「口から食べられない=寿命」変わる死生観で「自然死」急増の予兆
首藤由之2018.3.5 07:00週刊朝日#シニア#ヘルス#介護を考える
死を直前にした終末期に、延命措置などの医療や介護を「過剰だ」として望まないお年寄りが増えている。「亡くなり方の質」を追求し、穏やかな最期をめざす。その姿に死生観の変化を読み取り、日本の死の「スタンダード」が一変すると予想する声も出始めた。「自然死」が急増する、というのだ。
千葉県松戸市の黒田美津子さん(79)は、昨年5月に80歳だった夫の正さんを看取った。
「肺腺がんでした。見つかった時はすでにステージ4で、『余命3カ月』と言われましたが、亡くなる1カ月ほど前までの1年以上、平穏な状態が続きました。好きな囲碁を打ちに行ったり、仲間と芝居を見に行ったりで、ふだんと変わらない生活でした」
医者には抗がん剤による治療をすすめられたが、「高齢だから」と断った。
「もともと、どんな場合でも延命治療はしないと主人は決めていました。いつ、そうなるかわからないので、文書にもしてありました」
正さんが作った「病重篤・死亡時に関するメモ」には、こう記されている。
「私たち夫婦は、尊厳死を強く希望しますので、不治の病(事故等による損傷を含む。)と診断された時、一切の延命措置は不要です」
痛みが激しくなったため、最後の約2週間は病室で過ごしたが、食事はできるだけ自分の口からとり、食べられなくなってからも点滴はしなかった。
「『葬式は家族葬で』とか、『お坊さんも戒名もいらない』など、自分の死後のこともメモに残していました。作るのはさぞつらかっただろうと思います。最後の日は荒い息遣いが続き、長男が駆けつけるのを待っていたかのように、静かに逝きました」
がんによる死だが、正さんは自らの意思を貫き、望まない治療は一切受けなかった。延命治療を拒否するメモに「私たち夫婦は……」とあるように、美津子さんも同様に考えていて、実は自らもメモを作っている。正さんのものより、中身はさらに具体的だ。
「徒に死期を引き延ばすための延命措置(胃ろう・人工透析を含む)は一切お断りいたします」「私の苦痛を和らげる措置は最大限に実施してください」「いわゆる植物状態に陥った時は一切の生命維持装置をとりやめてください」……
「胃ろう」とは、口から食事がとれない時に、おなかに「小さな口」を作る手術を行い、チューブを通して直接、胃に栄養を入れる「経管栄養」のこと。「人工透析」は、腎臓の機能が低下した人に、機械を使ってその機能を人工的に代替し、血液を浄化する治療をさす。
美津子さんが言う。
「だって、嫌じゃないですか。単に生きているだけだったら。そうなったら、もういいです」
正さんは最後の数カ月は在宅医療を選択、日本の在宅医療の草分け的存在である「いらはら診療所」の苛原実医師が主治医を務めた。苛原医師によると、黒田さん夫婦のように延命治療を望まず、「自然死」型の死を求める高齢者が増えているという。
「この10年ぐらいで大きく変わった印象です。ウチに来る人やその家族は、延命治療を望まない人が大半ですね。高齢者が増え、亡くなっていくのも高齢者ばかりです。社会構造が変わるにつれて、終末医療も変わっていっているのだと思います」
とはいえ、それは在宅医療での話。依然として死亡者のうち7割以上が病院で亡くなっている。何らかの病気をきっかけに入院するなどで医療と関わり始め、治療やリハビリ、介護、入退院を繰り返しながら徐々に衰弱していき、最後は病院で亡くなる──これが、高齢者の亡くなり方のまだまだ多数派だ。
ただ、日本人と死の関係を振り返ると、病院で迎える死の「歴史」が意外に長くはないことに驚く。グラフ(略=来栖)を、もう一度ご覧いただきたい。たかだか50年前は、死亡者の半数以上が自宅で亡くなっていた。
医療・介護に詳しい国際医療福祉大学の高橋泰教授が言う。
「昔は自由に病院をつくれたことに加え、1973年に始まった老人医療費の無料化によって、80年代の中ごろまで日本の病院は右肩上がりで増え続け、それまで自宅で療養していたお年寄りが続々と入院し、病院のベッドは高齢者であふれかえるようになったのです」
そこから過剰診療とでもいうべき事態が始まる。「患者の病気を治すのが医師の仕事」と教えてきた医学教育の影響もあって、医師たちは「一日でも長く生かす」ための治療に専心するようになった。
かつて老人病院で、部屋中の老人たちが意識のないまま点滴につながれているのを目撃した医師は、その衝撃が忘れられない。
「多くの人がチューブにつながれている姿は、まさに植物の『水栽培』が行われているような光景でした。ひどいと思いました」
「スパゲティ」という言葉を聞いたことのある方も多いだろう。点滴や人工呼吸器など、いくつものチューブにつながれて生きる高齢者の終末医療の姿をさす造語だ。
