佐藤愛子著『九十歳。何がめでたい』司法は人間性を失った。情を捨て、観念のバケモノになった。

2018-01-17 | 本/演劇…など

『九十歳。何がめでたい』佐藤愛子著 2016年8月6日 初版第1刷発行 2017年12月2日 第23刷発行 小学館発行 

 子供のキモチは
p65~
 今から11年前、こういう出来事があった。
 愛媛県今治市の小学校で、6年生の男子がサッカーボールを蹴っていたところ、ボールが校門の扉を越えて、丁度オートバイで走ってきた老人に当たりそうになった。老人はそれをよけようとして転倒し、足を骨折し入院。それから1年4か月後に肺炎で死亡した。
 すると老人の遺族は少年の両親に5千万円の賠償を求めて提訴した。少年の両親が監督義務を怠ったという理由である。それに対する判決は1審2審共に両親の監督責任を認め、1審1500万、2審1180万円の賠償を命じた。
p66~
 何ともおかしな話である。少年は校庭でサッカーをしていた。道端や公園でしていたわけではない。サッカーは手を使わずボールを蹴るスポーツであるから、当然のことをしていたわけだ。それがなぜ親の「監督不行届き」になるのだろう? 親は子供が学校にいる間もその行動を監督しなければならないのか? ボールを蹴るときは校門の外に出ないように、やさしく蹴るようにと教えなければいけないというのか。
 老人は転倒して骨折したが、それが原因で死亡したのではない。亡くなったのはそれから1年半も経ってからで、しかも肺炎で亡くなっている。足の骨を折ったのがもとで肺炎を引き起こすという話は世界中、聞いたことがない。
 我が国には昔から「運が悪かった」という言葉があり、不慮の厄災に遭った時など、この言葉を使って諦めて耐えるという「知恵」を誰もが持っていた。人の世は決して平坦な道ではないということを皆が知っていた。知っているからこそ(p67~)親は子に耐えることや諦めることを教えた。耐え難きを耐え許し難きを許すこと、それは最高の美徳だった。自分がこうむったマイナスを、相手を追い詰めて補填(つまり金銭で)させようとすることは卑しいことだった。かつての日本人は「不幸」に対して謙虚だった。悪意のない事故も悪意のある事故もゴチャマゼにしてモトを取ろうとするガリガリ亡者はいなかった。今はそのガリガリ亡者の味方を司法がしている。(中略)
p68~
 司法は人間性を失った。
 情を捨て、観念のバケモノになった。
 何でもかでも理非を問わず被害をこうむった立場の味方をするべしという規約でもあるのですかと問いたいくらいだ。(中略)
p69~
 しかしこの春、事件から11年を経て、事件は漸く最高裁によって正しい判決が下された。
「危険がない遊びなどで偶然起きた事故なら責任は免れる」
 という初判断が示されたのである。この国の司法にもまだ良識が生き残っていたのだ、と私の胸のつかえは一応下りた。11年ぶりで少年の家庭から暗雲が去ったのである。
p70~
 しかし11年とはあまりに長い年月だ。6年生だった少年は22、3になっている。その長い思春期をどんな思いで過ごしたのだろう。彼は楽しくボールを蹴っただけだ。それ以外にどんな悪いことをしたのか・・・。(以下略)
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産経ニュース 2015.4.9 15:48更新
ボールよけ転倒死、男性の遺族が逆転敗訴 親の子供への責任「被害の予見可能性で線引き」 最高裁初判断

   
   サッカーボール事故の現場を説明する男児の父親=3月31日、愛媛県今治市
 小学校の校庭から蹴り出されたサッカーボールをよけようとして転倒した後に死亡した男性の遺族が、ボールを蹴った当時小学生の元少年(23)の両親に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決が9日、最高裁第1小法廷(山浦善樹裁判長)であった。同小法廷は、「子供の行為が及ぼした被害に対する予見可能性の有無で、親らが監督義務を尽くしたかどうかを線引きできる」とする初めての判断を示した。
 その上で、「両親は被害を予測できなかった」として、両親に賠償を命じた2審大阪高裁判決を破棄、遺族側の逆転敗訴を言い渡した。4人の裁判官全員一致の意見。
 子供の行為と死亡の因果関係に争いはなく、両親が監督義務を尽くしていたかが争点。民法では、子供の行為で被害が生じた場合、親らが監督義務を尽くしていなければ子供に代わり賠償責任を負うと規定している。ただ、過去の訴訟では因果関係が認められた場合、「被害者救済」の観点から無条件に親に賠償を命じてきた。今回の判決は、子供や認知症で責任能力がない老人を世話する家族に対する賠償責任のあり方に影響が大きいとみられる。
 同小法廷は、今回の子供の行為について「ゴールに向かってボールを蹴る通常の行為で、道路に向けて蹴ったなどの事情はうかがわれない」と指摘。両親が普通のしつけをしていたことなども考慮し、今回の事故を「予測できたとはいえない」として、監督義務を尽くしており、賠償責任は負わないと判断した。

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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佐藤愛子著『九十歳。何がめでたい』・・・大阪寝屋川・中1殺害事件
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愛知県大府市 認知症JR事故、家族に監督義務なし 最高裁で逆転判決 2016/3/1
上田哲・長門栄吉裁判長「アホ判決」(名地裁・高裁)91歳の認知症夫が電車にはねられ、85歳の妻に賠償命令 2014-05-28 
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