小沢氏ニコニコ動画会見/ネットはオープン。意見も反論もできる。新聞テレビは正確に報じない

2010-11-04 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
小沢氏緊急ネット会見
 3日、『ニコニコ動画』の討論番組に出演し、番組放送中メールで寄せられた視聴者の質問に答えた。
問い:『ニコニコ動画』に出るより国会(政倫審、証人喚問)に出る方が先ではないか?
小沢:一年余に渡る検察の強制捜査の結果、不正はないということで不起訴になった。ただ検察審査会が「法廷で明らかにすべきだ」という議決を出した。もう裁判手続きに入っている。司法府で取り上げていることを立法府が色々議論するのは3権分立の精神にもとる。政倫審や証人喚問は基本的に秘密会だが、裁判はすべて公開。『ニコニコ動画』はすべてオープン。視聴者も質問できるし、僕も意見を言える。
問い:岡田幹事長から「政倫審か証人喚問に出てください」と言われたらどうするか?
小沢:岡田君一人で決めることではない。問題を明らかにするには裁判が一番いい。
問い:岡田幹事長と『ニコ動』で対談してはどうか?
小沢:民主党のなかで対立しているように見られる恐れがある。
問い:日中関係をどう見ているか?
小沢:僕が政府の責任者だったら船長を釈放しない。中国に対しても、ロシアに対しても日本政府の主張をはっきりしなければいけない。僕は中国首脳に「何千年の歴史の中で尖閣諸島は中国の領土になったことは一度もない。あれは琉球王朝の領土だった」とはっきり言った。筋論を通せば中国は何も言わない。ゴルバチョフにも「日本は一度もソ連とは交戦していない。お前のところが日ソ不可侵条約を破って勝手に攻め込んできたんじゃないか」と言ってやった。ゴルバチョフは何も言わなかった。
問い:TPP、FTAは推進すべきか?
小沢:僕はTPP推進論者。自由貿易で一番特をするのは日本。ただ農業だけじゃなく金融も何もかも対象に入る。セーフティーネットを設けずに無防備に開けたら皆やられる。
問い:雇用はどうすればよいか?
小沢:雇用のシステムができていない。小泉政権で(労働法律を改悪し簡単に解雇できるようにしたため)雇用がガタガタになった。大企業ほど酷い。財政均衡を重視しがちだが、必要な時は赤字国債を発行することになっても積極的な経済政策を取った方がいい。
問い:なぜ民主党は政権交代を託した国民の期待に応えきれていないのか?
小沢:とにかく無駄が多い。財務省の言う通りにして「一律一割削減」なんてやってたら無駄なんてなくならない。政治家が腹を決めて「俺が責任を取るから」と役人にリーダーシップを示さないから、役人が動かない。政治不信が募りどの政党も国民の信任を得なくなったりすると極右・極左が台頭したりする。
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〈来栖の独白〉
 小沢氏は予定の1時間を30分もオーバーして語ったという。「政局の人」ではなく、「政策の人」とのイメージを再認識した。分かりやすい説明で、納得できる。
 世の中を見わたせば、すでに胡散臭いメディアの時代は終息期となり、ネットがメディアに取って代わろうとしている。「記者クラブ」など、とっくに時代遅れだ。
 小沢さんの言うように『ニコニコ動画』はすべてオープンだから、ネットの世界ではメディアの脚色に邪魔されることはなく、じかに情報に(小沢さんの言葉に)接することができる。「政治とカネ」などに振り回された時代は、忽ちに遠い過去の記憶となる。メディアがそれを阻止しようとしても、時代に逆行することに他ならず、無駄な抵抗に終わることは歴史が証明している。
 小沢さん、天が、歴史が、貴方に味方している♪ ニコ動に出演してくれて、ありがとう。貴方のお元気な姿を拝見して、安心しました。仏頂面のままで、いいですよ。貴方らしい。
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大手メディアに波紋を起こした小沢氏ネット出演
新恭 提供:永田町異聞
BLOGOS
2010年11月04日10時50分
 小沢一郎氏がインターネット動画サイト(ニコニコ生放送)の番組に出演し、90分にわたってジャーナリストや識者らの質問に答えた。
 そのスタジオに、大手テレビ局のクルーらがつめかけて収録し、ニュースとして全国放映した。
 日経新聞は「小沢氏が公開の場で発言する場に選んだのはニコニコ動画の番組だった」と書いた。
 筆者にはメディア界の新しい胎動を予感させる出来事に思える。
 それにしても、出演、取材に応じてもらえない大手メディアにすれば、小沢氏のネット出演は面白かろうはずがない。
 昨夜の報道ステーションでは、キャスターとコメンテーターとの間で奇妙な会話が交わされていた。
 古舘伊知郎氏 「どうでしょうかね、一色さん」
一色清氏 「ネットでは小沢さんは人気がありますからそちらを選んだんでしょうね」
 小沢氏はニコ生の番組で、こう語っていた。
 「意見も反論も言える仕組みなので、多くの人に分かってもらえると思って出演要請を快く引き受けた」
 ノーカット、編集なしで、たっぷりしゃべらせてくれるネット番組に、小沢氏は信頼を置いているのであろう。
 それを、「ネットで人気がありますから」と、メディアの特性への言及抜きにコメントせざるをえないのは、テレビに出演させてもらっている一色氏としても苦しいところだ。
 大テレビ局の報道番組では近ごろますます、政治家がまとまった意見を披瀝する機会が減っている。
