死刑執行に関する会長声明

2008-02-01 | 死刑/重刑/生命犯

会長声明集 Subject:2008-02-01
死刑執行に関する会長声明
本日、東京拘置所、大阪拘置所及び福岡拘置所において各1名、合計3名の死刑確定者に対して死刑が執行された。
当連合会は、死刑制度の存廃について国民的な議論が尽くされるまで死刑の執行を停止するよう、これまで再三にわたって法務省に対し要請してきたが、昨年12月の死刑執行から僅か2か月足らずの間に、更なる執行がなされた。これは、昨年の9名に対する執行に続き、本年も積極的に死刑を執行する姿勢を示したものであり、誠に遺憾である。

我が国では、4つの死刑確定事件(免田・財田川・松山・島田各事件)について再審無罪判決が確定し、死刑判決にも誤判が存在したことが明らかとなっているが、このような誤判を生じるに至った制度上、運用上の問題点について、抜本的な改善が図られておらず、誤った死刑の危険性は依然存在する。また、死刑と無期刑の量刑につき、裁判所によって判断の分かれる事例が相次いで出され、死刑についての明確な基準が存在しないことも明らかとなっている。
また、我が国の死刑確定者は、国際人権(自由権)規約、国連決議に違反した状態におかれ、特に過酷な面会・通信の制限は、死刑確定者の再審請求、恩赦出願をはじめとする権利行使の大きな妨げとなってきた。今般、刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律の施行により、実務の改善が期待されていたものの、いまだに死刑確定者と再審弁護人との面会に立会いが付されるなど、その権利行使が十全に保障されてきたとは言いがたく、このような状況で直ちに死刑が執行されることには問題がある。

他方、死刑については、死刑廃止条約が1989年12月15日の国連総会で採択され(1991年発効)、1997年4月以降毎年、国連人権委員会(2006年国連人権理事会に改組)は「死刑廃止に関する決議」を行い、その決議の中で日本などの死刑存置国に対して「死刑に直面する者に対する権利保障を遵守するとともに、死刑の完全な廃止を視野に入れ、死刑執行の停止を考慮するよう求める」旨の呼びかけを行った。このような状況の下で、死刑廃止国は着実に増加し、1990年当時の死刑存置国96か国、死刑廃止国80か国(法律で廃止している国と過去10年以上執行していない事実上の廃止国を含む。)に対し、2007年12月24日現在、死刑存置国62か国、死刑廃止国135か国と、死刑廃止が国際的な潮流となっていることは明らかである。
また、昨年5月18日に示された国連の拷問禁止委員会による日本政府報告書に対する最終見解・勧告においては、我が国の死刑制度の問題が端的に示された上で、死刑の執行を速やかに停止するべきことなどが勧告された。
さらに、昨年12月18日には、国連総会本会議において、すべての死刑存置国に対して死刑執行の停止を求める決議が圧倒的多数で採択された。また、上記決議の採択に先立ち、昨年12月7日の我が国における死刑執行に対しては、国連人権高等弁務官から強い遺憾の意が表明されるという異例の事態が生じた。
今、我が国に求められているのは、上記勧告や決議案にどう応えるかも含めて、開かれた継続的な議論を行うことであり、死刑の執行を急ぐことではない。今回の死刑執行は、我が国が批准した条約を尊重せず、国際社会の要請には一切耳を傾けないことを改めて宣言する行為に等しい。

当連合会は、2002年11月「死刑制度問題に関する提言」を発表し、死刑制度の存廃につき国民的議論を尽くし、また死刑制度に関する改善を行うまでの一定期間、死刑確定者に対する死刑の執行を停止する旨の時限立法(死刑執行停止法)の制定を提唱している。
当連合会は、改めて政府に対し、被執行者の氏名だけではなく、死刑制度全般に関する情報を更に広く公開することを要請するとともに、死刑制度の存廃につき国民的議論を尽くし、死刑制度に関する改善を行うまでの一定期間、死刑の執行を停止するよう、重ねて強く要請するものである。

2008(平成20)年2月1日

日本弁護士連合会
                               会長 平山 正剛

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関連:http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/shikeiseido.htm


6 コメント

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Unknown (rice_shower)
2008-02-02 10:56:26
死刑を存置する為にこそ、死刑判決を下すこと、刑を執行することには、慎重の上にも慎重を期さねばならないですね。
声明文の結語「政府に対し、被執行者の氏名だけではなく、死刑制度全般に関する情報を更に広く公開することを要請するとともに、死刑制度の存廃につき国民的議論を尽くし、死刑制度に関する改善を行うまでの一定期間、死刑の執行を停止するよう、重ねて強く要請するものである」
これには存置派の私も異論は有りません。
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rice_showerさま (ゆうこ)
2008-02-02 22:46:54
コメントありがとうございました。

>存置派の私も

 rice_showerさんの「自称権派」「右翼」「存置派」、浅くはない意味が込められているのでしょう、と受け止めています。
 死刑制度について、軽々にものを言ったり、ましてや結論は出せないと思っています。何を大切に思い、そのため何に怒るのか。そういう目で、自己を外から見詰めます。今日のニュースに戦慄しました。怒りと涙を禁じえなかった。「何者かが知的障害のある女性2人の体に巻きつけた爆発物を遠隔操作で爆発させた」というのです。

