連続企業爆破事件 大道寺将司死刑囚が病死 東京拘置所 2017/5/24

2017-05-24 | 死刑/重刑/生命犯

連続企業爆破事件 大道寺将司死刑囚が拘置所で病死
NHK NEWS WEB 2017/5月24日 14時00分
 昭和49年から翌年にかけて三菱重工の本社などが相次いで爆破された事件で、殺人などの罪に問われた大道寺将司死刑囚が24日午前、多発性骨髄腫のため東京拘置所で死亡しました。
 昭和49年から翌年にかけて三菱重工や間組の本社などが相次いで爆破された事件では、最も被害が大きかった三菱重工ビルの事件で8人が死亡し165人が重軽傷を負いました。
 一連の事件で東アジア反日武装戦線の大道寺将司死刑囚(68)は殺人などの罪に問われ、昭和62年に最高裁判所で死刑が確定しました。大道寺死刑囚は「爆弾に人が死ぬほどの威力があるとは思わなかった」として再審=裁判のやり直しを求めましたが、平成20年に最高裁判所が認めない判断を示したため、改めて東京地方裁判所に再審を求めていました。
 法務省によりますと、大道寺死刑囚は7年前に多発性骨髄腫と診断され治療を受けていましたが24日午前、収容されていた東京拘置所で死亡したということです。これにより全国の拘置所にいる死刑囚は127人となりました。
■連続企業爆破事件とは
 連続企業爆破事件は、昭和49年から50年にかけて過激派の「東アジア反日武装戦線」が起こしたものです。三菱重工や三井物産、それに間組など海外に進出していた企業が標的にされ12件の爆弾事件が相次ぎました。
 このうち昭和49年8月の三菱重工ビル爆破事件は、白昼、東京・丸の内のオフィス街で起き、昼休み中のサラリーマンら8人が死亡、165人が重軽傷を負いました。
 合わせて8人が起訴され、大道寺将司死刑囚と益永利明、旧姓・片岡利明死刑囚が死刑判決を受け、確定しました。しかし8人のうち3人は、日本赤軍が海外で大使館占拠事件やハイジャック事件を起こした際に超法規的措置によって釈放されました。その後、1人は逮捕され有罪が確定しましたが、残り2人は現在も国際手配されています。

 ◎上記事は[NHK NEWS WEB]からの転載・引用です
--------------------------------------
連続企業爆破、大道寺将司死刑囚が拘置所で死亡
読売新聞 2017.05.25 00:34
 法務省は24日、1970年代の連続企業爆破事件で殺人罪などに問われ、87年に死刑が確定した大道寺将司死刑囚(68)が同日午前、多発性骨髄腫のため、東京拘置所で死亡したと発表した。
 2010年にがんと診断され、拘置所内で治療を受けていた。
 確定判決などによると、「東アジア反日武装戦線」の「狼(おおかみ)」グループに属していた大道寺死刑囚は、メンバーの益永(旧姓・片岡)利明死刑囚(68)らと共謀し、三菱重工ビルなど大手企業を狙った爆破事件を相次いで起こした。1974年8月中旬には、天皇特別列車を爆破しようと東京都北区の荒川鉄橋に手製爆弾を仕掛けようとするなどした。
  一連の事件では、「狼」などのメンバー計8人が逮捕されたが、うち3人は日本赤軍が起こしたクアラルンプール事件(75年)とダッカ事件(77年)の「超法規的措置」などで釈放され、国外に逃亡。3人のうち1人は95年にルーマニアで拘束され、2004年に懲役20年の有罪が確定したが、佐々木規夫(68)と大道寺あや子(68)の両被告は現在も国際手配されている。
  大道寺死刑囚は最高裁で死刑が確定した後も、殺意を否定して再審請求を続ける一方、獄中で俳句を作り、句集を出版していた。
  三菱重工ビル事件で妹のとし子さん(当時23歳)を亡くした松田将希(まさき)さん(70)は「事件から40年以上たつが、妹のことを忘れた日は一日もない。早く刑を執行してほしかったが、時間をかけ過ぎた」と複雑な心境を吐露した。
  大道寺死刑囚の親族女性(59)によると、大道寺死刑囚は最近、体調が悪化。今月15日の面会では、布団に横になり、呼びかけにも反応がなかったという。
  連続企業爆破事件の捜査に携わった元検事総長の松尾邦弘弁護士(74)は「遺族の心情を考えると、病死という結末は残念だ。共犯者が逃亡中で、刑の執行に慎重にならざるをえなかったのだろう」と語った。

 ◎上記事は[NEWS ポストセブン]からの転載・引用です
――――――――――――――――――――――――
東京拘置所「衛生夫」が語った オウム首魁「麻原彰晃」闇の房 / 大道寺将司~午後の一番風呂の“厚遇”
「辺見庸 ある死刑囚との対話」 連続企業爆破事件死刑囚・大道寺将司全句集『棺一基』 
...........


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。