池袋暴走事故 メディアは「元院長」ではなく、飯塚幸三「容疑者」と呼称すべき 2019/11/12

2019-11-12 | 社会

池袋暴走事故、なぜ「上級国民」を「容疑者」と呼べないのか
 田中秀臣 (上武大学ビジネス情報学部教授)
 IRONNA 2019/11/12
 今年4月、東京・池袋で自動車の暴走事故を引き起こした旧通商産業省工業技術院元院長が、書類送検される方針が固まったことが、捜査関係者の話としてマスコミに報じられた。この暴走事故で、はねられた母子2人が死亡し、元院長と同乗していた妻を含む男女8人が重軽傷を負った。誠に悲惨な事件であった。
 事故現場は、筆者も30年ほど利用する生活道路というべき所で、事故当日も現場の近くの都電を利用していた。道路は事故後の対応で、警察によって閉鎖されていて、物々しい雰囲気が漂っていた。
 重軽傷を負われた方の精神的や肉体的な後遺症も深刻だろうし、亡くなられた小さいお子さんとお母さんのことや、残された遺族の心中を思うと、本当にやりきれない気分になってしまう。車の運転を行う者としても、慎重で安全な運転をしなくてはいけないと改めて自戒している。
 また、この事件を契機にして「上級国民」という言葉が注目を浴びた。身柄を拘束されないことや、また「容疑者」ではなく常に「元院長」などの肩書で、テレビや新聞などで呼称されたことも問題視されていた。
 「特権」的な優遇がありはしないか、そう多くの国民が考えていたため、元院長に「上級国民」という言葉が与えられたのだろう。だが、筆者はこの論説であえて「飯塚幸三容疑者」を使わせていただきたい。
 飯塚容疑者は当初「ブレーキをかけたが利かず、またアクセルが戻らなかった」と証言していたという。だが、捜査関係者の話では、事故直後から車に異常は認められなかったことが明らかになっており、飯塚容疑者がブレーキとアクセルを踏み間違えた疑いが極めて強い。
 飯塚容疑者本人も最近では、踏み間違いを認める証言をしているという。書類送検の結果が、飯塚容疑者に対する重い罰則になることを、筆者はやはり願わずにはいられない。なぜなら、飯塚容疑者の現在の発言があまりに無責任で、信じられないくらい人の道を違えたものだからだ。
 あくまで私見であるが、飯塚容疑者の犯した罪は法規にのっとり、厳正に処断されることを期待したい。彼がいわゆる「上級国民」や高齢であろうがなかろうが、法は誰にも等しく適用されるべきだと思う。
 日本銀行前副総裁で学習院大の岩田規久男名誉教授は、著書『福澤諭吉に学ぶ思考の技術』(東洋経済新報社)の中で、明治の啓蒙(けいもう)思想家、福澤諭吉の議論を借りて、次のように述べている。

 多くの日本人の責任の取り方は、福澤(諭吉)のいうように自己責任を原則とする個人主義とはかなり異なっている。自己責任を原則とすれば、裁くべきは法に照らした罪であり、世間が騒ぐ程度に応じて罪が変わるわけではない。メディアは力士が野球賭博をすると大騒ぎするが、普通の企業の社員がしても記事にもしないであろう。しかし、どちらも法を犯した罪は同じであるから、メディアがとりたてる程度で罪の重さが変わるわけではなく、同じように自己責任をとるべきである。
  岩田規久男『福澤諭吉に学ぶ思考の技術』(東洋経済新報社)

