<命の償い 米国 ~第2部 死刑と冤罪~>㊤冤罪で死刑判決を受け、男は獄中で18年を失った

2023-04-12 | 死刑/重刑(国際)

冤罪で死刑判決を受け、男は獄中で18年を失った 暴かれた「最優秀検事」の不正の数々
 2023年3月20日 06時00分 

2月、米テキサス州ヒューストンで死刑制度と冤罪について話すアンソニー・グレーブスさん=杉藤貴浩撮影

<命の償い 米国 ~第2部 死刑と冤罪~>㊤

 2月、米テキサス州ヒューストンで死刑制度と冤罪について話すアンソニー・グレーブスさん=杉藤貴浩撮影

◆すぐ家に帰れるだろう
 「あのノックが私の人生を変えた」。米南部テキサス州ヒューストンにあるビルの一室で、アンソニー・グレーブス(57)は振り返った。今はここで司法関係の公務員として働くが、2010年までの18年間、獄中で暮らした過去がある。
 1992年、同州で一家6人が銃やナイフで惨殺され、家が放火される事件が起きた。「警察が君を捜しているよ」。ノックは、グレーブスを連行しにきた警官を見た隣人が、玄関のドアをたたいたものだった。
 グレーブスは当時26歳。暴力犯罪の経歴はなく、事件の夜は現場から離れた母親宅にいた。「容疑は告げられず、交通違反か何かだと思った。とにかく、すぐ家に帰れるだろうと」
 だが、取調室で告げられたのは「あなたは死刑相当の殺人罪で訴追された」という言葉だった。先に逮捕されていた容疑者ロバート・カーター=当時(26)=が、共犯としてグレーブスを名指ししたという。警官らは、泣きながら関与を否認するグレーブスの腕をねじり上げ、「捕まえたぞ」と叫んだ。

◆捜査側の思い込みと「動機」
 2年後、州地裁でグレーブスに下った判決はカーターと同様、死刑だった。グレーブスは「こんな間違いが起きうるというのが、死刑制度の恐ろしいところだ」と言う。
 カーターとは遠縁だったが、2、3回しか会ったことはなかった。後に明らかになったのは、カーターが共犯者を明かすよう取り調べで圧力を受け、逮捕直前に街で偶然見かけたグレーブスの名を口にしただけという事実。銃とナイフで6人が襲われるという大掛かりな事件に、捜査側には複数犯による犯行との強い思い込みがあった。
 凶悪事件の迅速な解決を求められるという重圧に加え、「彼らには犯人を増やせば出世につながるという動機もあった」とグレーブス。自身を死刑判決に導いた検事は、州の年間最優秀検事に輝いたという。

◆失ったものの大きさ
 判決後も無実を訴え続けた。カーターは獄中で主張を翻し、2000年に死刑を執行された際も「グレーブスは関係ない。私はうそをついた」と訴えたが、グレーブスの控訴や異議申し立ては却下され続けた。
 2010年、18年ぶりに釈放された際に支援者と肩を組むアンソニー・グレーブスさん(右)=本人提供

 結局、再審無罪の決め手となったのは、検事が裁判で行った数々の不正が明らかになり、死刑判決の有効性が否定されたことだった。検事はカーターに妻まで起訴すると脅し、公判でグレーブスの無実を口にしないよう誘導。グレーブスのアリバイの証言者も脅迫し、出廷を拒否させていた。州レベルでの上訴権が尽きたグレーブスが、連邦裁判所に訴えた末に得られた真実だった。
 「だが、18年の喪失はあまりにも大きい」。迫る死刑執行と発狂しそうなほどの単調さに耐えた日々。あのノック以来、母が年を重ね、幼い息子たちが大人になっていく姿に寄り添えなかった。
 釈放後、州の補償を手にし、好きな車と湖に近い邸宅を買った。今は司法や死刑制度の欠陥について講演もする。「みんな素晴らしいと言ってくれる。でも…」とグレーブス。未明のバルコニーで、1人泣く自分の姿を誰も知らないのだという。(ヒューストンで、杉藤貴浩、文中敬称略)
    ◇
<命の償い 米国 ~第2部 死刑と冤罪~>
 先進国の中で米国が例外的に維持する死刑制度は、日本と同じく無実の命を奪う危険をはらむ。米NPO死刑情報センターによると、米国で死刑判決を受けた後に冤罪えんざいと判明した人は1973年からの50年余りで計191人。近年も大きく減る傾向はない。不当に自由を奪われ、死の恐怖に直面した人々の声から、悲劇を生む温床を考える。

以前の連載 第1部 死刑の現実 
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 ◎上記事は[東京新聞]からの転載・引用です


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