“孤独”に身を置くということ。死刑囚とブログのことなど・・・。〈来栖のつぶやき 2009-03-25〉

2009-03-25 | 日録

● 五木寛之著『親鸞』(中日新聞2009/03/25)

 遵西につれられて草庵の奥の部屋にいくと、突然、そこに法然上人その人の姿があったのである。範宴は思わず床にひざまずき、頭をたれた。
「この者は---」
 と、遵西が範宴を紹介しようとするのを、法然は手をあげて制した。そして、範宴に微笑していった。
「しばらくぶりじゃのう。達者であったか」
 範宴はおどろいて法然の顔を見あげた。
〈この目だ---〉
 と、範宴は心のなかでつぶやいた。
 柔和な目の奥に、ふしぎな深い世界がある。この世のすべてを究めつくして、そして人間をそのまま受け入れようと覚悟をきめた目。

● 夏目漱石著『心』

「私は淋しい人間です」と先生は其晩又此間の言葉を繰返した。「私は淋しい人間ですが、ことによると貴方も淋しい人間ぢやないですか。私は淋しくっても年を取ってゐるから、動かずにゐられるが、若いあなたには左右は行かないのでせう。動ける丈動きたいのでせう。動いて何かに打(ぶ)つかりたいのでせう。・・・」
「私はちっとも淋しくはありません」
「若いうち程淋しいものはありません。そんなら何故貴方はさう度々私の宅へ来るのですか」
 此処でも此間の言葉が又先生の口から繰り返された。
「あなたは私に会っても恐らくまだ淋しい気が何処かでしてゐるでせう。私にはあなたの為に其淋しさを根元から引き抜いて上げる丈の力がないんだから。貴方は外の方を向いて今に手を広げなければならなくなります。今に私の方へは足が向かなくなります」 先生はこう云って淋しい笑ひ方をした。

「Chopinと福永武彦と」

 しかし、一人は一人だけの孤独を持ち、誰しもが閉ざされた壁のこちら側に屈み込んで、己の孤独の重味を量っていたのだ。

 ----僕は孤独な自分だけの信仰を持っていた、と僕はゆっくり言った。しかしそれは、信仰ではないと人から言われた。孤独と信仰とは両立しないと言われたんだ。僕の考えていた基督教、それこそ無教会主義の考え方よりももっと無教会的な考え方、それは宗教じゃなくて一種の倫理観だったのだろうね。僕はイエスの生き方にも、その教義にも、同感した。しかし自分が耐えがたく孤独で、しかもこの孤独を棄ててまで神に縋ることは僕には出来なかった。僕が躓いたのはタラントの喩ばかりじゃない、人間は弱いからしばしば躓く。しかし僕は自分の責任に於いて躓きたかったのだ。僕は神よりは自分の孤独を選んだのだ。外の暗黒(くらき)にいることの方が、寧ろ人間的だと思った。
 孤独というのは弱いこと、人間の無力、人間の悲惨を示すものなんだろうね。しかし僕はそれを靭いもの、僕自身を支える最後の砦というふうに考えた。傲慢なんだろうね、恐らくは。けれども僕は、人間の無力は人間の責任で、神に頭を下げてまで自分の自由を売り渡したくはなかった。
 ---ピアノコンチェルト一番、これ、前の曲ね。これはワルツ集、これはバラード集。どうしたの、これ?
 ---千枝ちゃんにあげるんだよ。千枝ちゃんがショパンを大好きだって言ったから、それだけ探し出した。向うものの楽譜はもうなかなか見付からないんだよ。