 岩田氏の指摘を今回の事件に援用すれば、飯塚容疑者について、メディアは「元院長」ではなく「容疑者」と呼称すべきだし、マスコミの一部も飯塚容疑者の自己弁護も甚だしい発言を安易に報道すべきではないのだ。その「自己弁護甚だしい発言」というのは以下のような趣旨である。
 TBSのインタビューに答えた飯塚容疑者は「安全な車を開発するようメーカーに心がけていただき、高齢者が安心して運転できるような、外出できるような世の中になってほしい」という旨を述べた。被害者への配慮はごくわずかであり、ほとんどが自分の行いよりも自動車メーカーなどへの注文であった。まさに驚くべき責任逃れの発言である。
 福澤諭吉の先の発言では、このような人物にも法的な適用は差別してはならないという。だが、同時に、福澤はこのような官僚臭の強い詭弁(きべん)に厳しい人であったことを忘れてはならない。このような人物が社会的な批判にさらされるのは当然と考える。
 飯塚容疑者に厳罰を求める署名が約39万筆集まったという。この署名が裁判で証拠として採用されるなどすれば、量刑の判断に影響することができる。
 これもあくまで私見ではあるが、飯塚容疑者の上記のインタビューがあまりにも責任逃れにしか思えず、反省の無さを処断するために、署名が証拠として採用され、効果を持つことを期待したい。
 日本の官僚組織、また個々の官僚は「無責任」の別名だといえる。著名な政治学者の丸山真男はかつて、人が目標を明示し、その達成を意図してはっきりと行動することを「作為の契機」と表現した。
 それに対して、官僚としては成功者といえる飯塚容疑者は、それとは全く真逆の「不作為の契機」、つまり責任をいつまでも取らない、むしろ責任というものが存在しない官僚組織の中で、職業的な習性がおそらく培われていたに違いない。そして、その習性が仕事だけではなく、彼の私的領域にも及んでいたのではないか。
 ここに私がこの問題をどうしても論評したかった一つの側面がある。飯塚容疑者の発言のパターンが、今まで日本の長期停滞をもたらしてきた官僚たちや官僚的政治家たちと全く似ているからだ。
 もちろん、高齢ドライバーをめぐる問題は、論理と事実検証を積み重ねた上で取り組んでいかなければならない。飯塚容疑者だけを糾弾して済む話ではないのだ。何より冒頭にも書いたように、筆者も自動車運転をする身として、今回の事件はまさに何度も自省を迫られる問題にもなっていることを忘れてはいない。 

 ◎上記事は[IRONNA]からの転載・引用です *強調(=太字)は来栖 


独自 池袋事故「フレンチに遅れる」
   2019/11月12日(火)ニュース
 東京・池袋で今年4月、乗用車が暴走し、母子2人が死亡、10人が重軽傷を負った事故で、運転していた旧通産省工業技術院の飯塚幸三元院長が、「予約していたフレンチに遅れそうだった」と供述していたことがテレビ東京の取材で明らかになりました。
 警視庁はきょう、起訴を求める「厳重処分」の意見を付け元院長を過失運転致死傷の疑いで書類送検しました。
 松永真菜(まな)さんと娘の莉子(りこ)ちゃんがなくなった事故。
 捜査関係者への取材で暴走した車を運転していた飯塚(いいづか)元院長は両膝に関節症を患っていて かかりつけの医者から運転を控えるように注意されていたことが明らかになりました。
 さらにテレビ東京の取材で飯塚元院長がその日 車を運転していた理由をこう供述していることがわかりました。
 飯塚元院長のコメント「予約していたフレンチの時間に遅れそうだった」
 急いでいたとみられる飯塚元院長制限速度の時速50キロを超えるスピードでカーブに進入。
 前方のバイクや車を追い越すため、 車線を3回も変更する蛇行運転をしていたことも新たに分かりました。
 飯塚元院長は運転ミスを否定したため、警視庁はドライブレコーダーや防犯カメラの解析など、 徹底的な証拠固めを行い、7ヵ月かかっての書類送検となりました。
 長い捜査の末、ようやく松永さんのもとに返却された遺品。
 松永さん「事故当時2人が乗っていた自転車ですね。」「溶接部分だと思うんだけどねじ切れている。」「私の父がプレゼントしてくれて事故の後、父が自分のこと本当に責めて、「俺が買わなければ」」
 車は時速100キロ近いスピードで自転車に乗っていた真菜さんと莉子ちゃんに衝突。
 そのドライブレコーダーには、カメラをみる莉子ちゃんの姿が映っていたといいます。
 松永さん「高速で来た車をどんな思いで見つめていたんだろう、莉子は。」 「(ドライバーは)自分がもしかしたらまずいかもしれないと思ったらその天秤にかけて今運転してもいいのだろうかということを今一度考えてほしい。」

    ◎上記事は[BS テレ東]からの転載・引用です
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