日本でしか通用しない立憲主義を振りかざし、現場を知らずに法律改正に反対する憲法学者の限界 高橋洋一

2015-06-08 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

憲法学者の限界! アメリカが「世界の警察官」をやめた今、日本はどう生きるのかを考えるべき
 現代ビジネス 2015年06月08日(月)高橋洋一「ニュースの深層」
 憲法審査会で、与党の参考人が、安保法制を「憲法違反」とする異例の事態があった。4日の衆議院憲法審査会で、憲法学の専門家3人の参考人質疑が行われた。自民党が推薦した長谷部恭男教授は、今国会で審議されている安保法制を憲法違反とした。
■そもそも参考人質疑とは?
 国会での参考人は、各党の推薦で決まる。実際には、各党国会議員や担当者から本人に都合などの打診があって、その後に国会担当者からの実務的な連絡があることが多い。法案を推す省庁からの要望を与党が受けて参考人にすることもある。
 各党国会議員や担当者は、参考人に頼む人をよく知っているので、参考人の意見も当然知っているのが普通である。各党の推薦する参考人が各党の意見と異なるのはまず考えにくい。この意味で異例である。
 ただし、これは自民党国会議員のミスである。なお、参考人については与野党筆頭幹事協議での合意を経て幹事懇談会で決定しているので、誰がどこの党の推薦という言い方は若干不正確である。この人選には、公明党は関与していないと言っている。
 一般論として、憲法学者に限らず法律学者は、「法律にこう書いてあるから○○だ」や「この法律はこう解釈すべきだから××だ」という論法をとる人たちの集まりで、今ある法律や法解釈を金科玉条のように扱うので、法改正や解釈変更には消極的なことがしばしばある。
 一方、国会議員は、今の法律では現場として不都合である場合、法律改正することに拘りはない。まして、国会議員は法律を作るのが仕事であるので、現場を知らずに法律改正に反対する法律学者とは意見が合わないことも少なくない。
 また、国会での審議過程において、法案を憲法違反とする意見は、反対者のほうから出されることが多いが、実際に違憲を決めることができるのは、最高裁である。法案が成立した後に、訴訟が実際に行われて、初めて司法が判断して、違憲になるわけだから、国会の参考人質疑は単なる学者の意見でしかない。
■財務省で学んだ法律観
 筆者のような理系出身者は学生時代に法律を勉強しなかった。財務省に入省してから、法律について仕事をやりながら学んだ。国会議員ではなく、役人が法律を書くのかと驚きながらだ。
 中央省庁のキャリア職員なら、何回も立法作業を経験しているだろう。筆者も入省直後から毎年のように立法作業に携わった。あるときには、「タコ部屋」といって、半年間くらいも立法作業に専念するための「別室」で作業したこともある。自分が担当した法律は、何百回もそらんじて読み上げたので、今でも条文を覚えている。
 財務省は東大法学部出身者が多く、学業優秀で司法試験に合格している者も少なくない。学生時代に法律を勉強したことがない筆者にとっては、格好の家庭教師だった。そのときに、彼らから法律を勉強した結果、法律はその時の決まりなので、ちょっとした争いごとの解決のツールとしては役に立つが、社会的に望ましいことをやるためにはあまり役立たないと思った。
 何か問題が起こった時、裁判でもあれば、それで片がつくこともある。しかし、社会問題では、そのときの法律では解決策にならない場合もあり、そうした問題のほうが大きい。その場合、新たに法律を作るか、法改正で対処するのだ。
 そうした新規立法や法改正では、法律の知識より経済の知識などが、望ましい解のためには有用であった。この経験があったので、筆者は法学部出身ではないが、あまり困らなかった。
■法律学者は「上から目線」
 役人をしている間に、法律学者の生態もわかってきた。
 筆者のように理系だと、学問の世界では多数意見というのは何の権威でもない。特に、筆者が学んだ数学ではロジックだけが唯一の判断基準であり、間違っていれば、どんな権威のある人でも間違いである。「学問に王道なし」だ。
 法律では、一定の権威のある人の意見が尊重される。そして、多数の考えのほうがよりマシとされることが多い。法律といっても、常識と大差ないので、多数の意見のほうがとられやすいことは理解できる。
ただし、権威のある人の意見がいいというのは、今でも違和感がある。
 そうした法律学者は、バカな政治家に判断させないために、権威がある自分たちの意見が正しいという「上から目線」である。多くの国民に支持された政治家のほうが、長い目で見れば、権威のある人の意見より劣っていると言えるのだろうか。
■立憲主義というロジックの謎
