沖縄伝統行事の無知でバレた基地反対活動家たちの本性 和田政宗(参議院議員、元NHKアナウンサー)(青林堂『日本の真実50問50答』より)
今、日本とはどういう国であるのか、世間やメディアで述べられている戦前や戦中の日本、戦後の歩みは真実なのか、こうしたことに興味を持ち自ら調べる人々が増えています。こうした人々は、一方的に日本をおとしめるような外国勢力の発言や日本国内における国を愛せない勢力の活動に疑問を持ち、自ら真実を探求しようとさまざまな情報を収集し、ネットで発信したり本を出版したりと積極的に行動しています。
私も受けたような戦後の左寄り教育やとにかく批判ありきの主要なメディアの呪縛に気づき、自ら解き放ちたいという人々です。また、若者を中心に新聞を購読せずヤフーニュースなどで情報を得る、テレビもあまり見ないといった人が増え、そうした人たちは、何が真実なのか自らネットを通じ探求するようになっています。
これまでは新聞やテレビで報道されていることのみが真実であると思われがちでしたが、ネット社会の発展が、本当の真実を明らかにする大きな力となっているのです。これは国民の情報に対する成熟をもたらし、日本にとって国家としてより揺るぎない将来をもたらすものとなるでしょう。
そこで本著においては、皆様が我が国の真実を探求するための一助になればと、これまで世間で言われているようなことが真実なのかそうでないのかを、わかりやすく解説できればと思っています。
私自身が戦後の左寄り教育によって洗脳され続けてきた過去がありますので、どれだけそうした教育に嘘が多かったかを実感しています。また、以前はメディアで働いていましたので、真実を探求しようという心あるジャーナリストがいる一方で、捏造に近い報道や番組を作る勢力も目の当たりにしてきました。
今こそ日本の将来のために、日本の真実を知ることが重要です。皆様とともに、今日本で起きていることや歴史的事実を正確に理解することで、誇りある豊かな日本を築いていければと考えています。
日本は素晴らしい国です。優しさにあふれ性善説に立ち、自ら覚悟をもって行動する。これほど素晴らしい民族や国家は世界を見渡してもないくらいだといえるでしょう。そうした我が国を築いてきた先人に感謝し、国を愛し、次世代に素晴らしい日本を受け継いでいきましょう。
Q 保守とは何か? 革新とは何か?
まず考えなくてはいけないのは、日本では「保守と革新」という言葉の解釈が、欧米と違うということです。本来の意味からいうと、保守とは「明日を今日よりも豊かにして、豊かになった分を分配しよう」というところから考えます。経済発展をなし遂げ、その中で得た利益を分配する、ということです。そうして将来的に今以上に良い社会を目指す発想です。
一方の革新は「今得られるものを平等に分配しよう」というところから考えます。明日はまた、明日得られたものを分配していく。社会主義的な発想です。「保守と革新」という言葉のイメージからすると、正反対のように感じることでしょう。今以上の発展を目指し、得られた利益を分け合うのが保守であり、今現在あ るものを分配するのが革新です。
確かに逆のイメージをお持ちの方は、特に日本には多いかもしれません。ですが保守のほうが未来を見据えて大局を見て、そのために今、何をするかというアクションにつなげる側です。革新は常に「今あるもの」を分配していきますから、将来のことはその次に考えましょう、ということになりがちです。これはまさに某政党が政権を執っていた時の状況に似ています。
時おり保守を「先祖返り」と批判する声が聞こえてきますが、これは言葉の意味を取り違えた、的外れな指摘だと私は思います。保守陣営の中にも、この言葉の本質をはき違えている、あるいはあまり理解できていない方はおられます。ですから、政治学者の中西輝政先生がしばしば語られるように、まずは「保守と革新」というふたつの言葉の、再認識が必要でしょう。
保守というと「伝統を守る」「旧来のやり方を通す」という見られかたをされがちで、そうした面も確かにあります。しかしそこには「今までに受け継いだものを、さらに良くしていこう」という、将来に向けたビジョンとアクションも含まれています。
たとえば、今は亡き田中角栄先生は、「東京の首都高速道路を片側4車線にしよう」という構想をお持ちでした。片側4車線の高架道路となるととても大がかりなもので、さすがは日本列島改造論の田中先生らしい、大胆な発想です。それだけに、周囲からはこの構想は「絵空事だ」と扱われていたのかもしれません。でも、もしもこの構想が実現していたらどうでしょう?
