13名の命を奪った「地下鉄サリン事件」実行犯たちの今
社会 週刊新潮 2018年4月12日号掲載
「オウム死刑囚」13人の罪と罰(8)
東京拘置所からの移送によって、オウム真理教・死刑囚13名への刑執行は秒読みである。その罪と罰を振り返る本連載の最終回。取り上げるのは、1995年3月発生の地下鉄サリン事件に関わった面々である。実際にサリンを撒く「散布役」に選ばれた彼らは、猛毒の入った袋を傘で突き、13名の命を奪っている。
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事件の“計画”にあたり、アジトや車を用意する「総合調整役」に選ばれたのは井上嘉浩だった。その井上の下で各路線にサリンを散布したのは5名。うち最も多い、9名の命を奪ったのが、地下鉄日比谷線に乗った林泰男である。
1957年、東京生まれ。都立高校から大学に進学し、電気工学を学んだ。父の死をキッカケに宗教に目覚め、卒業後は海外放浪の旅に。帰国後、電気会社に就職したものの、オウムに出会い、退職して出家した。
教団では「科学技術省」に所属し、教団施設の電気工事などを担うようになる。一方で、松本サリン事件では噴霧車の製作に携わった。地下鉄サリン事件では、他の4名よりも1袋多い、3袋を唯一引き受けた。傘で突く際も、入念に4回も突き刺すほどだったという。
この周到さ、殺害人数の多さから、マスコミから「殺人マシーン」と名付けられた林だが、かつてオウムで「自治省次官」を務めた早坂武禮氏は言う。
「教団の中では“アニキ”の位置づけでした。社会人経験があるからか、修行上のことでも何でも、状況に応じたアドバイスが出来る。電気工事のような仕事も行う一方で、在家信徒の修行指導も見事にこなしました。器用で人望もあり、林さんのことを嫌いという人に出会ったことはありません。在家信徒を伴ったツアーで、一緒にスリランカに行った時には、私にバックパッカー時代のことを話してくれた。“コロンビア、チリ、コスタリカの3Cの子はやっぱり美人が多くてね……”と俗っぽいことも話せる一面も持っていました」
■“人生が嫌に…”
法廷でも、多くのサリン袋を引き受けた理由について、他の幹部から、「みんなが嫌がるのを引き受けてくれるのが林だった」と証言されているほど。「マシーン」は、実は人間臭い顔を持っていたのかもしれない。
事件後は1年9カ月間の逃亡生活を送ったが、逮捕の後の公判では、罪を認めた。2008年、死刑確定。
林はその後も、一審二審の弁護人とは面会を続けていた。その弁護士(故人)は4年前、本誌(「週刊新潮」)の取材にこう答えている。
「確定後も淡々と罪を受け止め、精神的に安定した世界にいるようでしたが、昨年の暑中見舞いに“人生が嫌になった”“生きていくことが辛い”とあってギョッとしました。その後、面会した時は元気そうで一安心でしたが、そうした言葉が出てくるということは、彼も獄中でさまざまな思いを抱えているということでしょう」
林は、先の移送で仙台拘置支所へ。「その日」を、縁も所縁もない地で待つことになった。
■死刑と無期懲役の間
同じサリン散布の実行犯でも、残りの4名は、生死が分かれた。
千代田線を担当し、2名を殺めた林郁夫は無期懲役。
一方、日比谷線で1人殺害の豊田亨、丸ノ内線で「1人」の広瀬健一、同じ丸ノ内線でも「死者ゼロ」の横山真人には、いずれも死刑判決が下されたのである。
これは、彼ら散布役それぞれが全体で13名を殺害した地下鉄サリン事件そのものの共謀共同正犯、つまり、一体の犯罪を犯した者と認定されたため。
だが、その中で林郁夫は、地下鉄サリン事件をいち早く自供した。彼の減刑は、自首し、事件の解明に尽力したという“功績”が認められたという一点に尽きる。しかし、2名を殺めた林が一命をとりとめたのに対し、死者ゼロの横山が死刑――。言いようのない後味の悪さが残るのは確かである。
豊田、広瀬、横山の3名はいずれも「科学技術省」の所属で、理系エリートだ。
豊田は1968年、兵庫県の出身。幼いころから秀才で知られ、東大に現役合格。「ノーベル賞を取る」と周囲に宣言。理学部で物理学を専攻し、大学院に進んだが、中退して出家した。
広瀬は1964年、東京都の出身。彼も優等生として知られ、早大の理工学部で応用物理学を専攻。やはり大学院に進んだものの、オウムに出会い、中退、出家した。
横山は1963年、神奈川県生まれ。地元にある東海大学で物理学を専攻し、電子部品メーカーに就職したが、退職して出家した。
「とにかくマジメな3人でした」
とは、前出の早坂氏。
「豊田さんは“約束したこと、決めたことは絶対にやる”というのがポリシーの人でしたし、横山さんは超が付くほどマジメだった。まだ広瀬さんに話しかければ多少は愛想笑いをしてくれるけれど、横山さんはまったく、というくらい」
オウムの「車両省大臣」だった野田成人氏は、このうちの豊田に出家を勧めた張本人である。
「私は豊田の1年先輩で、高校も大学も一緒。入信は彼が早かったのですが、出家は私が先でした。麻原から命を受け、私と井上で豊田の家に行き、3~4時間も説得した。出家を親に言えない、という彼に“旅に出たことにすればよい”などと言って……。実は、豊田のお父さんは母校の体育教師で、私も面識があった。事件後、拘置所でたまたまお会いして、声を掛けたのですが、そそくさと立ち去ってしまわれた。本当に申し訳のないことをしてしまいました」
