法相、死刑廃止議連から外れる 元工作員署名は「うかつ」
2009年9月29日 17時29分
「死刑廃止を推進する議員連盟」に参加している千葉景子法相は29日、報道各社のインタビューに「距離を置いて、政府の一員としての役目、役割に専念する」と述べ、議連メンバーから外れる意向を表明した。
千葉法相は死刑執行について、就任記者会見で「職責を踏まえながら慎重に扱いたい」としている。
また法相は「政策にかかわる議員連盟はいったん遠慮する」と述べ、事務局長を務めるアムネスティ議員連盟からも外れる考えを示した。
このほか、北朝鮮による拉致事件で国際手配中の元工作員辛光洙容疑者(80)らの釈放を韓国当局に求めた要望書に20年前、署名したことについて「どういう状況で署名したのか…。うかつだった。結果的に誤解を招き、大変に申し訳ない気持ちだ」と釈明。「どういう事態だったのか経緯を調べている」と話した。(共同)
拉致実行犯釈放嘆願署名 法相「うかつだった」
9月30日7時57分配信 産経新聞
千葉景子法相は29日、産経新聞のインタビューに答え、原敕晁(ただあき)さんらを拉致した実行犯である辛光洙・元死刑囚の釈放嘆願書に署名していた問題について、「うかつだった。誤解を招くような結果になったのは大変申し訳ないという気持ちはある」と述べ、反省を表明した。
なぜ署名したかに関しては「どういう状況で署名したか、その経緯は調べている段階だ」と述べた。拉致問題については「国際的に見ても、人権を大事にということから見ても許すことのできない問題だと思う」と語った。
嘆願書は「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」との表題で1989年、当時の盧泰愚韓国大統領にあてて出された。村山富市元首相、土井たか子元衆院議長、江田五月参院議長ら128人の国会議員が署名した。鳩山内閣では千葉氏のほか菅直人副総理・国家戦略担当相も署名しているが、鳩山由紀夫首相は16日の就任記者会見で「過去のことに対して私は今、2人の大臣に問うことを考えていない」と述べ、不問に付す考えを示した。
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〈来栖の独白〉
「政府の」一員としての役目・役割に専念、という選択である。
法相に就任なさったときから、ご自身の「信条」と「政府の一員としての役目・役割」との間で苛烈な葛藤を余儀なくされるだろう、とは私のような者でさえ推測したことである。けれど、こと命に関することであるので、法相のみならず人みな等しく考えねばならない一事ではある。
法相は少なくとも就任から3ヵ月乃至は本年一杯じっくりお考えになるのだろう、と私は予想していた。新政権下であるから、しかも死刑廃止議連の法相を戴いたわけであるから、官僚もレクチャーなど差し控えるのではないか、とも考えていた。今でも、官僚が積極的に法相に死刑について働きかけたとは、私には考えにくい。
良識を備えた千葉法相でいらっしゃるから、就任から今日までの2週間、おのが信条と職務のはざまで随分悩まれたのだろう。が、それにしても僅か2週間で議連離脱とは、あまりに早い。官僚が積極的な働きかけを為し難い状況(政権)を勘案すれば、唐突にも映る。なぜ、こんなに結論を急いだのだろう。
私は、例えば死刑制度に関し、「廃止派」「存置派」といった具合に、類型化する考え方が嫌いである。死刑制度のみならず、人を「派」に分ける捉えかたには、哲学が感じられず、粗雑で、好きになれない。
千葉さんは本日から「派」ではなく、「ご自身の」考えですべてを決していかれねばならない。来春にも官僚は死刑執行に関する書類(企案書など)を机上に上げてくるかも知れない。千葉さんは究極の孤独のなかで考え、決断しなければならない。「派」から離脱するとは、そういうことだ。
実はこれは国民も、一人ひとりがそのように考えねばならぬことである。「わたし」は死刑をどう判断するのか。死刑制度を維持、存続させているのは、国民の一人ひとりである。裁判官だけが、或いは法務大臣だけが、そして刑務官だけが、死刑判決を下し、死刑執行命令書にサインをし、死刑囚の首に縄をかけたのではない。そのことを漠然とでも感じさせるのが、裁判員制度である。