現在の都心の道路渋滞は起こっていなかったはずです。その時その時の状況だけではなく、将来にも目を向けて、発展できる可能性を追求していく。これが保守です。田中先生は保守系からの批判を受けることもありますが、やはり経済に関する先見の明は、とても優れたものをお持ちでした。
一方、革新系の共産党や旧社会党の過去の主張を振り返ってみると、その当時の状況だけを踏まえた主張しか出てこない。首都高速道路については一人でも反対があれば建設しないという意見まで出ていたのですから驚きです。これが、彼らにとって最善の策なのです。今あるものをとにかく分配してしまう。反対のあるものはやらない。その後のことは、それから考える。このやり方では成長が望めません。それは社会主義モデルであり、将来破たんするのは目に見えています。
いま、安倍政権が進めていることは、まさに本当の保守政治です。経済を今以上に発展させて利益を上げ、それをみなで分配しようというわけですから、国民にとってもこれは良いことであるはずです。
また、若い世代が保守傾向にある、という話もよく聞きます。これはヨーロッパの政治学者たちが定義する「保守の本道」を行く、安倍政権への若者たちの共感があるのではないでしょうか。将来ある若者にとっては、自分たちの未来をどれほど明るいものにできるかは、大いに興味があるはずです。それが保守への支持、保守化となって表れているのでしょう。
決して懐古主義ではなく、先祖返りでもない。より良い将来を見据えて、それを実現していく。それが保守であり、そうした保守の本質が若者たちの間にも知られてきたために、支持が広がっているのだろうと思います。
Q 先の大戦で日本軍は沖縄を見捨てたのか?
2017年(平成29年)2月の半ば、私は沖縄を訪れました。浦添市長選挙の応援が主な目的だったのですが、その合間に、糸満市の平和祈念公園、さらに同じ糸満市内の「白梅の塔」にも足を伸ばしました。平和祈念公園は県営の公園として、今は広々と整備されていますが、沖縄戦として知られる激しい戦闘により、日米両軍と一般人に多数の死傷者を出しつつ、日本軍の沖縄守備部隊が終焉を迎えた場所です。
園内にはいくつもの慰霊碑、慰霊塔などがあり、中でも「平和の礎(いしじ)」は修学旅行で学生たちが多く訪れるためか、よく知られているようです。ここでは屏風のような形に立てられた黒い石碑に、沖縄戦などで亡くなった方々の名前が、国籍に関わらず刻まれています。その石碑の間を歩いていると沖縄戦というものがいかに悲惨なものだったかということを、あらためて強く感じます。そして、平和の礎の少し先には「摩文仁の丘」があり、ここには沖縄のために戦った各都道府県の方々の慰霊塔が建ち、沖縄戦で散った全国の方々の霊を慰めています。
白梅の塔は過去にも訪れたことがあったのですが、この日も人影はまったくなく、ひっそりと静まりかえっていました。近くには沖縄戦を戦った陸軍第24師団歩兵第22連隊の慰霊碑が建っています。 22連隊は愛媛県松山市の歩兵連隊であり、1945年(昭和20年)6月にこの地で最期を迎えています。慰霊碑の碑文には、住民とともに勇敢に戦ったことが刻まれています。こうした場所は修学旅行の訪問先にはなかなかなりません。日本各地から沖縄のために戦い戦死した方々がいることが、いわゆる平和教育において不都合なのでしょうか。
大戦末期、日本中から多くの軍人、民間人が、沖縄を守るために駆けつけました。沖縄では航空機による特攻がかなり行われたのですが、それは敵艦を攻撃するという目的に加え、民間人へのサポートにもなりました。特攻をかけている間は、敵の砲撃は陸地には向かってきません。その間、住民たちは身を潜めていた防空壕を飛び出し、水を汲みに行ったり食料を取りに行ったりができました。
しかし、戦後のいわゆる平和教育の名のもとで「沖縄は捨て石にされた」という声が上がるようになりました。私も育った土地が日教組の強い土地柄だったためか、小学校の授業で「沖縄は、日本に見捨てられたんです」という話を聞かされていました。ですが、決してそんなことはありません。当時の沖縄では、日本軍と現地の住民とが一体になり、勇敢に戦っていたのです。思いをともにして戦った場所には、多くの慰霊碑や慰霊塔が残されています。
また、1945年(昭和20年)1月という、まさに米軍上陸は避けられないと見られて いた時期に沖縄県知事に就任し、沖縄の方々とともに亡くなった島田叡のような人もいます。日本は、決して沖縄を見捨てたりはしなかった。国家の総力を傾けて沖縄戦を戦いました。それは多くの記録や書物にまとめられています。近年では仲村覚さんの著書などを開けば、なぜそこまでして戦い抜こうとしたのかが判ることでしょう。靖国神社の遊就館を見学するなどすれば、そのことは本当に強く感じられます。
Q沖縄の真実の声は、本当に反基地・反米軍なのか?
