北海道補選/検察の権限が政治的に不当な影響を及ぼし、最高裁も自民党を応援した

2010-10-25 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

〈来栖の独白〉
 自民党前職の町村信孝氏が民主党新人の中前茂之氏らを破って当選した衆院北海道5区補欠選挙(2010/10/24)。メディアの典型的な論説を、末尾に挙げておく。依然として事の真相に無頓着な報道記事である。
 「政治とカネ」をでっち上げ、小沢一郎氏を葬ろうとした検察とメディア。衆院北海道5区補欠選挙においても勝利したかに見える。
 自民党は(民主党議員も)、小沢氏の国会招致などに弾みをつけるだろう。
 かくして「政治」は歪められる。郷原信郎氏が「検察の権限が政治的に不当な影響を及ぼすことについての危機感というものを、もっと強く持つ必要があるのではないか」と言われる所以である。
 国民すべてが静かに考えることをしないと、この国は亡んでしまう。太平洋戦争開戦頃の状況だ。
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“検察の正義”に委ねていいのか? 検察を支配する「悪魔」
 自民党中心の政権がずっと続いていた時代には、そのこと自体はあまり問題ありませんでした。なぜかというと、検察も政治的に大きな影響を及ぼさないように自制的に権限行使をしてきたからです。しかし現在の日本は、国民の主体的な選択によって政権が選択され、それがまだ不安定な状況です。こういう状況において検察は、「検察の権限が政治的に不当な影響を及ぼすことについての危機感というものを、もっと強く持つ必要があるのではないか」と思います。

