死刑制度とは、死刑にされるべきでない被告をも誤って殺してしまう危険を除去しきれない仕組み

2010-10-22 | 死刑/重刑/生命犯
アングル:死刑判決には偏見介在=ロバート・カーリーさん
 ◇米・人権のための殺人被害者遺族の会会員、ロバート・カーリーさん(55)
 1997年、私の息子ジェフは小児性愛者たちに誘拐され、性的虐待を受け殺された。当時は犯人が死刑になることを父親として当然のように望んだ。しかし、そんな私が今は死刑制度の廃止を訴え、国内外で講演活動をしている。立ち位置が逆転した理由は、現状の司法制度では弁護士の能力や被告の人種によって、同じ罪でも量刑に差が出ることを実感したからだ。
 ジェフは3人兄弟の末っ子で、事件当時は10歳だった。犯人は2人組の20代の男。前もって息子の自転車を盗んでおき、「新しい自転車を買ってあげよう」と声を掛け、車に連れ込んだ。
 犯人は自転車と引き換えに性行為を強要。息子が拒むと、ガソリンを浸した布を口に詰め込み窒息死させた。犯人は遺体で性欲を満たし、容器にコンクリート詰めして川へ投げ捨てた。
 あまりに残虐で、死刑以外の罰は考えられない犯行だった。しかし、私たち家族が住む米東部マサチューセッツ州では事件に先立つ84年、死刑制度が違法と判断されていた。私は制度の復活を求め、州法改正の市民運動を先導した。そうしなければ死んだ息子に顔向けできないと信じていた。メディアが騒ぎ世論も追い風になった。だが州議会は改正案を1票差で否決した。
 現在、死刑を禁じているのは全米で3割の15州とワシントンDC。世界的には事実上の執行停止国を除く死刑存置国は米国、日本、中国、インド、北朝鮮など3割に満たない。
 死刑に対する私の考えが一転したきっかけは、皮肉にも息子の事件の判決だった。被告のうち主犯格は通常の無期懲役であったにもかかわらず、従属的な役割だったもう1人はより重い「仮釈放なし」の無期懲役となった。なぜか。主犯格は高額の費用で腕利き弁護士を雇っていたのだ。
 ほぼ時を同じくして、国内で注目された2件の殺人事件の判決があった。そこでは貧しい黒人の被告が死刑となり、高学歴の白人被告は無期懲役となった。これらの判例を観察するうちに、私は米国の司法制度の欠陥に気付き始めた。それは、被告の貧富や人種の差が、量刑に不当な差を生じさせるという事実だ。実際に統計を調べると、被告が白人より黒人の場合と、被害者が黒人より白人の場合に、死刑判決が出やすいことも分かった。
 裁判の過程には、いくつもの人の判断が介在する。人間から偏見を取り除き、完全に公平な判断を求めるのは不可能だ。死刑制度とは、本来なら死刑にされるべきでない被告をも誤って殺してしまう危険を、除去しきれない仕組みなのだ。
 私はボストン近郊の下町に住み、今も消防士として働いている。世間的にはいわゆる労働者階級に分類されるのだろう。自らの生い立ちを振り返ると、もし被告席に立たされた場合、自分は不当に重い刑を受ける側の人間に近い気がしてならない。そう思うと、あの時死刑制度の復活を認めなかった州議会の冷静な判断に、感謝の念すら覚えるのだ。【構成・朴鐘珠】毎日新聞 2010年10月22日 東京朝刊 *強調(太字)は、来栖

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