ともに悩み、考えたい 「死刑」について

2010-03-04 | 裁判員裁判/被害者参加/強制起訴

裁判員と「死刑」 ともに悩み、考えたい
中日新聞 社説2010年3月4日
 二人殺害の強盗殺人という死刑の可能性のあった裁判員裁判が鳥取地裁であった。今回は求刑、判決とも無期懲役だったが、裁判員が重い判断を迫られる時は来る。ともに悩み、考える時となる。
 被告は勤め先の会計事務所の社長と女性を殺害し、奪ったキャッシュカードで現金を引き出したとして強盗殺人罪に問われた。法定刑は無期懲役か死刑と重い。
 昨年六月以来、市民裁判員たちは、人を裁く難しさ、責任の重さを語ってきた。ましてや今回の裁判員らの重圧は相当なものだったに違いない。人の命を左右する役目を負った苦悩は判決後の記者会見の言葉にもにじみ出ていた。
 「被告にも被害者にも人間の尊厳がある。人の命の重さを考えて過ごした」。裁判員選任から判決までの九日間を男性裁判員は振り返った。被告や遺族の証言を百四十ページもメモにし、裁判官とともに評議に臨んだ。検察求刑の翌日は開廷せず丸一日、翌日も判決直前まで評議は続いた。何人もの裁判員が涙を流したという。
 判決は「命で償わねばならないとまでは言えない」と無期懲役を言い渡した。人の命の重さ、遺族の感情を考え合わせ、悩み抜いた末の結論だったろう。
 裁判員裁判で死刑求刑の公判は避けて通れない。年間十件前後とみられている。
 元最高裁判事の団藤重光氏は死刑事件の著書(「死刑廃止論」第四版)でこう述べている。「裁判官にとって事実認定がいちばん大事なことです。まさしく真剣勝負というよりほか言いようがないのです。まして死刑事件になると、いまさらながら事実認定の重さに打ちひしがれる思いでした」
 死刑か否か、否認事件では有罪か無罪かを裁判員は話し合い、一人ずつが決めねばならない。日本のように市民も量刑を決める参審制の国で死刑制度があるのは他にないという。
 今後は死刑制度そのもののあり方について議論は深まるだろうし、裁判員制度自体に対する真剣な意見の表明が市民の側からなされるのかもしれない。先の団藤氏は退官後、死刑廃止を唱えている。
 今回、二人の裁判員が記者会見に応じたが、評議内容はこれまで通り「評議の秘密」を理由に少しも明らかにされていない。重責を担う裁判だからこそ、国民共有の情報としてある程度は分かるよう制度運用の見直しの必要もある。
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〈来栖の独白〉
 日本カトリック司教団にお尋ねしたい。
 昨年、司教の皆さまは、「聖職者、修道者、使徒的生活の会の会員」に、裁判員を辞退するよう勧告なさいました。教会法第285条第3項(「聖職者は、国家権力の行使への参与を伴う公職を受諾することは禁じられる」)の規定に従ったものとのことでした。率直な疑問を書かせてください。
 「いのち」について、また「死刑」について、なぜ、裁判員の(国民の)皆とともに考えようとなさらないのでしょうか。「いのちの主 キリスト・イエス」を戴く聖職者・修道者の皆さまが、命について、死刑について悩む場をなぜ回避なさるのでしょうか。なぜ、「いのちの福音」を、司法という場で宣べ伝えようとされないのでしょう。
 果たして教会法は、「いのちの福音」に優先するものでしょうか。聖職者、修道者の皆さまは、教会の使徒である前に、「いのちの主」の使徒ではないのですか。

聖職者の裁判員辞退につき、最高裁に理解を求める文書提出=カトリック司教団
卑見「カトリック中央協議会の裁判員制度に関する公式見解を読む」~五木寛之氏の『親鸞』


2 コメント

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「空と・・・星。」のゆうこ様 (来栖宥子)
2010-03-06 18:38:51
 コメントとTBをありがとうございます。お返事が遅くなって申し訳ありません。必ずエントリを拝見し、感想を申し述べたいと思います。暫くお待ちください。すみません。
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Unknown (ゆうこ(ブログ「空と風と、月と、星。」のゆうこです))
2010-03-04 14:47:02
来栖宥子様、いつも私のブログにとても温かいコメントをいただき、嬉しく思っております。ありがとうございます。

死刑制度の問題については、私も、いろいろ考えてしまいます・・・。
文章も拙い私のブログですが、自分なりに死刑について考えて書いた記事を、トラックバックさせていただきました。
では、失礼いたします。
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