋一氏が著書『安楽死を遂げるまで』で紹介した人物も、この団体に安楽死を依頼した。この本の内容は、NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」(19年放送)で紹介されたため、ご存じの方も多いだろう。安楽死を遂げた女性は「死にたくても死ねない私にとって、安楽死は『お守り』のようなものです。安楽死は私に残された最後の希望です」と語っている。考えさせられる言葉だ。

 今回の事件で亡くなった女性もブログの中で「『どうしようもなくなれば楽になれる』と思えれば、先に待っている『恐怖』に毎日怯えて過ごす日々から解放されて、今日1日、今この瞬間を頑張って生きることに集中できる。『生きる』ための『安楽死』なのだ」と述べていた。
 ALSは運動神経の変性疾患で、認知能力は正常だ。好発年齢は60~70代で、十分な社会経験がある。進行は速く、多くは発症から数年で呼吸筋が麻痺し、人工呼吸器の装着が必要となる。自ら死を選ぶ患者が多いことでも知られている。
 われわれは、こうした患者のために広く海外の経験を学ぶべきだ。世界では試行錯誤が繰り返されており、ALSに限らず安楽死について多くの臨床研究が報告されている。米国立医学図書館(NLM)のデータベース「パブメド(Pubmed)」で「安楽死」と「臨床」(動物実験を除くため)で検索すると、2000~19年の間に2670報の論文が発表されていた。日本からはわずかに33報(1・2%)で、大部分は欧米、特にベネルクス三国からだった。
 ALSの安楽死に関する臨床研究も多く発表されている。02年にオランダの医師たちが、世界最高峰の医学誌である『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』に発表した報告では、203人のALS患者のうち、35人(17%)が安楽死で亡くなった。その後、09年には『ニューロロジー』、14年には『ジャーナル・オブ・ニューロロジー』に続報が報告された。ALS患者で安楽死を遂げる人の割合は2割程度で大きな変化はなく、社会が許容すれば一定数のALS患者が安楽死を選択するであろうことが分かっている。
 米オレゴン州の研究チームが17年、米医師会雑誌『JAMAオンコロジー』に発表した研究では、991人が安楽死を遂げており、基礎疾患として最も多いのは悪性腫瘍で762人(77%)、次いでALSが79人(8%)だった。社会制度、価値観が異なる米国でも一定数のALS患者が安楽死を選んでいた。3番目は呼吸器疾患44人(4・5%)、4番目は心疾患26人(2・6%)だった。
 ALSの発症頻度は人口10万人あたり1・1~2・5人(日本の場合)だ。希少疾患であるALSが安楽死の2番目の理由であることは注目に値する。ALS患者の安楽死を、他の疾患と同じように議論することは問題だ。
 ところが、このような主張は日本では皆無といっていい。今回の事件を受けて日本のメディアが取り上げたのは、東海大医学部付属病院で起きた安楽死事件に対する1995年の横浜地裁判決だ。この判決は、医師による安楽死が許容されるための4要件を示しており、そのうちの一つに「死が避けられず、かつ死期が迫っている」ことが挙げられている。これはALSには当てはまらない。はなから議論をする気がないことになる。
 日本ではいかなる理由があったとしても、ALS患者は安楽死を選択できない。この状況は近隣のアジア諸国も変わらない。欧米でも安楽死を認めているのは一部の国だが、患者が移動することで安楽死を遂げることができる。ここが欧米と、日本を含むアジアとの決定的な違いだ。

 2012年、スイスに渡航して安楽死を遂げた外国人は172人だった。患者の国籍で最も多いのはドイツ(77人)で、英国(29人)、イタリア(22人)、フランス(19人)と続く。欧州では国家のコンセンサスとは独立して、患者の自己決定権を担保する仕組みができあがっている。米国でもオレゴン州などが、そのような存在だ。アジアにそのような仕組みは存在しないため、日本のALS患者で安楽死を選択できるのは一部の富裕層などに限られることになる。

 安楽死の問題は、今後ますます深刻になっていく。認知症が増加するからだ。ベネルクス三国などでは、本人が正常な判断ができる時期に、安楽死を要望する文書を残している場合には、進行した認知症患者の安楽死が合法化されている。
 ALSと異なり、認知症の安楽死は始まったばかりで、社会的コンセンサスが形成されているとは言いがたい。ご興味がある方は情報誌『選択』の2015年2月号に掲載された「認知症で『安楽死』を認めるべきか」という記事をお読みいただきたい。その中で述べられている米ボストン在住のアーヴ医師の見解が非常に印象的だった。

 認知症の安楽死に携わるということは、人の命を救うという医師の誓いに反しているためできない。しかしその反面、医師としての経験で、認知症という病がどれほど厳しいものかは分かっている。末期の患者はもはや同一人物と言えず、愛する家族も忘れ、自分自身が誰かも分からず、介護なしで生きていけない。私自身が認知症になったら、このような状況で生きるより、人間として尊厳をもったまま、安楽死を選択したい。

 この発言は、筆者は医師として真摯(しんし)な態度だと思う。どうやっていいか分からない。だからこそ、規範論を振りかざして問題を先送りするのではなく、オープンに議論しなければならない。繰り返すが、そのためには海外の事例から学ばねばならないのだ。
 『選択』の記事が発表された後も、世界では議論が進んでいる。例えば、どうやって安楽死の意志を確認するか、についてだ。
 16年4月、オランダで74歳の女性が認知症で安楽死を遂げた。亡くなる4年前に文章で同意した際、安楽死の時期について「自分で決めたい」と記していた。ところが、主治医は安楽死の際、患者の意志を確認しなかった。判断能力を失っていると考えたためだ。この件は刑事事件となったが、19年9月に無罪判決が下った。今後、この判例がオランダの規範となる。同国では認知症の安楽死が増加傾向にあり、18年の死者の約4%にあたる6126人が安楽死で亡くなっている。
 これが世界における安楽死の現状だ。各国が患者の自己決定権を尊重しながら、社会的合意を形成すべく試行錯誤を繰り返している。日本でも、大久保氏を批判するだけではなく、患者の視点に立って議論すべきである。

 ◎上記事は[iRONNA]からの転載・引用です
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ALS嘱託殺人事件 女性に視力失う症状 意思疎通手段喪失前の安楽死希望か 「早く早く、、して」2019年10月
「ALS患者嘱託殺人」…過去の有罪事件と異質 東海大病院・国保京北病院・川崎協同病院・関西電力病院・射水市民病院
ALS嘱託殺人事件で注目された「ドクター・キリコ事件」の真相 『創』99年8月号


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