国は裁判員裁判を通して云う、「国民である貴方が死刑制度を維持し、執行しているのです」と。
ここまで書いて、ふと思った。千葉さんが慌てたかのように議連とアムネスティを離脱したのは、信条を後退させたのではなく、今後の法相としての判断に客観性を持たせるためだったのではないか。命令書に判を押さないのは自らの死刑廃止(議連)の理念の発露ではなく、法相として客観に基づいている、との形を整えたのではないか。もしそうだとするなら、これはなかなかの深謀遠慮の末の決断である。果たしてどうなのか。彼女は、検事から転身した弁護士ではない。
私もそう思います。
そもそも、議連に参加しているからと言って、全ての議員が死刑について、ギリギリまで考えているかと言えば、大々的に疑問であります。
死刑存置を主張する私ですが、これを論理的に普遍的に説明しようとする度に、宇宙の果てはどうなっているか、を考えるのと同じくらい、我が脳味噌の不出来を呪うのであります。
私も同感です。
そもそも、議連に参加している議員達が、全員ギリギリまで死刑について考えた末に、名を連ねているのかどうかも、大々的に疑問ですし。
死刑存置を主張する私ですが、これを論理的に、普遍的に正当化しようと考え始めると、宇宙の果てはどうなっているか、を考える時と同様に、いつも途中で脳味噌がガス欠を起こしてしまいます。
コメント、感謝です。
>千葉さんが慌てたかのように
あくまでも、私一己の受け止め方かも知れません。就任から2週間での脱会でした。その報に接して私はめまぐるしく考え、変遷もしました。そして、深謀遠慮の末の決断だったろう、と着地させたのでした。
けれどもこれは、私にとって20年ほども身を置くことを余儀なくさせられ、考えさせられてきた事柄でもあるのです。私ども(弟も)の周囲には、死刑廃止運動体の気配が常に色濃くありました。
いずれ、千葉さんの死刑廃止議連脱会のことを絡めて「運動」とか「良識」などについて、エントリを立ててみたいと思っています。それにしましても、千葉さんの高い見識・良識に深い敬意を表します。安心しました。
現行の法律で決まっている事を法務大臣が遵守する事は悩むべき事でもなんでもないはずです。
>命令書に判を押さないのは・・
>法相として客観に基づいている、との形を・・
これは職責を放棄している事に他なりません。
その点を悩むというのであれば、職を引き受けなければ良いのです。
安保闘争に加わってた人が多いですよね
詳しくないけど左翼はそういう考えなのかなぁ
岡村勲っていう弁護士も人権派弁護士だったけど
自分の奥さんが殺されたら死刑にして下さいって言ってたね
みんな奇麗事言ってみても実際身内を殺されたら死刑反対なんて言えないくせにね
が、刑事訴訟法の475条第1項によれば、死刑執行は法務大臣の命令による、としか書いてないわけです。法務大臣が死刑執行をしなければならない、とは書いていません。これは法務大臣以外の者が死刑執行を命令してはならないという制限規定です。第2項に6ヵ月以内に執行命令を出さなければならない、となっていますが、これは法務省自らが訓示規定と言っているわけでして、絶対に守らなければならないというものではないわけです。
法務省が言っていますが、法務大臣の死刑執行はどういう法的性質のものかというと、死刑執行を法務大臣の権限としたのは(権限です。義務とは言っていない)、死刑執行は極めて重要な刑罰なので、政治的責任を持っている人間しか命令してはならないものだ。法務大臣は政治的責任を負っているのだから、いろいろの社会的状況を考慮して、政治的な決断として執行を命令するのだ、という言い方をしています。ここからは義務だという発想は出てこないのです。法務省設置法という法律がありまして、法務省の責任や役目を示したものですが、3条、4条にはっきり書いてありますが、法務省の任務に、「基本法制の整備」、「刑事法制に関する企画立案」とあります。彼らの責務として法体制を改革したり改善したり、法律を新しく制定したり、法律を改正したり、ということがあるわけです。ですから法務大臣は死刑執行をすることが義務ではなく、死刑制度について改善したり、新しい死刑制度に関する企画を出したり、その企画が通るまで死刑執行を停止すると、いったようなことが法務大臣の義務としてあるわけです。