連続児童殺傷事件20年 犯罪被害の家族支援充実を
NHK NEWS WEB 2017/5月24日 4時47分
平成9年に神戸市で起きた児童連続殺傷事件で、小学6年生だった男の子が殺害されてから24日で20年になります。男の子の父親がNHKのインタビューに応じ、「息子を思う気持ちは変わることがない」としたうえで、犯罪の被害に遭った家族への支援をさらに充実させるべきだと訴えました。
平成9年に神戸市須磨区で起きた児童連続殺傷事件では、小学6年生だった土師淳くん(当時11)が、当時14歳の少年に殺害されました。少年はその後、医療少年院で更生に向けた教育を受け、平成17年に退院しています。
事件から24日で20年になるのに合わせて、淳くんの父親の守さん(61)が、NHKのインタビューに応じました。この中で、守さんは、「20年はあっという間だったが、20歳、30歳と成長した息子の姿を想像することはできず、11歳で止まったままだ。子どもを思う気持ちは変わることがない」と語りました。
そのうえで、「なぜ、私たちの子どもが命を奪われなければならかったのか、それがいちばん知りたかったのに、遺族には権利もなく、何も知らされなかった」と述べ、当時、遺族に配慮した制度が乏しかったことを振り返りました。
事件のあと守さんは、ほかの犯罪被害者の家族とともに支援の必要性を訴え、遺族による少年審判の傍聴や審判結果の通知などが行われるようになりました。一方で、守さんは、「被害者のきょうだいも事件のショックで学校に行けなくなるなど大きな影響を受けるのに、精神的なケアといった公的な支援がない」と指摘し、親だけでなく、家族を含めた被害者支援のさらなる充実を求めました。
また、事件から18年がたったおととし、加害者の元少年が犯行のいきさつなどをつづった手記を出版したことについて、「二次被害というより、被害者や遺族に対する犯罪とも言える行為で、許されることではない。表現の自由といっても、規制は必要だ」と述べました。
そして最後に、「大切な子どもの命を奪われて悲しむ人が出ないように、凶悪犯罪が減っていく社会になることが願いです」と訴えました。
■元少年の両親「手記で傷つけ申し訳ない」
一方、加害者の元少年の両親は、代理人の弁護士を通じてコメントを出しました。
この中で、現在の心境について、「遺族の方々には大変申し訳なく思っております。年月が流れるにつれ、怒り、悲しみ、憎悪が増していると思います。本当に申し訳ありません」としています。元少年からは時折、連絡が入るということで、「体調や寝られているか、食事をとれているかについては聞いていますが、どんな生活をしているか、生活状況は分かりません。話してくれません。心配をかけないようにしているのではないかとも思います」としています。
そのうえで、「手記の出版により、大変、傷つけてしまい申し訳ございません。私たちは生きている限り、ご冥福を祈りながら償いをさせていただきたいと思っています。本人と何とか会って手記を出版したことや事件の真相について聞きたいと考えています。それがかなえばご遺族にもお伝えしたいと考えております」とつづっています。
◎上記事は[NHK NEWS WEB]からの転載・引用です
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◇ 【元少年Aを闇に戻したのは誰か 7年2カ月の更生期間が水の泡】杉本研士・関東医療少年院元院長 2015/9/16
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2017/5/24 06:40神戸新聞NEXT
土師さん「被害者きょうだい支援を」連続児童殺傷20年
神戸市須磨区の連続児童殺傷事件で土師(はせ)淳君=当時(11)=が殺害されてから20年となる24日の命日を前に、父守さん(61)は、神戸新聞社の取材に対し「子どもへの愛情は何年たっても変わらない。節目はない」と心境を語った。事件後、守さんは犯罪被害者の権利確立に奔走。兵庫県内では被害者支援条例の制定が広がるなど一定の成果を生んだが、自身の経験を踏まえ「被害者のきょうだいへの支援が足りていない」と指摘する。
守さんは毎朝、淳君の遺影を飾る仏壇に線香を上げ、職場に向かう。明石市内にある淳君の墓には月に3回は妻と共に足を運ぶ。頭に浮かぶ姿は20年前のままだ。「『生きていれば何歳』とか、そういう考えは浮かばないよね」
事件当時、中学2年だった淳君の兄は次第に学校へ通えなくなり、守さんは自宅で家庭教師を雇った。高校の3年間は、通勤に合わせて車で学校へ送る生活を続けた。「本当に大変だった。親がしないと誰も支援してくれなかった」
高校入学や卒業、大学入学や就職-。「そのたびにほっとしていた」と振り返る。兄は結婚し、2015年8月には初孫が生まれた。守さんは数年前に両親を相次いで亡くしており、「それまで誰かを失うことしかなかった。新しい命の誕生は感慨深かった」と振り返る。
守さんは00年に参加した「全国犯罪被害者の会(あすの会)」の活動で、被害者支援を訴え続けてきた。04年には犯罪被害者等基本法が成立し、刑事裁判への被害者参加制度や公訴時効の延長・廃止なども実現した。だが、犯罪できょうだいを亡くした子どもの支援に特化した制度はなく、「今でも家族だけで支えなければならない」。
県内20市町が設けた犯罪被害者や遺族の支援条例も、うち9市が盛り込んだ一時保育費負担や家事援助制度が全く利用されておらず、利用期限などが被害者の生活実態に合っていない可能性がある。
守さんは「条例が本当に被害者のよりどころとなるには円滑な運用が必要だ。そのために今後もできる範囲でお手伝いをしていきたい」と話し、被害者支援の充実に向けた活動を続ける考えを示した。(田中宏樹)
◎上記事は[神戸新聞NEXT]からの転載・引用です
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◇ 神戸連続児童殺傷事件から20年 加害男性の両親「生きている限り償う。 手記出版=少年院を退院してからの様子など、一部が分かった」報道各社書面インタビュー 2017年5月
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◇ 神戸連続児童殺傷事件から20年 加害男性(元少年A)父母「たまに連絡が入る。『絶歌』に涙止まらず」 神戸新聞インタビュー 2017/3/26
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