記者の目:名張毒ぶどう酒事件から半世紀=山口 知(中部報道センター)
◇執行できぬ死刑、減刑検討を
半世紀前に三重県名張市で発生した「名張毒ぶどう酒事件」は、名古屋高裁の第7次再審請求差し戻し審で今も審理が続く。無罪を主張する奥西勝死刑囚(86)は、死刑確定から40年間拘置されている。確定後6カ月以内の死刑執行を定める刑事訴訟法と実態がかけ離れているのは、無罪の可能性があり、歴代法相が執行をためらったからだろう。同様のケースは他にもある。長期にわたって死刑執行できない囚人に対する減刑を検討すべきではないか。
毒ぶどう酒事件は1961年3月、名張市の住民懇親会で農薬入りぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した。この懇親会に参加した奥西死刑囚(当時農業)が「妻と愛人(共に事件で死亡)との三角関係を清算しようとした」と自白したため逮捕され、殺人罪などで起訴された。
◇無罪の可能性、ためらう法相
事件自体、悲惨で特異だったが、裁判も「無罪」と「死刑」の両極端に揺れるという異例の展開をたどった。奥西死刑囚は起訴直前に否認に転じ、64年の1審津地裁は無罪。だが、69年の2審名古屋高裁は逆転死刑を言い渡し、72年に最高裁で刑が確定した。
奥西死刑囚は無罪を主張して再審請求を繰り返し、05年、第7次請求で名古屋高裁刑事1部は再審開始を決定した。だが06年に同2部がこの決定を取り消し、最高裁が10年に高裁に差し戻し、審理が続いている。現在の争点は、事件で使われた農薬が奥西死刑囚の自白通りの製品だったかどうかで、結論までには時間がかかりそうだ。
死刑は法相が命令しないと執行できない。一方で、名張事件は日弁連の支援事件となっている。死刑囚らが人権救済申し立てをし、冤罪(えんざい)の可能性があるなどと判断された場合、日弁連が、弁護費用の一部を負担するなどの制度だ。「日弁連が支援する再審請求事件では、法相は命令をためらう」と南山大の丸山雅夫教授(刑事法)らは推測する。背景には「無罪の可能性があるのに執行すべきではない」「執行後に無罪が判明するのを恐れている」などの倫理的、感情的な理由がある、と指摘される。
◇確定後30年以上、未執行は4人
法務省によると、11年末現在、国内の確定死刑囚は129人。死刑囚に詳しい市民団体「フォーラム90」によると、確定後、30年以上たっても未執行の死刑囚は、名張事件のほか、第6次再審請求が審理中の「マルヨ無線事件」の尾田信夫死刑囚(65)=70年確定▽犯行時に心神喪失状態だった可能性がありながら被告が控訴を取り下げた「ピアノ殺人事件」の大浜松三死刑囚(83)=77年確定▽第2次再審請求が審理中の「袴田事件」の袴田巌死刑囚(75)=80年確定--がいる。うち「ピアノ殺人事件」以外は、日弁連の支援事件だ。
国際的には「死刑は非人道的」という見解が主流で、死刑廃止国も増えている。国連拷問禁止委員会は07年、日本に対する勧告の中で、確定後30年以上たつ死刑囚がいることと、死刑の減刑例が長年ないことに「深い懸念」を表明した。神奈川大の阿部浩己教授(国際人権法)は同委の勧告について「日本がすぐに死刑を廃止するのは無理でも、前段階として死刑囚に恩赦を検討すべきだと考えたのではないか」と分析する。
一方、日本が批准する国際人権規約は、死刑囚への恩赦について「すべての場合に与えることができる」と定める。だが、日本では死刑囚への恩赦は30年以上例がない。阿部教授は「国連の委員会勧告や人権規約がある以上、日本も死刑囚への恩赦を議論すべきだ」と指摘する。
死刑の廃止は国民的な議論が進んでおらず、時期尚早だ。ならば、長期執行できない死刑囚の減刑を考えるべきではないか。何年執行されなければ減刑するのかという線引きは難しいが、一昨年に仮釈放された無期懲役受刑者の平均受刑期間は約35年、現行法では有期刑の上限は30年で、これらの数字が一つの目安になろう。一方、減刑議論では被害者遺族の心情も考慮せねばならない。
フォーラム90によると、刑確定後30年以上たっても執行されない4人の死刑囚のうち、無罪判決を一度は受けたのも、再審開始決定が出たのも、奥西死刑囚だけだ。支援者によると、高齢の奥西死刑囚は最近、「(再審請求は)これで最後になるかもしれない」と話しているという。
法相が死刑執行をためらうようなケースをこれ以上積み重ねてはならない。さまざまな事情を理由に、長年、死刑を執行できない死刑囚への減刑は、法律と実態の乖離(かいり)を少しでも解消する策になると思う。
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毎日新聞 2012年2月16日 東京朝刊
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◆ 名張毒ぶどう酒事件・奥西勝死刑囚、肺炎のため八王子医療刑務所で死亡 2015/10/4 第9次再審請求中
ただ一点、冤罪の可能性が排除できないのに、
なぜ、死刑が成り立つのか?
僕には理解できない。
もちろん、冤罪そのものがあってはならないことが、そして現在の司法制度は冤罪を生み出すべくして生み出していると思うが、仮にそれが改善せても、人間がやっている以上、間違いはありうる。
なのに、国家権力を持って人の命を奪うことが許されて良いはずない。
「無駄飯食わす必要があるか?」という議論には明確に、「労働させるべし」と答える。
もちろん、いまでも「懲役」はあるが、もしそれで自分の食い扶持を稼いでいれば問題なし。そうでなければ食い扶持を稼げるような仕事をさせれば良いだけだ。それはまったく難しくない問題だと思う。