地下鉄サリン事件15年 何が変わったか 高村 薫さん 野中広務さん

2010-03-27 | オウム真理教事件

オピニオン インタビュー 朝日新聞2010年3月20日土曜日
 「オウムとは何か」置き去り 伝統宗教はもっと語る時 高村 薫さん〈作家〉
---1995年に起きた地下鉄サリン事件で「日本の安全神話は崩壊した」と言われました。時代の変節点だったのでしょうか。
 「95年以降、日本社会は大きく変わりました。けれどもそれはサリン事件や同じ年に起きた阪神大震災が変えたのではなく、戦後の日本社会をつくっていた枠組みの耐用年数が切れるのと、たまたま一致したのです。55年体制が崩れて、事件のときは『自社さ』政権でした。バブルは崩壊していた。『ウィンドウズ95』が出てパソコンは広がり、発信者と受信者が同じ地平に立ったようにみえて、支配が消えたかのように錯覚した。本当は90年代に、21世紀に向けた新しい国づくりをしなければならなかったのに、できなかったんですね。崩壊と停滞が始まった、そのなかで起きた特異な事件です。
---昨年出版された小説「太陽を曳く馬」は、「9・11」の後までの現代日本が舞台。元オウム真理教信者の青年がキーパーソンの一人。オウムとは何だったのか、という問いが高村さんのなかで醗酵し続けてきたことを感じます。
 「私にとってオウムは、いつかきちんと考えなければいけない宿題でした。だけど私は関西にいて95年は阪神大震災が圧倒的な体験だったので、それで頭がいっぱいでした。オウムについて考えるのに十数年かかりました」
 「震災を体験して、命について宗教が語る言葉のありように敏感になりましたから、オウムの言葉の軽さ、異様さに強く違和感を覚えたのだと思います。見ず知らずの人間のカルマ(業)を落としてあげるとか、世界最終戦争に勝利してシャンバラ(オウムの理想郷)を建設するとか」
---『太陽を曳く馬』では、宗教とは何か、人を殺すのに理由はあるのかと問い続けていきます。
 「私たちの世代は、生きることに悩んだら、読む本が山のようにありました。しかし、若い世代に、考えることを教えられなかった。たとえば、『信じる』ということ一つとっても、どういうことなのか、自我や欲望を捨てて信じることがどれだけ難しいか、考える入り口に立つことから始めないといけないと思うのです。問いを立て続けることが宗教だと思っています。そんなに簡単に門は開いていない」
---宗教に向き合うのはなぜですか?
 「私自身が震災の揺れの瞬間に、形あるものはすべて崩れ去る、と突然に仏教的な世界観に近づいたのです。揺れの十数秒間にやってきた世界の転換がありました。その後、仏教を考えるうちに、オウムにも手が届いた。私の関心は、彼らの宗教体験でした。なぜ彼らは、ヨーガのクンダリニー(霊的エネルギー)が昇るという---光が見えるとか、空中に跳ぶとかいう体験を絶対的なものとしてとらえたのか」
---神秘体験、ですか。
 「どんな宗教も始まりは神秘体験だと思います。それを、魂の救済といった神の約束に結びつけて語る教祖がいて、宗教になる。問題はその教祖です。ヨーガの絶対的な身体体験はあるとして、その意義を言語化するのが教祖ですが、オウム真理教の人たちはその教祖が語る雑な言葉をそのまま信じた。そこが私にはわからない」
---死ぬことによって魂がより高い位置に到達できるとする「ポア」という言葉を使って、オウムは人の命を奪いました。果たして、宗教なのでしょうか。
 「宗教です、宗教としての条件は揃っている。しかし殲滅思想を掲げた時点で、完全なテロ集団です。なのにあのとき社会は『宗教』という冠をかぶせたことで遠巻きにしてしまった」
---事実の解明は、刑事裁判にゆだねられました。
 「事件の構成要件は明らかになりましたけれど、オウム真理教とは何だったのかというところは、裁判の範疇ではないので置き去りにされた。私たちは刑事裁判に丸投げして、本当に知らなければならないことを知らずに終わってしまった。オウム真理教は、社会の仕組みや成り立ちをきちんと言葉で構築することをしなくなった70年代、80年代があって、誕生したのです」
---どういうことですか。
 「言葉で構築できる世界と、その言葉が届かない世界を、それまでの私たちが峻別してきたんです。ところが言葉できちんと世界を構築しなくなると、有限と無限、生と死といった境目がなくなってしまう。境目がなくなることによって、人は超能力や神秘体験に簡単になびいてしまう。強烈な身体体験があると、ひかれていく。仏教は、本来は徹底した論理の世界です。宇宙の果ても時間も言葉で構築する。その先に初めて、言葉の届かない『かなた』を想定するんです」
---大学や大学院から教団に入った若者が多くいました。
 「事件の中心になったのは、最後の豊かな世代の若者です。将来の生活不安がなく、汗水たらして働く前に『何のために生きているんだろう』などと考え、出家することができたのですから。その後、頻発するようになった『誰でもよかった』タイプの通り魔事件はこれからも、しばしば起きるでしょう。外国からの攻撃も、特にサイバーテロはあるかもしれない。けれども国内で、宗教団体にせよ、政治結社にせよ、集団で毒ガスを作って国家転覆を謀る事件は、頻発するとは思えません」
---でも、若者の不安や抑圧感は、今の方が強いのではないですか。
 「今こそ宗教の時代だという気がするんですよ。伝統宗教はもっと語るべきだと思うのです。カルト的な救済が跋扈しないためにも」(聞き手・河原理子)