そして、2000年代には「胃ろう」が「流行」した。口からモノが食べられなくなると、医師はこぞって胃ろうをすすめ、数十万人の高齢者が口から食べる生活を奪われた。しかし、栄養は体内に送られるので、生き続けることはできた。
流れを変えたのは一冊の本だった、と多くの関係者が口をそろえる。
10年に発刊された『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか』(講談社)。大病院から特別養護老人ホームの配置医に転じた石飛幸三医師が、胃ろうなど延命治療が蔓延していた状況に怒りを覚え、ホームで自然死を広める「改革」を進める姿をつづったものだ。
多くの人が疑問に感じていた終末医療の在り方に一石を投じたこの本は、関係者に衝撃を与えた。以後、胃ろうなどへの批判が高まり、10年代に入ってから胃ろうは減っていった。そして、先の苛原医師が言うように、在宅医療では「自然死」型の死が主流になっていく。
在宅医療は、病気を治すのではなく、患者の生活の質(QOL)を維持することに注力する。どういう亡くなり方をするかは、本人と家族の希望が最優先される。そのさい、「寿命」を示す一つのメルクマールと医師たちが考えるのは、石飛医師の著書のタイトルにもあるとおり、「自分の口からモノを食べられるかどうか」だ。
茨城県で在宅医療を手がける医療法人社団「いばらき会」の照沼秀也理事長が、
「本人の意思が何より大切ですが、だんだん歩けなくなって、だんだん食べられなくなっていく。それがほかの原因ではなく、フレイル(老衰)の結果だとすれば、もうすることはないと言ってもいいと思います」
と言えば、都内を中心に在宅医療を手がける医療法人社団「悠翔会」の佐々木淳理事長も、
「病気が原因ではなく、老化が原因で食べられなくなっているのなら、無理やり食べさせても元気にならないのはわかっているので、本人や家族が望まない限り積極的な治療はしませんね」
と話す。
モノを食べられなくなって点滴もしなければ、個人差はあるが、3日から1週間で息を引き取っていく。まさに「自然死」型の亡くなり方だ。
こうして「自然死」型が増えていくのを見て、今後、この流れが急速に、そして爆発的に広がる可能性を指摘する声が出てきた。
先の国際医療福祉大学の高橋教授が言う。
「あと数年かそこらで、この国の高齢者の死生観がまるっきり違うものに変わる可能性を感じています。それが現実のものになると、今の介護のありようまで変えてしまうでしょう」
高橋教授が根拠に挙げるのは、「世代」で違う価値観だ。
教授によると、大正や昭和の初期に生まれた高齢者は、生き延びることへの意思が強い。せっかく戦争を生き延びた命だから、少しでも長く生きたい、だから治療も最後までやってほしい、こう望む声が多いという。
「あの戦争を大人として生き抜いた人に、共通した価値観と言えるのかもしれません。家族や知人の死を見ているから、なおさらです。大体、今、90歳以上の人たちですね」
しかし、それが10歳程度下の世代になるとどうなるか。
「終戦時に子供だったため戦後教育の影響のほうが強く、基本的に個人主義なんです。80歳前後の人100人ほどに、『人生の最終段階で、オムツ交換や食事介助をしてもらっても生き続けたいですか』と聞くと、大半の人が『まっぴら、ごめんだ』と答えます。ましてや、これより下の世代、特にこれから後期高齢者になっていく団塊の世代には主張する人が多い。より『亡くなり方の質』にこだわるようになるはずです」
確かに、冒頭で延命治療を望まなかった黒田さん夫婦も、同じ80歳前後の世代だ。強い意思は世代に共通したものなのかもしれない。そして、こだわる「亡くなり方の質」は「トイレ」と「食事」が自分でできるかどうか、である。
高橋教授が予想する終末期は、こうだ。ぎりぎりまで自力でトイレに行ってオムツは拒否、食事も、先の在宅医療の医師たちが基準にしていたように、自分の口で食べられなくなったら寿命と考える──こういう死の姿がどんどん一般的になっていくというのだ。
「幸いITが発達しているので、トイレ関係は機械に補助してもらいながら自立を保てる時期を延ばすことができます。変わる時は、あっという間に変わってしまうと思います。よく例に挙げるのは『仲人付き結婚式』です。かつてはほとんどの人が会社の上司などに頼んで仲人をしてもらっていましたが、今はどうですか。逆にほとんどの人が仲人はつけません。結婚雑誌の調査では、昨年はわずか0.8%、1千人中8人だったといいます。誰もがモヤモヤしていることに、何らかのきっかけで方向性が出れば、広まるのに時間はかかりません」
もう一つ、このことは医療・介護の欧米化が進むことも意味する。
「欧米では、食べものを受け付けない高齢者に、食事介助をして無理やり食べさせるのは『虐待』と見なされます。口からモノを食べられなくなったらあきらめるのが一般的です」(高橋教授)
そういえば、といって高橋教授が思い出すのは、かつて90年代に米国の高齢者ケアの最先端マニュアルを翻訳したさい、「オムツ交換」や「食事介助」を意味する言葉が一切出てこないことだった。
