【介護社会】<たすけあい戦記> (3)喜びも妻がくれた

2010-01-04 | 社会
【介護社会】
<たすけあい戦記>(3) 喜びも妻がくれた
中日新聞2010年1月4日
 認知症の妻と暮らす男は、2つの日課を欠かさない。
 朝、目覚めた妻の世話を終え、聖書の1章をゆっくりと読んで聞かせる。夜、2人の趣味だったクラシック音楽をかけながら、その眠りを見届ける。
 今日もおまえが頑張って、2人の1日を送れた。もし、明日もそうなら幸せだ。ありがとう-。
 内田順夫(まさお)(72)=川崎市宮前区=は、幼なじみの妻好子(72)を介護して17年になる。子どもはいない。
 大手石油会社に勤めるエリート幹部だった。念願の海外プロジェクトを任され、出張で灼熱(しゃくねつ)の中東を飛び回る日々。長期出張と帰国を繰り返していた数年の間に妻の症状はどんどん悪化した。
 留守の間、ソファやタンスをひっくり返し、激しい暴力を振るう。家事を任せたお手伝いさんが青あざをつくり、何人も辞めていった。会社が休みの週末だけの介護でも疲れ果てた。「殺して、死ねば楽になるだろうか」と思い詰めた。
 定年後、知人の会社への転職を誘われたが、あきらめた。
 典型的な介護地獄が始まった。腸閉塞(へいそく)と尿管結石で2度倒れ、妻を独りぼっちにさせ病院で、自責の念にさいなまれた。窮地の心に、内なる声が響く。何をやっているんだ。おまえしかいないだろう。
 労務管理に腕をふるった、かつての自分からの〓咤(しった)。目が覚めた。「生活から心身を立て直そう。そこからわき出る力で、好子を引っ張っていこう」
 1週間の行動を分刻みで調べた。1日6時間半の自由時間がある。健診、水泳、油絵、読書、友との語らい…。自分のためになることでスケジュールを埋めた。
 学生時代の友や、かつての仕事仲間との付き合い。そこに、介護の日々を支える医師や介護士らとのきずなが新たに加わった。
 「妻こそ新たな人生の、苦難と喜びを与えてくれた」。5年前のある日、啓示のようにそれを知った。私鉄の駅前にあるデパートのレストラン。4つ年上の社の先輩と昼食で落ち合い、いつものように杯を交わした。
 「おまえが介護で頑張っているのはよく分かる。でも、少し考えが間違っているんじゃないか」「どういう意味ですか」「奥さんはおまえのために、頑張って生きているんだよ」
 稲妻のような衝撃。妻の介護は神に与えられた苦難と思っていた。しかし、それこそ独り善がりだった。
 地域の人や友の支えで介護苦を乗り切り、坂道を上った先に、見えてきた景色。動くことも、食事を取ることもできない妻が「生きて一緒にいてくれるからこそ」知ることができた、仕事人生とはひと味違う風景だった。
 内田は言う。
 「今は多くを望みません。2人が健康でいる1日を大切にしたい。その先のことは、その時でいい」 (文中敬称略)

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