>>市場テロは知的障害ある女性に付けた爆弾…イラク軍報道官
2月2日10時42分配信 読売新聞
 【カイロ=長谷川由紀】イラク軍報道官は1日、首都バグダッドの2か所の市場で同日起きた爆弾テロについて、いずれのテロも、何者かが知的障害のある女性2人の体に巻きつけた爆発物を遠隔操作で爆発させたことが原因であることを明らかにした。
 イラクでは最近、女性による自爆テロも起きていたが、知的障害者を利用した爆弾テロは異例。同国で暗躍する国際テロ組織アル・カーイダ系武装勢力などによる、新たな「手口」の可能性もある。 2件のテロは、大勢の人出でにぎわうペット市場を狙ったもので、ロイター通信によると、死者は計72人となり、約150人が負傷した。
最終更新:2月2日11時29分
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Unknown (rice_shower)
2008-02-04 13:02:19
http://www.jica.go.jp/kokusouken/enterprise/chosakenkyu/kyakuin/txt/02.txt
モスレムには「障害は神の罰」との考え方が有るそうですね。 贖罪になる、とでも言って家族を説得したのでしょうか?
男が“女子供”を見下す発言をして許容されるとしたら、それは“イザという時、男は命を賭して女子供の盾になる”との覚悟が備わっていてこそ。
野郎どもは自分でやらんかい!!
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rice_shower さま (ゆうこ)
2008-02-07 22:41:25
 JICAの資料、興味深く読みました。ありがとうございます。

>男は命を賭して女子供の盾になる”との覚悟が備わっていてこそ。
>野郎どもは自分でやらんかい!!
 rice_showerさんの真骨頂! とっても素敵です。惚れ惚れします♪
 基督教の前身と申しますか、ユダヤの教え(旧約)にも、歴史的に障害者に対する似たような偏見がありました。それをイエスというお方が「(障害は)神の栄光が現れるため」とおっしゃった。見下したりしてはならぬ、と。
 日本でも、そうだったのではないでしょうか。「穢れ」である、と。また、障害ではないけれども、女性を卑しい者、穢れたものと見るのも。人類(世界)は、どこも同じかもしれませんね。
 本日の中日新聞の朝刊に盲導犬サフィーの記事。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/2c608ff0011fa849e57db641c062ffea
 昨今の人間社会の醜悪さ・残虐に比して、人間以外の生きものに、崇高さ・命を捨てる愛のあり方を見ます。サフィーに胸がいっぱいになりました。
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Unknown (rice_shower)
2008-02-08 04:33:15
>rice_showerさんの真骨頂
いいえ。 私はそんな覚悟など備わっていないヘタレなので、よって女子供を見下したりしませんです。
イラクの自爆事件ですが、「聖なる任務を果たすことにより、この不憫な我が娘は天国に行ける」と親が涙ながらに進んで差し出した、なんてことも有ったかもしれない、と思うと、一概に全否定も出来ず、いや、宗教は難しい。

女性に穢れを見るのは、ヘタレ男の“畏れ”の感情の発露という側面も有りますね。 一方で女性を聖なるものとする思いも内在していて、要は、男はマザコン、という結論かなぁ。

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rice_shower さま (ゆうこ)
2008-02-09 22:55:05
>一概に全否定も出来ず、いや、宗教は難しい。

 前に、私からのコメントで「rice_shower さんは今のままで、いい感じです」と、お書きしたと思います。「宗教は、胡散臭いですから」とも。
 胡散臭いと感じてしまう理由は、いくつかあると思います。他の宗教は知りませんが、カトリックについて私が感じるのは、イエスの思想と教会の教えとはどうも違うようだ、ということです。ドストエフスキーの作品『カラマーゾフの兄弟』を持ち出すまでもなく、教勢(組織)発展(存続)のためには、この世の権威に合わせるしか道がなかった、ということかもしれませんが。


>「聖なる任務を果たすことにより、この不憫な我が娘は天国に行ける」

 凡そ宗教と名のつくもので看過できない点は、オウム(的なるもの)にみられる事件です。森達也さんは、次のように言っています。

 考えてほしいのは優しくて善良で純粋な彼らが、なぜサリンをまいたのかってことなんです。人間の善良な部分が人を傷つけ、殺す場合があるということです。そこに気づかないといまの社会を解析できないって思うんです。
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/unknown9-mori.htm 

 「あんな奴は死んだほうがいいんだ」ってことで、教団トップの命令でポアしたわけでしょう。この痛ましい事件に対して、既成の宗教教団は何もしなかった。有為な若者が反社会的集団に雪崩れを打って帰依し、サリンを撒くような事になったのに、彼らを惹きつける魅力がなかった自分たちへの反省は何もなかったのです。
 極めて個人的なことですが私はここ何十年かの時間の末に、「死を認容する正義などないのではないか」(正義とは、畢竟、命を守ることではないのか)、という結論を得たように思います。人を殺すことを容認する「聖なる任務」や正義などありえないし、それによって至る「天の国」など存在しないのではないか、と。

>“畏れ”の感情
>女性を聖なるものとする

 rice_shower さん、初心ですね。ロマンチストでもいらっしゃるかな。いい感じです♪
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