尊厳死、自然死ブームの裏側にあるもの 胃ろうは本当にムダな医療なのか?

2013-07-04 | Life 死と隣合わせ

尊厳死、自然死ブームの裏側にあるもの 胃ろうは本当にムダな医療なのか?
Diamond online 「知らないと損する!医療費の裏ワザと落とし穴
 【第53回】2013年7月4日 早川幸子[フリーライター]
 「胃ろうしてまで生きたくない」「無駄な延命措置はしてほしくない」。日常の会話の中でも、こうした言葉を聞くことが多くなった。
 やがて訪れる人生の終末期に、自分はどのような医療を受けたいか。6月27日、厚生労働省が発表した「人生の最終段階における医療に関する意識調査」によって、終末期に国民が望む医療の姿が明らかになった。
*がん、認知症、心臓病になったら 胃ろうを望まない人は7割超
 同調査は、無作為に抽出した20歳以上の男女5000人に郵送で調査を依頼し、44%の2179人から回答を得たものだ。がん、心臓病、認知症、交通事故で回復の見込みがなくなった場合に、どこで過ごしたいか、どのような医療を希望するかなどを調査している。
 病気ごとに質問項目は若干異なるが、全体的に、肺炎になったときの抗生剤、水分補給の点滴は望むが、鼻や胃からの経管栄養、人工呼吸器の使用、心臓マッサージなどの蘇生処置は望まない人が多いようだ。
 とくに、胃ろうを望まない人は多く、次のような結果となっている。

 ◇胃瘻を望むか望まないか(一般国民が希望する治療方針)

 