 警察組織の分断を解消し 危機管理の体制を立て直せ  野中 広務さん(元国家公安委員長)
---地下鉄サリン事件当時、国家公安委員長でしたが、事件の第一報を聞いた時、どう思いましたか。
 「霞が関で原因不明の死傷者が多数出る事件が起きたと聞いて戦慄が走りました。『国家権力、警察捜査への挑戦だ』と思いました。その翌々日の22日に、警視庁がオウム真理教関連の施設への大規模な強制捜査を予定していたからです。事件で亡くなられた方や重い後遺症に苦しむ方々のことを思うと今も心が重いのです」
---当時、記者会見などで「これは国と国との戦いだ」と述べられました。
 「オウムは最初、衆院選に候補者を立てて、国会を通じて国政を支配しようとしましたが、選挙に破れたので、今度は武力で国家を掌握しようとして国家機能が集中する霞が関を攻撃したわけです。しかも、かれら自身が独立国家のような組織を作って日本を乗っ取ろうとしているわけですから一宗教団体との戦いというより国家同士の戦争状態に近いと感じました」
---そうした危機感は政府内で共有されていましたか。
 「いいえ、はっきり言って危機感はあまりなかったですね。例えば、オウムの組織ぐるみの犯行が濃厚になり、警察庁が麻原彰晃代表(本名・松本智津夫、現在死刑囚)ら幹部約10人の海外逃亡を警戒して、旅券の効力停止について法務省と外務省に協力を要請したところ、法務省はすぐに了解してくれたが、外務省はオウムの信者の犯罪と確定していない時点では難しいとして受け付けませんでした。私が外務大臣に事情を説明してお願いしても、何の返事もない。外務省幹部に『外務省が協力してくれなかったため、凶悪犯人の海外逃亡を許したと、天下に公表する』と直談判して、ようやく効力停止の手続ができたということがありました」
---地下鉄サリン事件の10日後に、国松孝次警察庁長官が銃撃され重傷を負い、警察組織はトップ不在の状態になりました。どういう気持ちでしたか。
 「『国松の次は野中だ』といううわさが流れたため、私の警護官が2人から8人に増え、京都の自宅にも警報装置が設置されて、警察官が24時間態勢で警備するようになった。つい、国家公安委員長の職分をはずれ、警察庁長官のような言動をしたこともあるかもしれません。しかし、あの時は誰かが長官の不在を埋めて国民の不安を鎮めなければ、と思っていました」
---オウムの事件は、日本社会にもそれまでになかった問題を突きつけました。
 「私はオウムには、戦後の日本社会の病巣が映し出されていると思いました。テロによって国家を転覆するという妄想のような考えに、恵まれた家庭出身の高学歴エリートが簡単にのめり込んでいく。企業に就職していたのではとても使えないような巨額の研究費を出してくれ、教祖が望むものを作れば、教団の中で地位がどんどん上がる。ゆがんだ欲望を満たすためには人の命を奪うことも何とも思わなくなる。教団は日本社会の縮図でもあったように思います」
---一連の事件では国の危機管理のあり方も問われました。
 「阪神淡路大震災でも国家的な危機管理は十分でなかったという反省はずっと私の内にありました。それに加えて、地下鉄サリン事件が起きた。この国は、平和の中にどっぷりつかってきて、国家の危機管理というものをあまり考えてこなかった。地下鉄サリン事件が起きた年の元日の読売新聞に、山梨県上九一色村(現在は分離され甲府市と富士河口湖町に編入)でサリンの残留物質が検出されたという記事が出ましたが、その件については、私は何も報告を受けていませんでした。国家公安委員長というのはそんなものかと当時は思いましたが、今考えると、そんな重大な事実も知らされないで、政治家はどうやって責任を取ればいいのだろうかとも思います」
---危機管理の体制はこの15年で変わったと思いますか。
 「あまり変わっていないと思います」
---何が1番問題ですか。
 「警察の組織です。オウムは突然現れたわけではないのです。神奈川県の坂本堤弁護士一家殺害事件、熊本県の国土利用計画法違反事件、長野県の松本サリン事件など様々な事件の周辺でオウムの影が見え隠れしていた。山梨県警もオウムが上九一色村に変な施設を作っていることは知っていた。しかし、オウムに対して本格的な強制捜査が行われたのは、地下鉄サリン事件の前月に警視庁管内の品川区で目黒公証役場事務長が拉致される事件が起きてからでした。
---警察組織のどこがいけなかった?
 「私はかねて、戦後の占領政策で分断された警察組織のあり方に疑問を感じていました。各都道府県警察がバラバラの状態では、オウムのような巨大な犯罪組織の全体像を知ることはできないし、各警察の縄張り意識もあって、連携がうまくいかないのです」
---その連携のために警察庁があるのでは?
 「ところが、それが実際に機能していなかった。地方の警察は、警察庁から本部長、部長、課長などとしてやってくるキャリア警察官を、2年間の任期の間キズをつけないようにお守りすることしか考えていません。私は現在の地方警察制度を根本的に見直す時期に日本は来ていると感じました。例えば、FBI(米連邦捜査局)のような全国にまたがる犯罪に対応できる組織をつくるということも、検討すべき重要な課題ではないでしょうか」(聞き手・山口栄二)