 僕の書いていたものはおかしな小説だった。(略)全体には筋もなく脈絡もなく、夢に似て前後錯落し、ソナタ形式のように第一主題(即ち孤独)と第二主題(即ち愛)とが、反覆し、展開し、終結した。いな、終結はなく、それは無限に繰り返して絃を高鳴らせた。
 僕はそうして千枝子を抱いたまま、時の流れの外に、ひとり閉じこもった。僕はその瞬間にもなお孤独を感じていた。いな、この時ほど、自分の惨めな、無益な孤独を、感じたことはなかった。どのような情熱の焔も、この自己を見詰めている理性の泉を熱くすることはなかった。山が鳴り、木の葉が散り、僕等の身体が次第に落ち葉の中に埋められて行くその時でも、愛は僕を死の如き忘却にまで導くことはなかった。もう一歩を踏み出せば、時は永遠にとどまるかもしれない。しかしその死が、僕に与える筈の悦びとは何だろうか、・・・・僕はそう計量した。激情と虚無との間にあって、この生きた少女の肉体が僕を一つの死へと誘惑する限り、僕は僕の孤独を殺すことはできなかった。そんなにも無益な孤独が、千枝子に於ける神のように、僕のささやかな存在理由の全部だった。この孤独は無益だった。しかしこの孤独は純潔だった。
 孤独、・・・いかなる誘惑とも闘い、いかなる強制とも闘えるだけの孤独、僕はそれを英雄の孤独と名づけ、自分の精神を鞭打ちつづけた。
 支えは孤独しかない。
 僕の青春はあまりに貧困だった。それは僕の未完の小説のように、空しい願望と、実現しない計画との連続にすぎなかった。
 藤木、と僕は心の中で呼びかけた。藤木、君は僕を愛してはくれなかった。そして君の妹は、僕を愛してはくれなかった。僕は一人きりで死ぬだろう。

〈来栖のつぶやき〉
 私は高校生の頃に、漱石の『心』と出会った。「先生」の如何にも知的な風情に魅せられた。寂しい、言い換えれば付着物を削ぎ落とした簡素な佇まいに惹かれた。
 大学の教養時代に福永武彦の一連の小説を読んだ。孤独が、青年の知性とともに描かれていた。
 若い私が強い影響を受けたのは、この2作であった。それは、私の精神風土の基調となった。寂しさを纏い、孤独を守ろうと一途になった。
 イエスに出会ってからは、神の前に立たねばならない自分を意識するようになった。最後の審判の時、人は、たった一人で、一人きりで、神の前に立たねばならぬ。一人で生まれてきたように、一人で死に、一人で神の前に立つ。一人、これが人間の実相である。「聖書」だの「イエス」だのと云わぬ人は、「神」を「良心」とでも置き換えるとよい。
 イエスに出会った私は、人間の視線ではなく、斜め上の方から凝っと見る目(神・良心)を意識するようになった。
 今も、それは抜けずにある。
 “柔和な目の奥に、ふしぎな深い世界がある。この世のすべてを究めつくして、そして人間をそのまま受け入れようと覚悟をきめた目。”(『親鸞』)
 この「目」には、孤独に裏打ちされた世界がある。人は“孤独”に自分を置かなくては、深遠が見えてこない。見極めなくして、(人間をそのまま受け入れようとの)覚悟など、得られない。
 先日、愚息が「今や、死刑囚もブログを書くんだね」とメールを寄越した。死刑囚からの手紙を獄外の管理人がブログ上で公表しているそうだ。
 獄中では、インターネットへのアクセスは不許可である。死刑囚本人が見ることの叶わぬインターネットという世界で自分の手紙が読まれている、どういう風に評価されているのか、反響はどうなのか・・・。見ることも編集することも出来ないだけに、不安が募りはしないか。精神の安寧が保てるだろうか。ネットやメディアに露出して平然としていられるとしたら、余程の人生の達人である。
 また、私信として素直に書いていいはずの文面が、いきおい公表(人目)を意識したものとなり、それに振り回されることになりはしないか。内省どころではなくなり、目が絶えず外に向きはしないか。
 死刑確定者として生きてゆくことは、並大抵ではない。しっかりと、向き合うべきものに向き合わねばならない。向き合うべきもの、とは何か。
 人は“孤独”に身を置かなくては見るべきものが見えてこない、そのように私は思う。


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