イラン 死刑執行後に息を吹き返した男、減刑か / 『日本の死刑』 生き返った死刑囚~死んでこそ死刑囚 

2013-10-24 | 死刑/重刑(国際)

AFPBB News 2013年10月24日07時31分
絞首刑後に息を吹き返した男、終身刑に減刑か
 イラン【AFP=時事】覚醒剤の密輸入で有罪となり絞首刑にされたが息を吹き返した男(37)に対し、イランは死刑を行わないことを決定した。メディアが23日、最高司法当局者らの言葉を引用して伝えた。
 国営イラン通信(IRNA)は、モスタファ・プルモハンマディ(Mostafa Pour-Mohammadi)法相が22日夜、「(死刑を)生き抜いた死刑囚は再び処刑されない」と語ったと報じた。
 息を吹き返した男の名前はアリレザ・M(Alireza M)としてのみ報じられている。サーデグ・ラリジャニ(Sadeq Larijani)司法権長は、2度目の死刑の執行停止を承認したもよう。ラリジャニ司法権長は、男を死刑から1段階下の刑罰に減刑する提案に賛成すると述べ、終身刑に処す可能性を示唆した。イランの司法は政府から独立しており、全ての司法判断は司法当局が行う。
 男はメタンフェタミン1キログラムを運んでいたとして2010年に逮捕された。死刑判決を受けて今月、イラン北東部の刑務所でクレーンから吊された首吊り縄に12分間吊るされた後、立ち会った医師が死亡を確認した。しかし翌日、ボジュヌルド(Bojnourd)の遺体安置所で男がまだ息をしているのが見つかったが昏睡状態となった。一方、地元紙ホラーサーン(Khorasan)は23日、男は「意識を取り戻し、話もできる」と伝えた。
【翻訳編集】AFPBB News
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『日本の死刑』  村野薫 編著 柘植書房 1990年11月25日第1版第1刷発行
p45~(下段)
 【生き返った死刑囚】
 「絞柱器」による死刑執行後、3人の生き返った死刑囚がいたことを当時の囚獄司権正小原重哉が回想している。
 このうち、1872(明治5)年11月28日、石鉄県(いしづちけん)(=現・松山市)で執行された暴動犯田中藤作の1件は『司法省日誌』にも明記されている。「身柄をどうしたらよいか」という県当局からの伺がその主たる内容だが、これに対して「天幸」によって蘇生したのだから無罪放免、というのが当時司法省の下した結論だった。
 蘇生した死刑囚の処遇については、それをあり得るものという仮定のもとに、法整備期の1882(明治15)年から92(同25)年にかけて何度か法律専門誌で論議されている。それだけ処刑具自体の性能にも不備があったからだろう。
p46~(下段)
 政府は、より確実な絞首刑具として絞架式の「絞罪器」を導入して今日に至っているが、最近でも1983年7月、イランで公開処刑された義弟殺し犯が20分後、遺体検視場で息を吹き返したように、絞架式といえども決して蘇生例が皆無というわけにはいかない。
 ただ、時代とともに明らかに変わったことは、死刑囚は死んでこそ死刑囚という、罪に対する罰の徹底思想である。先のイランでの蘇生者は、死刑を神の審判とする古来よりの刑罰観をいまももつイスラム法により放免されたが、わが国ではもはや第2、第3の田中藤作が生まれる余地はない。
 蘇生事件があるとすればそれは、“執行ミス”であり、その時点で即座に死が徹底され、外部には極秘事項として事実が秘匿される。係官が首締めで止めたという話や、いや医務官が注射で逝かしたといった話が実しやかに伝わってくるのも、そうした背景があるからである。
 一方、そうした獄内での“うわさ”をも充分知りながら、十数分間息を止めることさえできていれば処刑を免れるとの“うわさ”をもまた信じて、日頃鍛錬してみたくなるのも、死刑囚という哀れな存在なのである。 *リンクは来栖
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【死刑とは何か~刑場の周縁から】より  
 (抜粋)
 ●角川文庫『死刑執行人の苦悩』
p131~
  死刑執行で直接手を汚す役は刑務官になってあまり年数を重ねない若い刑務官が命じられることが多い。刑場付設の拘置所、刑務所に勤務すると、「執行を体験しなければ一人前の刑務官になれない」と必ず言われるということは、前に何度も書いた。
  その日の執行には、首に縄をかける役を初体験者が命じられた。先輩の刑務官に指導を受けたとはいえ、落ちついた平常心でできるわけがない。あがるのは当然である。先輩の刑務官は、踏み板が落下して、死刑囚が宙吊りされたとき、ほとんど瞬間に失神するよう注意しなくてはならないと教える。ロープをどのように首に合わせるかを説明する。しかし、いざ本番となると、執行するもののほうが頭にカーッと血がのぼる。なにがなんだかわけがわからなくなる。あせる。あわてる。
  絞縄は直径2センチ。全長7.5メートルの麻縄である。先端の部分が輪状になっていて2つの穴を穿った小判型の鉄かんで止めてある。輪状の部分を死刑囚の首にかける。鉄かんの部分が首の後部にあたるようにかける。さらに絞縄と首の間に隙間がないように密着させてギュッと締める。
  ロープをかける役の刑務官の果たすべき役割は下線の部分である。ところがこの日の初体験者はこのとおりにできず、どこかまちがった。
  なにしろわずか3秒間程度の、ほとんど瞬間といってもいいような時間内にやり終えねばならないのだ。
  ロープ担当の刑務官が、規定の方法でロープを死刑囚の首にかける。同時に他の刑務官が死刑囚の膝をひもで縛る。間髪を入れず保安課長の合図でハンドル担当者がハンドルを引く。死刑囚の立っている踏み板が落下して死刑囚が宙吊りになる。この間わずか3秒程度のものなのである。死刑囚が刑壇に立ってから一呼吸あるかないかという早業だ。
  このときも死刑囚は宙吊りにはなった。アクシデントが起こったのはこの後である。
  通常ならば、平均14分あまりで心音が停止し執行終了ということになる。けれどもこのときは大いにちがっていた。
  死刑囚がもがき苦しみつづける。ロープが正しく首を絞めていないのだ。革の部分から頬を伝って、後頭部の中央あたりに鉄かんが至っている。これでは吊るされた瞬間に失神するというわけにはいかない。意識を失うことなく、地獄の痛苦に身もだえすることになる。止むなく死刑囚の体を床に下ろし、24、5貫もある屈強な刑務官が柔道の絞め技でとどめをさして執行を終わらせた。
  死んでこそ死刑囚という考え方があるそうだが、殺してこそ執行官とでもいうところだろうか。
  とどめをさした刑務官に、後に子供が生まれた。その子どもの首がいくつになってもしっかりとすわらない。父親になった刑務官は、かつての自らの行為の、因果応報だという自責と苦悩とから解放されることがないという。
  生まれた子供の首がかなり成長してもしっかりすわらないという話はまれに聞くことである。死刑執行のさい、アクシデントが起きたために柔道の絞め技を用いた刑務官の子供の場合も、因果応報ではなく、偶然のことだ。何百万分の一かの確率に偶然的中したまでである。そんなことは当の刑務官自身にもよくわかっているのかもしれない。わかっていながらも、つい因果説に結びつけてしまう気持にもなるのだろう。止むことなく死刑執行の罪の意識に責められて明け暮れているのだから。(~p134)
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