「政治主導か官僚主導か」の戦い/メディアは「官僚支配」を「民主主義」と国民に信じ込ませてきた
あぶりだされるこの国の姿
内憂外患2010年09月10日 08時00分 田中良紹
 民主党代表選挙によってこの国の姿があぶりだされている。「官僚支配」を続けさせようとする勢力と「国民主権」を打ちたてようとする勢力とがはっきりしてきた。
 アメリカは日本を「異質な国」と見ている。「異質な国」とは「自由主義経済でも民主主義でもない国」という意味である。ある知日家は「日本は、キューバ、北朝鮮と並ぶ地上に残された三つの社会主義国の一つ」と言った。またある知日家は「日本の司法とメディアは官僚の奴隷である。そういう国を民主主義とは言わない」と言った。
 言われた時には反発を感じた。「ロシアと中国の方が異質では」と反論したがその人は首を横に振るだけだった。よくよく自らの国を点検してみると言われる通りかもしれない。何しろ百年以上も官僚が国家経営の中心にいる国である。財界も政界もそれに従属させられてきた。「官僚支配」が国民生活の隅々にまで行き渡り、国民にはそれが当たり前になっていておかしさを感じない。
 北朝鮮には顔の見える独裁者がいるが、日本には顔の見えない「空気」がある。「空気」に逆らうと排斥され、みんなで同じ事をやらないといけなくなる。その「空気」を追及していくと長い歴史の「官僚支配」に辿り着く。それが戦後は「民主主義」の衣をまとった。メディアは「官僚支配」を「民主主義」と国民に信じ込ませてきた。
 確かに複数の政党があり、普通選挙が行なわれ、国民の意思が政治に反映される仕組みがある。しかし仕組みはあっても国民の意思で権力を生み出す事が出来ない。どんなに選挙をやっても自民党だけが政権につくカラクリがあった。社会党が選挙で過半数の候補者を立てないからである。つまり政権交代をさせないようにしてきたのは社会党であった。表で自民党、裏では社会党が協力して官僚は思い通りの国家経営を行ってきた。
 民主主義とは与党と野党が権力闘争をする事である。そうすれば国民が権力闘争に参加する事が出来る。選挙によって権力を生み出すことが出来る。ある時はAという政党に権力を与え、次にBという政党に権力を与える。AとBは権力を得るために切磋琢磨する。それが官僚にとっては最も困る。異なる二つの政策の政党を両方操る事は出来ないからだ。それが昨年初めて政権交代した。
 官僚の反撃が始まる。政権与党に分裂の楔を打ち込む工作である。一つは「政治とカネ」の攻撃で、もう一つは野党に昨年の選挙のマニフェストを批判させる事で民主党の分裂を誘った。最大の攻撃対象は小沢一郎氏である。それさえ排除できれば、民主党も自民党も手のひらに乗せる事が出来る。小沢なき民主党は自民党と変わらなくなる。それが官僚の考えである。案の定、昨年の民主党マニフェストが批判されると菅総理は自民党と似たような事を言い始めた。
 従って民主党代表選挙は「政策論争」の選挙になる筈だった。積極財政を主張する小沢氏と緊縮路線の菅氏の政策競争である。小沢氏は政策を掲げて路線も明確にした。ところが菅氏が路線を明確にしない。「一に雇用、二に雇用、三に雇用」と経済政策としては全く意味不明の事を言いだし、次いで「政治とカネ」を争点にした。
 積極財政と緊縮財政は、かつて自民党内の党人派と官僚出身者がそれぞれ主張した事から、「政治主導」か「官僚主導」かに分類する事は出来る。また総理就任以来の菅総理の言動は財務省官僚のシナリオで、かつての竹下元総理と同じである。大蔵省の言う通りの政権運営をした竹下氏を金丸氏や小沢氏が批判して経世会は分裂した。
 それだけ見ても小沢VS菅の争いは「政治主導」と「官僚主導」の戦いだが、菅氏が「政治とカネ」を持ち出した事でさらにその意味が倍加された。「政治とカネ」はロッキード事件以来、検察という行政権力が政界実力者に対して犯罪とも思えない事案をほじくり出し、それをメディアに騒がせて国民の怒りを煽り、無理やり事件にした一連の出来事である。
 小沢氏の疑惑も何が事件なのか元司法担当記者である私にはさっぱり分からない。騒いでいるのは検察の手先となっている記者だけだ。メディアは勝手に小沢氏を「クロ」と断定し、勝手に「政界追放」を想定し、勝手に「総理になる筈がない」と決め付けた。小沢氏が代表選に立候補すると、自分の見立てが外れて慌てたのか、「あいた口がふさがらない」と相手のせいにした。無能なくせに間違いを認めないメディアのいつものやり口である。
 メディアはこれから必死で小沢氏が総理にならないよう頑張るだろう。世論調査をでっち上げ、選挙の見通しをでっち上げ、足を引っ張る材料を探し回る。
世論調査がでっち上げでないと言うなら、いくらの費用で、誰に調査させ、電話をした時間帯、質問の順序、会話の内容などを全て明らかにしてもらいたい。街頭インタビューと同様、あらかじめ決めた結論に沿ったデータを作る事などメディアにとっては朝飯前だ。
 メディアが頑張れば頑張るほどメディアの実像が国民に見えてくる。メディアは今自分があぶりだされている事に気づいていない。自らの墓穴を掘っている事にも気づいていない。
 「政治とカネ」が裁判になると「事実上は無罪だが有罪」という訳の分からない判決になる事が多い。しかし政治家は逮捕される前からメディアによって「クロ」にされ、長期の裁判が終る頃に「事実上の無罪」になっても意味がない。アメリカの知日家が言う通り、この国の司法は民主主義国の司法とは異なるのである。
 それを裏付けるように最高裁判所が9月8日、鈴木宗男氏に「上告棄却」を言い渡した。民主党代表戦挙の1週間前、北海道5区補欠選挙の1ヵ月半前である。多くの人が言うように一つは小沢氏を不利にする効果があり、もう一つは自民党の町村信孝氏を有利にする効果がある。最高裁の判決は二つの政治的効果を狙ったと疑われても仕方がない。疑われたくなければ10月末に判決を出しても良かったのではないか。
 北海道5区の補欠選挙への鈴木氏の影響力は大きいと言われる。自民党最大派閥の領袖が民主新人に敗れるような事になれば町村派は消滅する。官僚にとって都合の良い自民党が痛手を受ける。だからその前に判決を出した。
民主党代表選挙に関して言えば、その日開かれた菅陣営の会合でいみじくも江田五月氏が言及した。「だから菅さんを総理にしよう」と発言した。最高裁判決は菅氏を応援しているのである。
 司法もまたその実像を国民の前にさらしている。行政権力に従属する司法が民主主義の司法なのか、国民はよくよく考えた方が良い。それを変えるためには国民の代表が集う国権の最高機関で議論してもらうしかない。
 江田氏が最高裁判決に言及した菅陣営の会合での馬渕澄夫議員の発言にも驚いた。「民主主義は数ではなく、オープンな議論だ」と言ったのである。すると民主党議員の間から拍手が巻き起こった。申し訳ないが民主主義を全く分かっていない。重大な事案をオープンな場で議論する国など世界中ない。どんな民主主義国でも議会には「秘密会」があり、肝心な話は密室で行なわれる。
 日本の国会が異常なのは「秘密会」がない事だ。重大な話は官僚が決め、政治家に知らされていないので「秘密会」の必要がない。オープンな場で議論できることは勿論オープンで良いが、それだけで政治など出来る訳がない。「オープンな議論」を強調する議員は「官僚支配」を認めている話になる。政治主導を本当にやるのなら、「オープンな議論」などという子供だましをあまり強調しないほうが良い。
 民主主義は数である。国民の一票が大事な制度だからである。それをおろそかにする思想から民主主義は生まれない。政策を決めるにも一票が足りずに否決される事を考えれば、数がどれほど大事かが分かる。それに加えてアメリカでは「カネ」が重視される。「カネ」を集める能力のない人間は政治家になれない。
 菅陣営にはそういうことを理解する人が少ないようだ。この前の国会でも「オバマ大統領は個人献金でヒモ付きでないから、金融規制法案も提案できるし、核廃絶を言う事も出来る。企業の献金を貰っていたらそうはならない」と発言した民主党議員がいて、菅総理がそれに同調していた。
 とんでもない大嘘である。オバマに対する個人献金は全体の四分の一程度で、ほとんどはウォール街の金融機関からの企業献金である。企業から献金を受ければ政治家は企業の利益のためにしか働かないというのは下衆の考えで、献金を受けても政策はそれと関係なく実行するのが政治家である。核削減も平和のためと言うより米ロの交渉に中国を加えたいのがオバマの真意だと私は思うが、とにかく献金を受けるのが悪で貰わないのが善という驚くほど幼稚な議論をこの国は続けている。
 政治家が幼稚であれば官僚には好都合である。このように民主党代表選挙は図らずもこの国の様々な分野の実像を見せてくれる契機になった。そして改めて対立軸は「官僚支配」を続けさせる勢力と、昨年の選挙で初めて国民が実感した「国民主権」を守る勢力との戦いである事を認識させてくれる。