 そうした権威のある憲法学者が、安保法制が憲法違反であると言うときのロジックが「立憲主義」というものだ。かつての左派は平和主義と言っていたが、最近色あせた言葉になっているので、その代わりに立憲主義が護憲の立場をよく表すものとして使われる。まあ、憲法改正反対というものだ。
 いろいろな書物を読んだが、どうもわかりにくい。憲法の中に、侵略戦争放棄のように時代を超えた普遍的な原理があり、それを守るというのであれば、わからなくない。ただし、憲法の中には、統治機構に関する部分もあり、その改正は珍しくない。
 さらに、「憲法96条の改正なんて、立憲主義からはトンデモナイ」と言われることもある。かりに「憲法96条」を改正しても、日本の憲法改正難易度は世界的に見て低くない。むしろ最高難易度の国のままだ。ようは、憲法改正をしたくないというだけだ(2013年5月6日付け本コラム http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35686)。
 安全保障について、今国会で議論されているのは、集団的自衛権の行使である。そもそも、個別的も集団的も自衛権は、時代を超えてどこの国にもある個人における正当防衛のように不可分である。集団的自衛権の行使を認めない国はどこにあるのだろうか。筆者は寡聞にして知らない。
 何にもまして、立憲主義の先生方は、本コラムで書いているような南シナ海の情勢や尖閣諸島への中国の潜在的な侵略のおそれをまったく考えていない。こうした国際関係など眼中になく、いつでも同じ主張を繰り返している。これは学者としてはかなり楽な話であるが、実際に役立たないで、畳の上の水練のようなモノだ。
■世界の常識
 民主党もお花畑のような思考に凝り固まっており、戦後日本が平和だったのは個別的自衛権のみだったからという、驚くべき意見も出ている。
 戦後日本が大丈夫だったのは、日本の再軍備を恐れたアメリカが守ってきたからだ。集団的自衛権を持っているが行使しないというのは、世界では馬鹿げた意見だが、なにより日本の無力化を図りたいアメリカにとっては、その方便も好都合だっただけだ。
 その上で、二国間の安全保障条約があれば、集団的自衛権は当然となる。米軍に基地を使わせておきながら、戦争に加担していないなんて言えるはずないのが世界の常識だ。それでも日本が侵略されなかったのは、背後にアメリカがいたからだ。つまり、集団的自衛権のおかげでもある。
 アメリカがかつて「世界の警察官」であったので、盤石であった。それでも、自国に弱点があって日本でできることであれば、日本に頼んで来たことがある。朝鮮戦争の時、朝鮮半島での機雷掃海だ。占領下で占領軍指令に基づくとはいえ、当時の海上保安庁は特別掃海隊を韓国領海内に派遣し、機雷掃海を行い、作業中に死傷者も出ている。
 こうした事実について、法律学者は、降伏条項による占領軍指令なのでやむを得ないが、憲法違反とか法律違反だという立場であろう。おそらく、機雷掃海はやるべきでなかったと言うだろう。そうした人たちは、法違反と言いながら、犠牲者へどのように接するのだろうか。
 犠牲者が出たのは本当に残念であるが、日本が機雷掃海をしなかったら、大きく国益を損ない、場合におっては、九州あたりまで朝鮮戦争の戦火に巻き込まれ、日本の安全も脅かされていたかもしれない。犠牲者を出したが、その当時の貢献があったので、それ以降の日本の安全がおおいに高まったと思われる。
■「世界の警察官」が不在の世界をどう生きるか
 今現在でも、中国の南シナ海でもオーバープレゼンスは国際問題だ。ドイツで7、8の両日に開催される先進7ヵ国(G7)首脳会議(サミット)でも、取り上げられるだろう。
 それを見越して、3日に来日したフィリピンのアキノ大統領は、参院本会議場で中国の横暴を訴えた。これを日本が世界に伝えるのは当然だろう。
 安倍首相と欧州連合(EU)のトゥスク大統領らが5月29日に発表した共同声明にも、「東シナ海・南シナ海の現状を変更し、緊張を高める一方的行動を懸念している」とある。これは中国のことだ。
 アメリカのオバマ大統領は、2013年9月10日、シリア問題への対処の中で「もはや世界の警察官ではない」とテレビ演説した。その直後から、中国は南シナ海に出てきた。これは、中国がアメリカは軍事行動しないと高を括ったからだ。
 警察官は、相手が見返りなしでも助けてくれる。「世界の警察官ではない」という意味は、同盟国なら相互主義で正当防衛は行使する、つまり同盟国間で集団的自衛権を相互に使うのであれば助けるという意味だ。
 もはや世界が変わっているときに、日本でしか通用しないような「立憲主義」を振りかざすのは、国益を損なうだろう。
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