 同調査では「事前指示書」についての質問もある。認知症などになって自分で物事の判断がつかなくなったときに備えて、元気なうちに終末期の治療方針を書き残しておくことに、69.7%の人が賛成と答えている。
 だが、実際に作成しているのは、賛成と答えた人のわずか3.2%。つまり、9割以上の人は終末期の医療について明確なイメージを持っているわけではなさそうなのに、なぜか胃ろうについては望まない人が7割を超えているのだ。
 死まであと数日となったとき、胃ろうによる経管栄養を拒否するのは分からないでもない。だが、今回の質問は、がんや心臓病では意識がはっきりしており、認知症も衰弱しているという段階だ。それでも望まない人が多いのは、胃ろうに対する誤解もあるのではないだろうか。
*いったん胃ろうを取り付けても 適切なケアを受ければ外せることも
 胃ろうは、お腹に開けた穴にチューブを通し、直接、胃に食べ物を流しこむ方法で、脳卒中や認知症、ALS(筋萎縮性側索硬化症)などで口から食事ができなくなったり、食べるとむせて肺炎を起こしやすい人などに取られる医療的な措置だ。
 たしかに、一度、胃ろうを作ると亡くなるまで外せない人も多い。しかし、脳梗塞などで口や喉を動かす神経が麻痺した場合などは、いったん胃ろうを作っても、食べ物を飲みこむリハビリをしたことで再び口から食べられるようになっている人もいる。
 また、数年間、胃ろうを装着していた認知症患者が、唾液腺のマッサージなどの口腔機能訓練を行い、適切な義歯(入れ歯)を装着して歯磨きするようになったら口から食事ができるようになったケースもある。
 胃ろうについての情報提供を行うNPO法人PEGドクターズネットワークの「認知症患者の胃ろうガイドライン作成調査」(2011年3月)によれば、認知症患者が胃ろうをつけたことで、生活の自立度が改善したり、胃ろう増設後も口から食事ができるようになった人もいることが報告されている。
 胃ろうは装着したら、誰もが二度と外せないものではなく、正しい医療やケアが行われれば外せることもあるのだ。
 栄養を取り入れなければ、確実に身体は弱っていく。体力を回復するためにも胃ろうは有効な手段で、使用することで元気になっている人もいる。早い段階で適切な医療を受ければ、健康を取り戻して日常生活に戻れるかもしれないのに、そうしたチャンスを得られなかったからこそ、「終末期」になってしまった人もいるのではないかという疑問も湧く。
 そうした個別の状況を知らされないまま、自分が見聞きしただけの乏しい知識の中で、なんとなく「胃ろうしてまで生きたくない……」と思っている人は案外多いのではないだろうか。
*胃ろうをつけないと思っても いざとなったら揺らぐのが当然
 死は、生の連続の先に訪れるものだ。いつからが終末期なのかを明確に示すことなどできない。であるならば、「高齢だから」「認知症だから」といったことで提供する医療を決めていいのだろうか。
 本当に患者の尊厳を考えるなら、その時々の症状に合わせて、胃ろうや人工呼吸器の装着も含めて必要な治療を考え、家族の思いや本人の希望なども総合的に判断し、治療方針を決めていくのが筋だろう。
 そうした経過を経て、胃ろうをつけないといった判断が出てきたのなら、それもひとつの答えだ。
 だが、元気なときに、自分の死を正確にイメージできる人はまずいない。当然だ。今、この世で生きている全ての人が死の未経験者なのだから。胃ろうをつけたいか、つけたくないか。本当の気持ちは、実際にその場になってみなければ分からないはずだ。
 人の気持ちは揺らぐものだ。元気なうちは「胃ろうをしてまで生きたくない」と思っていても、いざ、その時がきたら「胃ろうしても生きたい」と気持ちが変わるかもしれない。
 「胃ろうをつけてまで生きたくない」と思ったのは、あくまでも元気なときの自分だ。病気になったら心変わりしても悪いことではない。
 だが、今の流れでは、指示書を書かせて言質をとって「あなたは積極的な治療を望まなかったですよね。だから治療は差し控えますよ」という方向に持っていかれそうで心配だ。
 それを象徴するのが、今年1月の社会保障国民会議での麻生太郎副総理の「さっさと死ねるように」発言だ。人権を無視した心無い言葉に批判が起こり、その後、麻生さんは発言を撤回したが、世間では彼に同調する声も多かった。
 「無駄な」延命措置を拒否するという尊厳死協会に入る人も、いまや約12万5000人にもなっている。協会が目的としているのは、尊厳死を法制化することだ。法制化に向けて、超党派による議員連盟の動きも活発だ。
 その裏にあるのは国の経済事情だろう。
*患者に一筆書かせて「さっさと死ねる」社会へ
 2010年に119.2万人だった年間死亡者数は、2030年には今より約40万人増えて、約160万人になると推計されている。そこで、終末期にかける医療費を削減するために、胃ろうや人工呼吸器をつけないことを患者に一筆書かせておいて、「さっさと死ねるよう」な社会にしようというわけだ。
 現在は、いったん始めた人工呼吸器を途中で外すと、医師は殺人罪に問われる可能性がある。だが、法制化することで呼吸器を外しても医師は免責となり、合法的に殺人できる下地が出来上がる。
 尊厳死が法制化されれば、適切な治療を行えば助かる命も、医療行為を何もしないことが良いことのように思われ、患者は次々と死の淵に立たされるかもしれない。
 かつての過剰医療に対する反動なのか、自ら尊厳死、平穏死、自然死を求める人も増えているようだ。しかし、そのブームの裏側にある国の医療費削減策といった仕掛けを知っても、人々は素直に死を選ぶのだろうか。
 多くの人が本当に求めているのは、「最後まで自分を大切にしてほしい」「自分らしく生きたい」という尊厳ある生を全うすることだと思う。それをさせずに、尊厳死を選べば解決するかのような喧伝は、問題のすり替えでしかない。

 ◎上記事は[Diamond online]からの転載・引用です
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〈来栖の独白 2013/7/4 Thu. 〉
>いったん胃ろうを取り付けても 適切なケアを受ければ外せることも
>胃ろうをつけないと思っても いざとなったら揺らぐのが当然
 早川幸子氏は、何度ほど現場に足を運び、声を聞かれたのだろう。総ての事象は「特殊」なのだが、早川氏はそれを一般論として書いて(片づけて)おられるようだ。
 胃瘻とは、「適切なケアを受ければ外せる」ほど生易しいものではない。そもそも「適切なケア」を施す(受ける)など、稀有のケースである。
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お棺に入らないから骨をポキポキッ 延命治療の悲しき結末/医師が「不作為の殺人」を避けるための「平穏死」 2012-12-31 
「胃瘻は一種の拷問 人間かと思うような悲惨な姿になる」中村仁一著『大往生したけりゃ医療とかかわるな』
近年、人工呼吸器とともに議論の俎上に上がっているのが、「胃ろう」 
◇ 『大往生したけりゃ医療とかかわるな』/食べないから死ぬのではない、「死に時」が来たから食べないのだ

   

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