私はこのところ年に数回、沖縄を訪れています。昨年(平成28年)10月に行った時には、 米軍基地内でハロウィンパーティをやっていました。もちろん当日は基地を開放していますから、一般の方々も入場できます。基地の入口付近は入場を待つ車が列をなして、大渋滞です。
米軍としては、やはり地元の方々の基地への理解は必要だと考えているでしょうから、こうしたイベントをどんどん行って、地域住民との接触の機会を増やしていきたいところでしょう。ふだんは入れない米軍基地の中で、しかも純アメリカ流のイベントを楽しめるということで、地元の方々が大勢やってきます。その光景は「反基地こそが沖縄の総意」というスローガンとはまったくかけ離れたものでした。
私は、日本国は日本人の手で守るのが本筋だと考えています。ですが米軍基地は日本全国に存在しており、その強大な軍事力は現状において日本を守る防衛力の一部となっています。ですから、いきなり在日米軍基地をゼロにする、ということはできません。将来的にゼロにするということには賛同できますが、段階的な縮小を経ていくというのが、もっとも現実的でしょう。
米軍基地と地元住民とが穏便に共存している地域はいくつもありますし、沖縄にも同じことがいえるはずです。まして辺野古については、住民の方々はすでに移転を受け入れているわけです。もちろんそこに温度差はあるでしょう。「積極的に受け入れる」という方もあれば、「仕方なく容認する」という方もあったはずです。ですが地元住民として受け入れたからには、基地のゲート前で違法テントを張ってまで抗議活動するというのはどうにも理屈に合いません。
昨年の2月、私が沖縄を訪れた時は、ちょうど「ジュウルクニチ」にあたっていました。沖縄では今も旧暦に従った伝統行事が数多く残っていて、それが人々の生活の中にしっかりと根付いています。そのひとつであるジュウルクニチ(十六日)は旧暦の1月16日に あたり、「あの世のお正月」とされる祭日です。新暦では 2 月の15日頃になりますが、こ の日は会社も半休、あるいは休日になるところもあるそうで、一族がご先祖様の墓前に集い、お重に詰めた料理を広げて祖先の霊を慰めるのだそうです。
私が辺野古の抗議活動の視察にいった時が、まさにジュウルクニチの日でした。同行してくれた沖縄の方は「さすがに今日は、誰もいないんじゃないですかね」と言います。それでもせっかく来たのだから、誰かいたら『違法テントなんかやめて、もっと合法的な抗議活動をしましょう』くらいは呼びかけてみよう。そう思っていました。
ところが現場に着いてみると、抗議活動中の人がわんさといるわけです。今日は大事な祭日なのに、お墓参りにいかなくていいのかな?私は少々面食らって、その場にいる人々に尋ねてみました。
「今日はジュウルクニチですけど、皆さん、ここにいていいんですか?」
「ん?なんだ、その『じゅーるくにち』ってのは」
一瞬にして答えが判ってしまいました。
「なんだ、皆さん沖縄の方じゃないんですね」
「……お前だって、沖縄の人間じゃないだろう」
こんなやりとりをしているうち、テントの中にいた名護市議の大城氏があわてて出てきて「ちょっとまずい」とバツが悪そうに私に話しかけてきました。その後、5月に再訪した時には、すでに私の顔が知られていたのか、現地の活動家から暴行を受けるはめになってしまいましたが、その時の印象では標準語を使う人が多く、また関西弁も混じっていました。その場にいる人々の多くが県外組であるのは明らかで、さらには韓国語で書かれた垂れ幕まである、というありさまです。
それでもめげずに、違法テントを挟んで通りの反対側で演説をやっていましたら、何やら、その違法テント側の歩道をいかつい人物が歩いてくるのです。がっちりした体つきに濃い色のサングラス。小型のブルドッグを連れて、のっしのっしとやってくる。そして演説している私の正面、道を挟んだ向こう側の、路肩の縁石にドカッと腰を下ろして、私の演説を聞き始めました。
