【沖縄が危ない】抹消された「米軍の功績」… 劇的に改善した衛生事情 (5)

2013-03-03 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

【沖縄が危ない】抹消された米軍の功績… 劇的に改善した衛生事情★(5)
zakzak2013.03.03
 沖縄の地元紙は、米軍軍人が事件・事故を起こすと大きく報道するが、米軍将兵が県民の命を救ったり、臓器を提供しても一切報道しない。まして、戦後、沖縄発展の基礎を築いた米国の功績は完全に抹消されている。
 1972(昭和47)年5月、沖縄は27年ぶりに日本に復帰した。日本政府が驚いたのは、戦前、「感染症のデパート」の様相を呈していた沖縄の衛生事情が一新されていたことだ。人口も戦前から31万人増えて90万人に達していた。
 戦前の沖縄は亜熱帯の風土もあり、マラリア、結核、ハンセン病、赤痢などの罹患(りかん)率が全国平均の5倍以上を記録していた。人々は感染症になると、医師の診断を受けず、ユタ(巫女)を尋ねて、祈祷にすがった。ユタは「先祖供養が足りない」「石油を飲めば治る」などと、非科学的な発言を繰り返したため、一家が全滅する不幸も発生していた。
 沖縄を45(同20)年から統治した米国は、県民教育の必要性を痛感し、米国式のプライマリ・ケア(=総合的医療)の確立を図った。沖縄振興のために10億ドル以上の国費を投入し、マラリアをはじめ種々の感染症を撲滅した。
 看護学校も46(同21)年に創立し、50(同25)年には、入学基準を高校卒に引き上げた。高度最新医療を学ぶには、日本基準の中学卒では困難と判断した。学校は全寮制で3年間。教育指導は米軍ナースと元日本陸軍看護婦がスパルタ式で行い、卒業までに4500時間の実習が課せられた。
 加えて、米軍は沖縄に極東最大、最先端の陸軍病院を建設した。そこを沖縄看護学校学生の研修の場に提供した。沖縄の看護学生をびっくりさせたのは、米軍ナースが全員将校であり、大男の看護兵をアゴでこき使っていることだった。これは、沖縄の男尊女卑の悪習に風穴を開けた。
 看護学校卒業後、看護婦の資格を付与された女性は現場に赴任するが、米政府は、看護婦資格を1年更新制とした。更新には、最新の看護学、医療機材の取り扱い法を受講した証明書を持参することが前提だった。
 大阪国立病院は57(同32)年から、沖縄の看護学校を卒業した看護婦を毎年2人、1年間研修させた。彼女らが救急外来で患者に応急措置を施し、担当医に引き継ぐ光景に、院内は騒然となったという。現在の特定看護師のシステムを、沖縄では50年以上も早く実施していた。
 日本復帰を3年後に控えた69(同44)年、日本の看護婦資格試験を看護学校の最上級生に受験させたところ、全員が高得点で合格し、日本政府を仰天させた。
 このような看護教育システムも、復帰後は日本式に改められた。つまり、「座学偏重型の教育」と「医師の御用聞き的看護婦育成システム」となった。米国式教育を受けた関係者からは「日本復帰に伴い、沖縄の看護教育は後退した」との批判が続出したという。 (八重山日報論説委員長・惠隆之介)
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 zakzak2013.02.28
 沖縄県・尖閣諸島への中国の侵略行為は、油断ならない状況に達している。いまや、戦後68年間続いた日本の平和は、中国によって破られようとしているのだ。
 ところが、わが国は沖縄戦の評価を放置してきたため、いま沖縄県内には「厭戦(えんせん)思想」が蔓延している。また左翼や地元マスコミは、沖縄戦の史実を改竄して被害者史観を膨らませており、離日工作のテコに利用している。これでは、中国から武力威嚇を受ければ、お手上げ状態に陥るであろう。
 私は小学校を沖縄に学んだ。戦後教育を受けた教師たちは「沖縄戦は、日本が沖縄を見捨てた戦いであった」と授業中、何度も繰り返していた。さらに、「日本軍は住民を避難壕から追い出し、食料も奪った」とさえ発言する教師もいた。
 ところが、三十数年前、沖縄戦を指揮した牛島満・第32軍司令官(大将)をしのび、帝国陸軍士官学校校長時代の教え子らが全国から集い、牛島司令官が自決した沖縄本島南端の摩文仁(まぶに)岳で、慰霊顕彰式典を盛大に開催した。
 これを伝え聞いた私は、これまで抱いてきた帝国陸軍軍人へのイメージが実態と乖離(かいり)しているのでは、という疑問を持ちはじめたのである。
 その後、私は沖縄戦をゼロから検証した。その結果、牛島司令官が最期まで住民保護に全力を尽くしていた史実を発見したのである。
 牛島司令官は1944(昭和19)年、沖縄に赴任するや、内務省とともに直ちに住民の疎開を促進したばかりでなく、沖縄地上戦が開始されると、米軍指揮官に軍使を送り、住民保護のために本島南部知念半島を非武装地域に指定し、米軍と共同して住民を誘導していたのである。
 15年ほど前までは、沖縄戦に確かな記憶を持つ方々が多く存命していた。地元紙にも度々、沖縄戦の体験談が掲載されていたが、その中に「戦場で日本軍兵士に救命された」とか、「避難壕に誘導されたうえ、兵糧の配給さえ受けた」という感謝の証言が散見された。
 昨年11月11日、私は愛媛県松山市内で講演を行った。冒頭、「沖縄戦で玉砕された松山歩兵第22連隊の英霊に対し、感謝申しあげます」と申し上げた。
 米軍の進出を阻止するため、第22連隊は一歩も引かなかった。沖縄戦で散華した同連隊の将兵は約2000人に上る。
 講演終了後、ご遺族が私を訪ね、こう語った。
 「沖縄県民の方に、初めて感謝されました。父は志願して沖縄戦に参加し、戦死しました。沖縄の方は、同胞として戦った旧軍人に対し、感謝するどころか非難さえしている。貴殿の今日の言葉に、私たち遺族は胸のつかえがようやくとれました」(八重山日報論説委員長・惠隆之介)
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