12月19日は日比谷公会堂に集結せよ
宮崎学である。
この日、盟友(と向こうは思っとらんかもしれんが)安田好弘たちが死刑反対の大集会を開く。
■死刑廃止フォーラム
http://www.jca.apc.org/stop-shikei/
組員はできるだけ都合をつけていきなさい。
これまた盟友の辺見庸(同)が講演する。
ワシは取材のアポ待ちなので、もしかするとムリかもしれんが、できるだけ駆けつけるつもりである(それはそれで迷惑かもしれんが)。
年末で忙しいことと思うが、なるべく参加しなさい。
投稿者: 宮崎学 日時: 2010年12月 1日 14:57
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〈来栖の独白〉
「12月19日は日比谷公会堂に集結せよ」は、宮崎学氏のブログ『突破者の独り言』から全面転載させて頂いた。私は宮崎氏の「子分」でも「組員」でも「お使い係」でもないが。宮崎学様、無断で申し訳ございません。
12月2日、3日、名古屋アベック殺人事件の主犯K君と話した。2日は通常の30分ほどの時間だったが、3日は1時間余も話した。流石に面会途中で「長いな」と感じ係官のほうに何度も目をやったが、係官は下を向いている。
いつものように、殆どは私が話すばかりで、K君は聞き役である。裁判員裁判で少年に死刑判決が選択されたことを話し、どうですか、と聞いてみると、(K)「僕の場合も、時間があったから反省できた。時間があったから、です」(2日の面会)。
(K)「僕の高裁の時の松本光雄裁判長は、検察の言い分をしっかり認めた。『上告を回避するために、検察の言い分を認めた』と弁護人は説明してくれました」(3日)。
(来栖)「私には夢がある、と言った小沢一郎さん。それと同じことを、昔アーサー・キング牧師も言った。私には夢がある、これは決して甘いことばではないと思う。聖書は『完全な人となりなさい』と言っている。理想とは、甘い夢ではない。更生可能性というが、これは罪を犯した本人の側の問題ではないだろうと思う。この社会が、彼らを、あなたを、どれくらい受け入れるかにかかっているのではないか。人は、自分を信じてくれる人間の一人も居なくて更生できるようには造られていない。あなたに、お母様がいた。あなたを大事な人間と思って力を尽すお母様がいて、あなたが今日、生きているのではないですか。聖書の『一粒の麦』の譬えも『あなたがたも完全な者となりなさい』も、決して甘い理想ではない、と私は思う。あなたを見守った平野さんたちのバックボーンに聖書の言葉があったと私は思います」・・・面会を終えて外に出ると、もうあたりは暮れようとしていた。午後3時半に面会室2番に入り、退室したのは4時半を回っていた。
本年K君から寄せられた手紙には、聖書の『一粒の麦』に因むエピソードや彼の考えが多く綴られている。『一粒の麦』は、厳しい話である。しかし、彼はその話に真剣に向き合い、信仰の中に生きている。未決の頃、彼を支援した上山さん、平野さんは共にカトリックの信徒だった。彼女達に支えられて、今日のK君がある。お二人はK君の確定後、同じ病気(乳癌)により、相次いで天に召された。
K君の信仰と「一粒の麦」については、いずれ稿を改めたい。
末尾になってしまい、甚だ恐縮だけれど、コメントでご案内下さっていたマチベンさんの「街の弁護士日記 SINCE1992」を掲載させて戴く。
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街の弁護士日記 SINCE1992
2010年11月28日 (日)
裁判員裁判で少年に対する死刑判決
26日、仙台地裁で少年に対する死刑判決が出された。
中日新聞の記事が事件を多角的によく分析していた。
過去20年余りで死刑求刑された少年は7人、そのうち2人殺害で死刑求刑されたのは3人。2人は無期懲役、唯一死刑判決を受けたのが光市母子殺害事件の被告で現在上告中だという。
だから、この事件は、光市母子殺害事件に続く2例目の2人殺害の少年の死刑判決ということになる。死刑に軽重がない以上、光市母子殺害事件と同等に凶悪で更生可能性なしと評価されたのだ。
「更生可否スピード審理」とする見出しは、事案の本質を突いているだろう。
仙台地裁は、「犯罪性行は根深い。他人の痛みや苦しみに対する共感が全く欠けている」とし、「更生可能性は著しく低い」と断定した。
たった5日の審理で、更生の可否について、踏み込んだ審理ができるだろうかと、冒頭の記事は疑問を投げかける。
少年事件では家庭裁判所の調査官を中心として、少年の成育歴について詳細な記録が作られている。
ところが、今回の裁判では、成育歴は証拠請求されず、鑑別結果報告書の一部が朗読されただけという。
家庭裁判所調査官の成育歴は極めて重要な証拠だ。発達心理の専門知識を持つ調査官が丹念に調査した結果の中には、事件を解く鍵が含まれている場合もある。
これが証拠請求されなかったのは、裁判員のために、審理の時間を制約しようとする裁判所のせいだろう。
僕は修習生時代に、刑事裁判修習中に少年の殺人未遂事件に当たったことがある。
後続車両から降りてきて少年の車を叩いた男に対して、少年が、やにわに車内のナイフで、斬りつけたという事件だった。
調査官は、少年が沖縄の離島出身であることに着目していた。少年が、本土に渡った後、沖縄差別を繰り返し体験したこと、その中で、周囲に対して過剰な警戒心と恐怖感を抱きながら生きてきた経過に着目していた。そして可能なら、少年の育った島を訪ねて島独特の風土で育った少年の成育歴をさらに調査したいと記載していた。
凶悪というより、本土における差別の中で植え付けられた恐怖心がナイフを振り回すという突発的な行為として発現したという見方だ。