 過剰な編集と脚色、いたずらに自分の意見を主張する大物キャスター、司会者と、そのお気に入りコメンテーター。ごった煮の映像とコメントのなかで、いきおい、小泉親子のような「ワンフレーズ」ばかりが視聴者の記憶に残り、ポピュリズムといわれる政治と言論の衰退現象が蔓延する。
 しかし、視聴者の感情に訴えるテレビ報道番組の手法が、ネット人口の増加とともに、いずれ行き詰ることは、昨日の等身大の小沢ネットインタビューと、報道ステーションの内容を引き比べ、その甚だしいイメージの乖離を見れば、容易に想像できるだろう。
 わざわざ、カメラに追われるように仏頂面で国会内を早足で歩く小沢氏の映像を流したあとで、ニコ生での発言の一部、すなわち国会招致に応じないという場面だけを切り取って、「国会の決定に従う」という約束と違うではないかという話にもっていく。
 そして、古舘氏と一色氏が、「国会での説明は必要だ」とうなずきあい、国会の審議を前に進めるために小沢氏に自覚を持ってほしいという趣旨のことさえ言う。
 補正予算の審議と小沢氏の国会招致は別の問題であることくらい誰にでも分かる。党利党略の駆けひきで国会招致が持ち出されていることも多くの国民が知っている。
 それでも、マスメディアでは「元秘書ら3人が起訴された小沢氏の政治的・道義的責任は重大で、議員辞職にも値する」(産経新聞社説)という言説がまかり通っている。
 このような報道の姿勢にも、説明責任を求めたい。
 元秘書ら三人が、東京地検特捜部の強引な捜査により、ささいな政治資金収支報告書の記載の仕方をめぐってほとんど無理やり、逮捕、起訴されたことは、ことの経緯をしっかりたどっているジャーナリストなら当然、承知しているはずだ。
 特捜が“本丸”として狙ったゼネコンからの裏献金は、どこからつついても、何の証拠も出ず、空振りに終わっている。
 政治資金収支報告書の記載ルールは、きわめて曖昧である。おそらく検察がその気になればどんな政治家の報告書からも疑問点を見つけ出すことができるだろう。
 そうしたものを別件逮捕の口実に使って三人を逮捕し、恣意的に供述を引き出して小沢という大物を釣り上げようと企図したのが検察の内実である。
 政界の最高実力者への乾坤一擲の大勝負に出ながら、やむなく検察が小沢氏を不起訴とした厳然たる事実。それは、とりもなおさず、捜査の見当違いを検察自身が認めたことにほかならない。
 同時にそれは、小沢氏にからむ「政治とカネ」の物語が、メディアがつくりあげた虚構に過ぎないという証明でもあった。
 マスコミ各社は、あたかも小沢氏がゼネコンの談合に「天の声」を出し、裏献金をもらっていたかのごとく騒ぎ立てた。ところがいまや、「天の声」という言葉はすっかり鳴りを潜めている。裁判所が西松建設事件における大久保元秘書の公判で「天の声」を否定したからである。
 「天の声」も、「裏献金」もなく、残ったのは「表の金」の動きをどのように収支報告書へ記載すべきかという問題だけとなった。
 マスメディアは、裏献金を検察が立証できないことがわかると、追及の矛先を「虚偽記載」に変えたが、これも根拠がきわめて薄弱だ。
 そこで自己を正当化するためにこんどは、「元秘書三人の逮捕」という外形的事実によって、「政治的・道義的責任は重大」とこじつけ、検察審査会が強制起訴の決定をしたことをこれ幸いに、小沢氏をお白洲に引っ張り出そうと躍起になっている。
 大阪地検特捜部の村木冤罪事件でマスメディアは検察の片棒を担いだが、実際のところ、小沢氏と元秘書らに対する東京地検特捜部の暴走ぶりにも、疑問を抱く記者は少なくない。
 それでも、小沢擁護論を書く記者は社内的に干され、テレビで検察審査会批判をしようものなら識者、ジャーナリストは番組を降ろされる。
 小沢氏が強制起訴されても無罪になる公算が強いのを知っているだけに、マスメディアは無罪判決後も「灰色」のままにして、自己正当化を貫かねばならないと考えている。
 そして、その方法としていちばん効果的なのは国会での証人喚問に小沢氏を引きずり出すことである。
 証人喚問は本来、疑惑を向けられた人の弁明の場でもあるべきだが、実際には一方的な追及、いわば魔女裁判における異端審問のようになってしまう。法廷のように検事と弁護士が対立する弁論を展開するわけではない。
 その場で宣誓をして、尋問の矢を浴びせられるだけで、疑惑紛々たる悪党のイメージが固定化するだろう。
 しかも、その場での説明は、当然のことながら、記者会見で説明したことと大差ないはずであり、怪しみの眼で見る人には、いつまでも「白」と認定してもらえない。
 つまり、たとえ強制起訴されて裁判で無罪となっても、元秘書ら三人が「白」と認められない限り、マスメディアお得意の「政治的・道義的」には「灰色」のままとなる。
 「灰色」であるかぎり、マスメディアはいつまでも政治的・道義的責任を唱えて、「説明責任」を求めることができ、小沢報道では、村木事件のように敗者とならずにすむという寸法だ。小沢バッシングを繰り返してきたことへの大きな免罪符を確保できるわけである。
 ロッキードやリクルートなど、大規模な贈収賄が想定された事件とは明らかに異なる些細な案件で、政治的糾弾パフォーマンスに過ぎない国会招致を執拗に後押しする理由は、つまるところ、そのあたりにあるのではないか。
<筆者プロフィール>
新 恭
 某全国紙の社会部記者として13年活動した後、ファッション業界に転じ、アクセサリーショップ8店舗を運営。

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