『いやぁ、マズイなぁ。怖い人が来ちゃったかな』などと一瞬思いましたが、といって逃げ出すわけにもいきません。演説を続けしばらくして終わると、なんとその人は「パチパチパチ」と拍手してスッと立ち上がり、そのまま悠々と去っていきました。犬を連れていたので明らかに近所の住民の方だと思うのですが、テントにいる活動家たちも、その人には何も言わない。活動家と地元の方々との間に、何かひと悶着があったのかもしれません。
近くの商店の方に話を聞いてみたのですが、「あのテントには辺野古の人間は一人もいませんよ」ときっぱり言います。時々トイレを借りに来るので、まぁ貸してはいるけれども、ウチで何も買ってくれないのでね…。
「そのうえトイレットペーパーを持ち出していくんです…」
地元の方々にとっては、迷惑はなはだしいわけです。
「基地周辺の人々が、米軍基地に対して問題を抱えているのなら、そこは政治が仲立ちをして段階的に改善をしていきましょう」
橋本龍太郎総理の頃から、基地問題は一貫してそうした姿勢で政府が取り組んできました(民主党政権時代は除きますが)。ですが辺野古では抗議活動が活動家のためのものになってしまっていて、彼らはこれまでの枠組みを破壊しようとしている。そのことに対して、沖縄の方々は決して快く思っていません。基地問題について中庸な立場をとっている人たちの間にも、そうした感覚は広がっています。
もちろん、基地があるからこその負担はあります。米軍機による騒音などは、もっとも大きなものでしょう。でもそれについては「今までの政府の姿勢に沿って、対応していく」という方向性を変えることなく、その中で改善に向けた努力をしていくことが必要です。あのハロウィンパーティをたくさんの地元の方々が楽しんだでしょうし、また米軍軍属の方から英語を教わって、相互理解を深めようという活動をしている方もいます。
白か黒かという話にせず、できる部分は歩み寄り、良しとしない部分は論拠のある主張を挙げて改善を求める。双方がこうした姿勢を崩さずに交渉に臨めるのであれば、いさかいは平和的に解決できるでしょう。しかし沖縄においては県外から来た活動家が混乱を引き起こしています。
私が引き出した政府答弁では、沖縄の反基地運動に過激派が参加していること、ここ2年の逮捕者の3分の1が沖縄県外の人や外国籍の人物であることが明らかになっています。沖縄の現実を自分自身の目で見るにつけ、「反基地・反米軍が沖縄の総意だ」などという言葉が、私には空しく聞こえるばかりなのです。
*わだ・まさむね
1974年、東京都生まれ。慶応大卒。1997年にアナウンサーとしてNHKに入局。2013年の参院選でみんなの党(当時)公認で出馬し初当選。著書に『戦後レジームを解き放て! 日本精神を取り戻す!』(青林堂)など多数。
◎上記事は[IRONNA]からの転載・引用です
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『日本の真実50問50答 わかりやすい保守のドリル』
発売日:2017/06/08 出版社: 青林堂
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過激化する沖縄反基地運動や、森友事件における辻元議員への問題提起で注目を浴びる和田政宗議員。
正論を貫きとおす保守政治家の雄!左翼とのディベートに必携の1冊!
<内容 主なテーマ>
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◇ 【沖縄の真実】(2)辺野古テント村の実態 地元は無関係の座り込み / (3)沖縄の「属国化」を見据える中国
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