凶悪・凶暴とは違う恐怖心のなせる発作的な犯行という見方だった。
裁判官から意見を求められた僕は、更生可能性を強く主張して、刑事事件ではなく、家庭裁判所へ送致して、少年事件として扱うべきだと強く主張し続けた。
裁判官は懐が深かったと思う。僕は不満足だったが、刑期を軽くするという形で、僕の意見をくみ入れてくれた(余談ながら、このときの国選弁護人は、殺意を否定する少年に対して、無理矢理殺意を認めさせるという尋問をしており、腹立たしかった。少年の弁護人は、修習生として直接、裁判官に意見を述べる機会があった僕だけだったと言っていい)。
話が横にそれた。
調査官の作る成育歴にはそれほどの重みがあるということだ。
読み込むのは大変だろうが、読み込むことができれば、素人ならではの発見と共感もあったかもしれない。
少年の更生可能性を表面的にしかとらえる時間がなかったのは返す返すも残念というほかない。そして、それが裁判員裁判であるがゆえに避けられないことだとすれば、やはり裁判員制度には根本的欠陥があるというべきだ。
是非、少年には控訴してもらいたい。
控訴審で十分な審理時間を確保してもらいたい。
中日新聞は、検察幹部が「弁護側が控訴したら高裁はどう判断するか。裁判員裁判の結果であっても判決の見直しがあるかもしれない」と語ったと伝えている。
検察から見ても、死刑判決は、重すぎるのではないかということだ。
中日新聞は、さらに少年に対する厳罰化を求める市民感情が背景にあることを指摘する。
厳罰化が不必要なことは、以下のグラフを示すだけで十分だろう。
少年の凶悪事件は、圧倒的に減っているのだ。減っていることを示すだけでは、少年に対する厳罰化を求める世論にはひょっとして不十分なのかもしれない。
激減して極めて異例になっただけに、この異例の者は社会には到底理解できない。
理解できないものを排除し尽くしたいという衝動が社会にはあるのかも知れない。
異端を排除しようとする神経症的な空気が社会に蔓延している。
危ない社会だと思う。
少年が控訴して、減刑されることを切に願う。
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◆ 名古屋アベック殺人事件 量刑の理由 名古屋高裁刑事2部松本光雄裁判長〈A=主犯とされた被告少年〉
“Aが本件各犯行において首謀者的地位にあったことは明らかで、本件各犯行の動機、態様、結果等、とくに、被害者両名に対する殺人等の犯行は、遊び感覚で安易に犯した強盗致傷等の発覚を恐れる余り、なんら落ち度のない被害者両名を拉致し、長時間連れ回したあげく、次々と殺害した上、遺体を三重県の山中に埋めたもので、犯行の動機に酌むべきものはまったく見当たらず、抵抗の気配すら見せない被害者らを絞殺した犯行の態様も残虐であり、当時十九~二〇歳と将来のある二人の人命を奪った結果の重大性はいうまでもなく、遺族の被害者感情には今なおきわめて厳しいものがあるなどの事情に照らすと、Aに対しては極刑をもって臨むべきであるとの見解には相当の根拠がある。
しかしながら、犯行時一九歳であったAについては、その生活歴や前歴等を検討すると、原判決のように「犯罪性が根深い」と断定することには疑問があり、矯正の可能性がのこされていること、本件が、精神的に未成熟な当時一七歳から二〇歳の青少年による、無軌道で、場当たり的な一連の集団犯罪で、Aにしても当初から被害者の殺害を確定的に決意し、共犯者らとの深い謀議に基づき、綿密な計画の下に実行したものではないこと、人の生命に対する畏敬の念を持たず、平然と殺害を重ねたものと評価するには若干の疑義があること、さらに、六年余りに及ぶ控訴審の公判でも、人の生命の尊さ、犯行の重大性、一審の死刑判決の重みを再認識して、反省の度を深めていることなどの事情が認められる。
以上のような諸事情を総合すると死刑が究極の刑罰であり、各裁判所が、重大事件について、死刑の適用をきわめて情状が悪い場合に限定し、その是非を厳正かつ慎重に検討している現況にかんがみれば、Aに対しては、矯正による罪の償いを長期にわたり続けさせる余地があり、原判決を破棄して無期懲役に処するのが相当である。”
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◆ “目には目を、歯には歯をと命じられている。しかし、わたしは云っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。(略)求める者には与えなさい。あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。しかし、わたしは云っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。(略)あなたがたの天の父が完全であるように、あなたがたも完全な者となりなさい”(マタイによる福音書5、38~)
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◆ “ よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。
今わたしは心が騒いでいる。わたしはなんと言おうか。父よ、この時からわたしをお救い下さい。しかし、わたしはこのために、この時に至ったのです。
イエスはこう言って、自分がどんな死に方で死のうとしていたかを、お示しになったのである。”(ヨハネ12、24~)
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◆ 「石巻3人殺傷・少年事件」死刑判決に見る真宗大谷派とカトリック司教協議会の対応の差異