「当時は大変な違和感を感じましたが、その後、わかったことは、要するに実際の高齢者ケアでそういう行為は存在しなかったという事実でした。私たちは、世界中がオムツ交換や食事介助、そして延命治療を行っていると勘違いしてしまったのかもしれません。国が違えば死に方も違うのです」(同)
自然死型を推進している在宅医療の医師たちは、どう見ているか。
先の悠翔会の佐々木理事長は、高橋教授とは見方がやや異なるものの、亡くなり方が変わる方向性には賛成だ。
佐々木氏は、90歳を超す今の高齢者は、長生きするとは思ってなく、つまり心の準備がないまま結果的に生きてしまった、と見ている。
「お手本もありませんから、主張もありません。しかし、団塊の世代は違います。今の高齢者というお手本があるし、延命治療をして生き続けると、どういう事態になるのかもわかっています。おのずから余計な医療や介護はいらないと、堂々と主張し始めるのではないでしょうか」
先の苛原医師も、
「以前は、例えばがんで医者が『治療をしましょう』と言うと、『先生にお任せします』と答える人がとても多かった。しかし最近は、はっきり自分の意見を言う人が増えていると実感します。医者が本人の意思を尊重するのはもちろんですが、医者の言うとおりにならない時代になっています」
佐々木氏が示唆しているが、自然死型が普及すると「日本財政が助かる」という副産物が生まれる可能性もありそうだ。団塊の世代が後期高齢者になると、医療や介護に巨額の費用がかかり財政がパンクする、いわゆる「2025年問題」が心配されているからだ。団塊の世代が終末期の医療・介護を望まなければ、問題は小さくなる。
どうやら自然死型が増えていく可能性は高そうだが、むろん注意点もある。
一つは、患者側の「気が変わる」ことがあること。先の照沼理事長によると、健康な時には延命措置はいらないと公言していても、いざそういう立場に直面すると本人が豹変することがあるという。
「つい最近のことです。60歳すぎのパーキンソン病の女性が急に寝たきり状態になってしまったんです。元気な時に、さまざまなことを説明すると、『オムツ交換は絶対に嫌』『人に体を触られたくないから、介護はいらない』と言っていましたが、寝たきりになると『使えるものは何でも使って、生き続けたい』に変わりました。もちろん本人の意思が最優先です。要は、意思が変わることがいつでも起こり得ることを知っておくことです」
もう一つは、医療・介護側で振り子が一方向に動いて行き過ぎてしまうこと。介護・医療ジャーナリストの長岡美代さんが言う。
「終末期をどうとらえるかとも絡みますが、口から食べられなくなった時の状態です。明らかに死期が迫っている臨終期なのか、まだ回復の見込みがある段階なのか。口から食べられない=寿命とステレオタイプで考えられてしまうと、逆に過小医療や過小介護の問題が生じかねません」
医療側は、さまざまな可能性に着目して対策を練りつつある。
先の照沼理事長は、患者の容体の急変などで家族が救急車を呼んでしまい、救急医によって延命治療が行われてしまうのを避ける方法を考えている。
「在宅医療、救急医療の仲間たちと昨年、『日本在宅救急研究会』を立ち上げました。患者が苦しんだ場合に家族はどうすればいいのか、救急車を呼んでしまったら、かかりつけ医と救急医でどうすれば連絡を取り合えるのかなど、いろいろなガイドラインを作るべく準備をしています」
また、厚生労働省はこの春、終末期の治療方針の決定手順などをまとめたガイドラインを11年ぶりに改定する。発表された改定案では、病院だけでなく自宅や介護施設で最期を迎える場合にも対象を広げ、今後の見通しや医療について、患者と医師らが機会があるたびに話し合う「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」の考え方が重視されている。
一つひとつ、環境整備が進みつつあるのだ。(本誌・首藤由之)
※週刊朝日 2018年3月9日号
◎上記事は[dot. ]からの転載・引用です *強調(太字)は来栖
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2018.3.5 07:00 週刊朝日#シニア#ヘルス#介護を考える
大病院から特別養護老人ホームの常勤配置医に転じた石飛幸三医師。著書『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか』(講談社、2010年刊)では、病院で胃ろうなど延命治療が蔓延していた状況に怒りを覚え、ホームで自然死を広める「改革」を進めた。現在の終末医療の在り方をどう見るのか石飛医師に聞いた。 (⇒ 続きを読む)
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