裁判員裁判の被告「審理尽くされたか疑問」 記者に手紙
asahi.com 2010年4月12日10時39分
佐賀県唐津市の養鶏場で2009年7月に起きた殺人事件で、強盗殺人罪に問われ、佐賀地裁の裁判員裁判で求刑通り無期懲役の判決を受けた住所不定、元養鶏場従業員の小野毅被告(45)=福岡高裁に控訴=が、面会や手紙で朝日新聞の取材に応じた。裁判員が公判後の会見で「評議時間が短かった」と発言したことに、「審理を尽くさず、審理時間の短縮こそが目的なら残念」との考えを示した。裁判員と被告という違う立場の両者から、審理のあり方への疑問が出た格好となった。
一審では殺人は認め、罪名の「強盗殺人」ではなく、「殺人」と「窃盗」と主張したものの、判決では退けられた。だが、裁判を終えた小野被告には、「審理は尽くされたのか」との疑問がぬぐえない。複数の裁判員から公判後の会見で、「評議の時間がもう少し長かったら良かった」「評議の間、考える時間が短いと感じた」などと発言があったことに、「審理が不十分で疑問点が未解決なのに、審理時間の短縮こそが目的であったのなら、残念と言わざるを得ない」と手紙につづった。
公判では、被告側が争った罪名について、裁判員から直接の質問があったのは1回だけ。会見で裁判員が、「証言を聞いてすぐの質問では頭が回らなかった」「休憩を挟めば、質問できたかもしれない」と発言したことに、小野被告は「納得がいく審理ができないと感じたのなら、途中でも裁判員を辞退すべきで、そのために補充裁判員がいるのではないか」と疑問を示した。
「裁判員は国民の義務との意見があるみたいだが、人が人を裁く責任も生じている。時間的、精神的問題で不十分と感じるなら、判決を下すことは必ずしも義務ではない。責任を放棄しては義務を果たしたことにはならない」とした。
小野被告は、審理日程の短縮を目的に、裁判員裁判の導入を機に始まった、公判前に争点を絞るやり方にも不満を持ったという。「(養鶏場であった別の盗難事件について)異常な状態が事件の背景にあったことなど被害者が不利になる事柄まで、公判前整理手続きの名の下に除外されたという見方もできる。今までの裁判ではあり得なかったことではないか」との感想を話した。また、「プロの資質を備えた裁判官のみに裁かれたかったという思いはあります」とも語った。
一方、控訴した理由には、そうした裁判員制度への不満はなく、遺族への反省の気持ちがあることを前提に、あくまで「(強盗殺人は成立しないという)主張が認められなかったから」としている。 (小川直樹)
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〈来栖の独白 2010/4/12 〉
記事を読み進む私に、涙が滲む。
遺族への反省の気持ちがあることを前提に
小野毅被告は先ず自分の立場を明確に自覚し、その上で意見を言っている。意見は、正当である。彼の自己客観と意見の正当性は、賑やかな生活(勾留生活)からは生まれない。それ相応の内省を経て培われたものではないか、そんな気がしてならない。裁判員のほうが軽々に映るほどだ。
控訴した理由には、・・・あくまで「(強盗殺人は成立しないという)主張が認められなかったから」としている
自分に有利不利を問わず事件の真実を認定してほしい、という切なる願いだ。
愚弟勝田清孝も控訴趣意書の末尾で次のように嘆願している。大罪を犯した自分であるという自覚の故に社会への最大限の遠慮の中から、しかし、懇願している。
やはり事実は事実として誤りを正し、公正な裁きは事実のみを以って臨むべきだと気づいたのです。真実のみしか語ることを許されない私には、事実に反した内容の調書のままで今後の裁判が進められるのだと思うだけで、とても耐えられなかったのです。それで「実は、こういう訳で迎合したのです」と、初公判までに検事に具申したとおりのことを法廷で発言するつもりだったところが、満廷の異様な雰囲気にすっかり呑まれてしまい、自分が何を言っているのかまったく話の辻褄が判らなくなったばかりか、裁判長に発言を制されるといった自ら墓穴を掘る格好になってしまったのです。
兵庫労金や松坂屋事件のように、自分にとって真相が極めて不利であっても真実は真実、意識して引き金を引いたものであれば「引いたのです」と、ありのまま正直に申し上げてきた私です。
だが一審では、「撃鉄を起こし引き金に人差し指を掛けたままの状態で右拳銃でクッションを払い除ければ、指の僅かの力が引き金に作用して銃弾が発射され、同人が死亡するに至るかも知れないことを認識しながら・・・」と、「認識していた」という断を下されていますが、わずかな時間の推移の中での一連動作で、そのような意識を抱くことは到底不可能なことだったのです。
私の「クッションを払い除けようとして、あっと思った時は、もう遅かったのです。『ボーン』という大きな音と共に、弾はすでに出てしまっていたのです」とお話したことが紛れもない事実なのです。
クッションを払い除ける際に殺意があって引き金を引いたものであれば、兵庫労金や松坂屋事件のように私は素直に認めます。絶対に迎合するな、と検事に言われていながら迎合したのですから、その責任はやはり私にありましたので、とにかく迎合した経緯を検事に具申してから初公判に出廷した訳なのです。
本当に罪深いことをした許されない私ですが、逮捕された直後には良心の呵責に苦しみはじめ、永年私の中にわだかまった悪という鱗を一つずつ自分の手で取り除きながら、贖罪が責務と自覚して一切を告白したのです。よって、
一、確定裁判前の中村博子さんをはじめ他の女性の殺めはもとより、兵庫労金及び松坂屋事件はすべて問罪されて告白したものではなく、
二、確定裁判後の養老事件(神山事件)も前述のとおり検事に迎合したのであって、殺意はなく、
はばかりながら以上の二点は、法の適用の誤り及び事実誤認でありますので、右控訴の理由を提出致します。
いま一つ、私の心に強く響いてきたものは、以下の小野被告の感想である。
「プロの資質を備えた裁判官のみに裁かれたかったという思いはあります」
>「自分は刑務所に行けば家族(加害者)に会える、そのことを被害者遺族に申し訳なく思っている」、加害者家族が言ったのを聞いたことがあります。死刑でもやむを得ない、と。
---切ないですね。私事ですが、清孝と交流が始まった当初、同じことを思いました。が、清孝に言うのも酷いように思え、なかなか言い出せませんでした。しかし常に「何でも言える仲でいたい」と言う清孝でしたので、ある日話しましたら衝撃を受けて、結局、役所に願い出ていた点字の許可が下りたら会いましょう、ということになりました。これ(点字許可)は難しいなと思いましたが、「会いたいという気持ちを殺してゆくことがせめてもの償いになる」と互いに考え、交通を絶ったのでした。そんなことしかできないのでした。
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/essay4.htm に《多くの命を奪った者が自らは温かな肉体に包まれ、この世で会いたい人に会えていることに割り切れない思いを抱き続けたのも、私の真実であった。》と私は書いています。手記にも、そのことを書きました。実にいろんなことを考えさせられました。
先日戴いたメッセージ、終身刑のことなど、またお返事させて戴きます。本当にいつもありがとう。感謝しています。