警察庁長官銃撃事件 なぜ捜査は失敗したか

2010-03-30 | 死刑/重刑/生命犯

長官銃撃時効―なぜ捜査は失敗したか
朝日新聞 社説2010年3月30日(火)付
 15年前、治安への信頼を揺るがすことになった国松孝次警察庁長官銃撃事件が、きょう時効を迎えた。
 警視庁は、オウム真理教による組織的犯行との見方に立ってきた。だが、15年間の捜査は迷走を繰り返した。真相を闇の中へと押しやったのは、警察組織の病理が招いた失敗の連鎖だったといっていい。
 銃撃は、地下鉄サリン事件の10日後に起きた。発生時に警視総監だった井上幸彦氏は、反省点として、初動のまずさを挙げる。教団信者に似た男が現場から自転車で走り去ったという目撃証言に引きずられ、初めからオウムという枠にはめこむように、捜査は走り出してしまった。
 信者だった警視庁巡査長が「撃ったのは自分だ」と話したのは、事件翌年の5月。聴取は極秘で続けられ、裏付け捜査はなされず、警察庁にも報告は上げられなかった。5カ月後、匿名の投書を機に情報隠蔽(いんぺい)が明るみに出て、井上総監の辞任につながった。
 警視庁の捜査本部を主導したのは公安部だった。証拠の積み重ねよりも、見立てに基づいて「情報」から絞る捜査手法。かたくなな秘密主義。刑事部との連携のまずさ。公安警察のそうした体質が、すべて裏目に出た。
 警視庁は2004年、懲戒免職となっていた巡査長の「コートを貸した」という新供述を頼りに、今度は教団元幹部が実行犯で、この巡査長らが逃走を手助けしたという構図を描いた。
 強引に4人を逮捕したものの、元巡査長はまた供述を変えた。結局、実行犯を特定できぬまま、4人は不起訴処分に。揺れ動く供述に頼った捜査がいかにもろいかが、改めて露呈した。
 警視庁には、警察トップが襲われ、組織の威信が問われているという重圧もあっただろう。そのことが、捜査の柔軟性を奪ってはいなかったか。どこかの時点で、一から立て直せなかったのか。痛恨の思いが残る。
 事件が起きた95年は、サリン事件や長官銃撃に加え、市民を巻き込んだ銃犯罪の多発などもあり、安全だったはずの日本社会が大きく変質したと言われた。犯罪の発生件数はその後、急カーブを描いて伸びた。
 様々な対策の効果もあって、02年ごろをピークに減少に転じ、昨年は殺人事件が戦後最少を記録した。にもかかわらず、人々がいま「治安の回復」を実感しているとは言いがたい。かつて60%前後だった検挙率は3割台にとどまり、捜査ミスや冤罪は後を絶たない。社会の変化に警察が対応できていないことも、捜査力低下の背景にはあるのではないだろうか。
 前代未聞の捜査の失敗について、警察は綿密に検証し、教訓を生かさなければならない。それが治安組織としての信頼を取り戻す一歩になる。

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