〈聖夜〉 路上で、寒さと飢えに孤独に堪えるイエスがおられる

2009-12-24 | 社会
〈来栖のつぶやき〉
 「鬱」の時代とも謂われる今日。イエス生誕を取り巻く環境は象徴的だ。
 聖マリアは、初めての子イエスを布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
 イエスは大工の子として生まれた。賎業の家の子として生まれた。宿屋は〔満室で〕泊まる場所がなかった、のではない。〔貧しい彼ら〕の泊まる場所はなかった、のである。
 イエス生誕の福音は、野宿をしながら夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちに、いち早く伝えられた。
 ユダヤの律法によれば、夜働くことは禁じられている。夜は、寝る時である。しかし、羊飼いたち社会の底辺にある者は、夜勤を厭うことなどできぬ。夜も安息日も、即ち律法を守っていては、生活が成り立たない。破ってでも働かねば生きてゆけないのである。
 近ごろ歎異抄ブームなどといわれるが、法然上人や親鸞聖人の生きた時代(平安末期から鎌倉時代)も、困窮者のあふれる社会であった。盗み、追いはぎ、女や子どもを売り飛ばすこと、人殺しだって、何だってやらなければ、貧しい最底辺の者は生きてはいけぬ。当然の帰結として悪行を重ねる彼らは、「死ねば地獄」に慄いて生きる。
 そういう彼らに、やがてイエスは言う。「律法は守れなくても、地獄へなど往きはしない。わたしも、あなたと同じだ」。
 以下のようなメッセージがある。
〈マタイによる福音書25、35-40〉
 『お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた・・・』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
 本年が、昨年よりも雇用状況がよくなったなどとは到底思えない。この聖夜(クリスマス)、路上で寒さと飢えに孤独に堪えるイエスがおられる。希望もなく、死を選ばざるをえない3万人に余るイエスがおられる。未遂者を入れれば、10万人余ともいう。
 教会は聖体ランプ(イエス臨在のしるし)を燈し、ボランティアと称して炊き出しをする。が、イエスは教会の中におられるだろうか。路上で一杯の雑炊を求めて並ぶ人たちの列の中におられるのではないか。
 クリスマスとは、イエスという御方が何処に生まれ、いま何処におられるのか、この社会はどうなのか、私に問うてやまない。
--------------------------------------
〈ルカによる福音書2、1-14〉
 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
---------------------------------------
〈マタイによる福音書25、31-46〉
  そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Re:最も小さい者 (ゆうこ)
2009-12-30 16:42:43
さちさん。
 本年のご厚情を深謝します。ほんとうにありがとうございました。本年は、五木寛之氏の著作によって多くを教わった年であったと思っています。
 本田神父さんは『小さくされた者の側に立つ神』といわれ、歎異抄にも「善人よりも悪人が救われる」と著されています。そういった線引きに、正直なところ私は永く疑義を抱いてきました。
 が、『親鸞』を始め五木さんの一連の著書によって、善人でも悪人でもなく、どちらかの「側」でもない、と教えられたのです。突き詰めれば、人間は皆悪人である、と。そして、悲苦の深い者から救いたい、というのが大いなるお方の本願である、と。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/d4a2fb571f049f7708031ca6d0ce59ef
 さちさん。来る新しい年も苦しみ多い世上となりそうです。ブログ、メールでのお付き合い、宜しくお願いします。心より感謝のうちに。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。