■末期のオウムの焦り
3名は、サリン事件以外に、ほとんど凶悪事件との縁がなかった。なぜ彼らが選ばれたのか。人選からは末期のオウムの焦りが伝わってくる。
事件後、豊田、広瀬は法廷で反省の弁を述べ、教祖と対立した。他方、横山は警察の厳しい取り調べに対しての怒りを述べただけで、後は沈黙を守ったまま。豊田、広瀬は2009年、横山は2007年に死刑が確定した。
作曲家・指揮者の伊東乾氏は、豊田と大学時代の同級生。現在も交流を続ける。
「法務省の交通許可を受け、月に1度程度接見しています。事件と無関係な物理の問題などを共に考えることが大半です。『再発防止』を大切に考え、獄中から大学生と文通などもしてきた。食べ物の差し入れは、量を減らしてほしいと言われました。体重を落とすようにしているようです。高橋克也、菊地直子の裁判前後から痩せたように思います」
広瀬と交流を持ったのは、オウム事件に詳しいフォトジャーナリストの藤田庄市氏だ。
「2008年、当時、私は非常勤講師をしていた大学でカルト宗教の恐ろしさについての授業をしました。そこで、広瀬に手記を依頼したところ、内省と教訓を、手書きで59枚も書いてくれたのです。彼は実に達筆。これは、被害に遭われた方に謝罪の手紙を書くために、獄中でペン習字の勉強をしたから。厳密で融通の利かないところはあるけど、誠実な男でした」
「沈黙の人」横山は、先の移送で名古屋拘置所に移されたばかり。実家に住む老父が言葉少なに言う。
「それまでは月に1度は会いに行っていたけど、今は遠くなっちゃった。もうオウムは信仰していないよ。一度あのような道に入っちゃったんだから、今更何も言いようがないよ……」
■語られざる疑問
13名は、それぞれがそれぞれのやり方で、この23年、事件と対峙してきた。ただ“1人”を除いて――。麻原は訴訟でも、確定後も真摯に口を開かず、東京拘置所の病舎で糞尿にまみれ、未だ「現実」から逃避したままである。
「これだけ月日が経っても、オウム事件にはまだわからないことがある」
と言うのは、オウム真理教家族の会の代表として彼らと向き合ってきた、永岡弘行氏。
「麻原とは何度か会いましたが、この人はなぜここまで人を憎めるのか、なぜあそこまで人間を破壊する必要があったのか、わからないまま。説明の責務を果たさない麻原には、激しい怒りを感じます。他の死刑囚についても“なぜあのようなことが出来たのか”という点は、まだ十分に語られていない。これらの点について、彼らはしっかりと後世に伝えていくべきだと思います」
この声が彼らに届くのか――。執行は間近。残された時間はもうあまりに少ない。
短期集中連載「13階段に足をかけた『オウム死刑囚』13人の罪と罰」より
◎上記事は[デイリー新潮]からの転載・引用です
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◇ 13名の命を奪った「地下鉄サリン事件」実行犯たちの今 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(8)最終回
◇ “修行の天才”井上嘉浩 再審請求は“生への執着ではない” 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(7)
◇ 麻原に“オシメを外せ”と言ってやる 遠藤誠一・土谷正実 2人の科学者 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(6)
◇ 早川紀代秀死刑囚「量刑判断には不満です」 端本悟死刑囚--母の後悔 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(5)
◇ 教団脱走、麻原彰晃を恐喝 「異質のオウム死刑囚」岡崎一明の欲得と打算 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(4)
◇ 23年を経て「尊師」から「麻原」へ “側近”中川智正と新実智光 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(3)
◇ 麻原彰晃、暴走の原点は幼少期 権力維持で求めた“仮想敵” 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(2)「週刊新潮」2018年3月29日号
◇ 拘置所衛生夫が見た「オウム麻原彰晃」の今 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(1) 「週刊新潮」2018年3月29日号
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◇ オウム死刑囚13人の同時執行は無理 法務省「7人移送」本当の狙い (「デイリー新潮」2018/3/26)
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◇ 【オウム裁判終結】麻原彰晃死刑囚ら13人の執行に現実味 「産経新聞2018/1/20」
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◇ オウム「国家転覆」に、自衛隊は“幻の秘密作戦”で備えていた---『地下鉄サリン事件戦記』福山隆著