5 コメント

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Unknown (rice_shower)
2010-03-27 19:46:41
『レディジョーカー』(傑作!!!)以降、高村さんの小説は読んでいなかったのですが、『太陽を曳く馬』久しぶりに読んでみたくなりました。
オウムは絶対に風化させてはならないですね。(事件としても闇が残されたままですし) 自戒の意味も込め、今村上春樹の地下鉄サリン事件の被害者、元オウム信者へのインタビュー集(『アンダーグラウンド』『約束された場所で -underground 2-』)を読んでいるところです。 
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Unknown (ゆうこ)
2010-03-29 22:04:03
rice_showerさん。コメント、ありがとう。
>オウムは絶対に風化させてはならないですね
>自戒の意味も込め
 ところが、世の中は全く逆の方向に舵を切りました。司法制度改革です。松本智津夫裁判に代表される審理の「長期化」が裁判員制度導入のきっかけになりました。「審理に時間がかかるのは真実を発見しようとする努力の結果。それを否定するのは刑事弁護をするな、と言うのに等しい」と安田弁護士さんは、言います。
 上のエントリで私が大いに同感しましたのは高村さんの「今こそ宗教の時代だという気がするんですよ。伝統宗教はもっと語るべきだと思うのです」という言葉です。オウムの事件が起きたとき、わがカトリック教会は何も反省しなかった。有為な若者が麻原氏の教えに帰依していったのに、カトリック教会は自分たちが何の魅力も与えられなかったことを反省しなかった。自分たちは間違っても犯罪集団ではない、と「いい子」を決め込んだ。そしてその裁判がきっかけの一つとなって裁判員制度が導入されたら、今度は、教会法を楯に「聖職者は裁判員を辞退するように」と修道者に通達して済ませた。何の反省も自戒もしないのがカトリック中央協議会、司教団というところです。
>『アンダーグラウンド』『約束された場所で -underground 2-』)を読んでいるところです。
 むずかしそう・・・。また、内容を教えてくださいね。
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Unknown (rice_shower)
2010-03-31 06:57:41
http://www.youtube.com/iwakamiyasumi#p/u/38/mWCDH5AYycE
いい加減お腹一杯ですが、public enemy(思慮を欠く、ただ正義は大事だと思う、脊髄反射的嫌悪の的となる人達、とでも定義しましょうか)の心の奥底を、見つめる眼だけは失いたくないです。

善悪の判断など、不完全な人間には出来ませんね。 
村上春樹は、紹介させて頂いた著書(全然難しくないですよ)の中で、その基準を「地面に近いところに蝟集している本能的なコモンセンス」という絶妙な表現をしています。
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Unknown (ゆうこ)
2010-04-01 17:34:08
rice_showerさん。
>いい加減お腹一杯ですが
 (笑)同感です。それにしましても、ジャーナリストという肩書の人、多いんですねぇ。
 先日やっと閣僚の記者会見がオープンになりましたね、小沢さんのお陰で。上杉さんの言評、痛快でした。《世界中で、ジャーナリズムが公権力に情報公開を進めるよう圧力を掛けつづけている。ところが日本だけは、公権力側がオープンにしましょうと言っているのに、メディア側がそれを妨げているというまったく異常な状態に置かれ続けている。見事に本末転倒している》
 まったく、日本記者クラブ、ヘンなところです。ま、ここで言う「公権力側」に「特高」検察は含まれてないと思いますけどね。
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サリンと政治と音楽 (h.c)
2010-05-08 11:50:01
とても興味深い記事でした。とても参考になります。ありがとうございました。ところで、あなたはこの1995年サリン事件はこの年代の音楽にどう反映されてるとおもわれますか?
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