ムネオ日記 2010年9月8日(水) 鈴木宗男 / 検察ストーリー「小沢が悪で、正義は検察権力」
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補選民主敗北 政治とカネに厳しい審判
2010年10月25日 10:46
 政権党が手痛い敗北を喫した最大の原因は、誰の目にも明らかだろう。「政治とカネ」の問題である。
 菅直人改造内閣が発足して初の国政選挙となった衆院北海道5区補欠選挙は、自民党前職の町村信孝氏が、民主党新人の中前茂之氏らを破って当選した。
 元をたどれば、今回の補選は「政治とカネ」に起因していた。昨夏の衆院選で当選した民主党の小林千代美氏の陣営で組織的な選挙違反事件が摘発され、それが支持母体の北海道教職員組合による違法献金事件に発展した。
 その責任を取って小林氏が議員辞職したことに伴う補選だった。民主党にとっては、有権者の政治不信を招いた事件の反省と教訓を踏まえ、出直しを誓う国政選挙の意味合いを持っていた。
 そこへ小沢一郎元代表の「政治とカネ」が直撃する。小沢氏の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反事件で、検察審査会が小沢氏を強制起訴すべきだと議決した。補選告示の8日前だった。
 刑事被告人となる小沢氏に議員辞職や離党を求める声が高まるなど、世論は敏感に反応した。
 これに対し、「潔白」を主張する小沢氏は「辞職も離党もしない」と宣言するとともに、強制起訴議決の取り消しを求めて提訴するなど、徹底して争う姿勢をさらに鮮明にした。
 自民党など野党が小沢氏の証人喚問を要求しているのに対し、首相と民主党執行部は煮えきらない対応に終始している。非公開で偽証罪にも問われない衆院政治倫理審査会で小沢氏に弁明させる案が浮上しているが、これでさえ実現の見通しが立っていない。
 これでは、「クリーンな政治」を掲げて党代表選で小沢氏の挑戦を退け、内閣を改造して「本格稼働」を目指す-とした菅政権の政治姿勢が、有権者に疑われても仕方あるまい。
 補選で当選した町村氏は、外相や官房長官などを歴任した自民党の実力者だ。党内最大派閥の領袖でもある。
 昨夏の衆院選でその町村氏を小林氏が破った北海道5区は、劇的な政権交代を象徴する小選挙区とも言われた。
 比例代表で復活当選した町村氏は今回、議員辞職して背水の陣で補選に臨み、雪辱を果たした。
 自民党は、この補選勝利を弾みとして小沢氏の国会招致など、政府・民主党に対する攻勢を強める構えだ。補正予算案の提出を控えた臨時国会は、一段と波乱含みの様相を深めるだろう。
 敗れた民主党は猛省すべきである。まずは「政治とカネ」の問題に、きっちりとけじめをつけることだ。
 菅首相は、与野党の政策論議を通じて合意形成を目指す「熟議の国会」を繰り返し説くが、小沢氏の政治資金問題を抜きにして事態は打開できない。
 北海道5区の有権者が示した民意を、そう読み解くべきである。=2010/10/25付 西日本新聞朝刊


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