麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚 執行Xデー

2018-01-12 | オウム真理教事件

期限が迫る「麻原彰晃」死刑執行Xデー 皇室慶事の前に?
2018年1月11日 5時58分 デイリー新潮
 法務省記者クラブの加盟各社が、“警戒態勢”を敷いている。それはオウム真理教(現・アレフ)の首魁、麻原彰晃(62)の死刑執行に備えているからだ。いつ執行されてもおかしくないXデーはいつなのか。
 法務省からクラブ所属の記者にメールが届くのは、午前9時半。そこに“午前11時から法務大臣の臨時記者会見が開催されます”の文言があると、彼らの緊張はピークに達するという。全国紙の司法担当記者がいうには、
「メールには具体的な会見内容は書かれていませんが、事実上、それは死刑執行の通達文書。2017年にも2回ありました。記者会見までの1時間半に誰が死刑になったのかを取材しますが、我々がもっとも警戒している“大物”が麻原彰晃こと松本智津夫なのです」
*Xデーはいつ?
 麻原の死刑判決が確定したのは06年9月。一連のオウム裁判自体、最後の被告である高橋克也と菊地直子に関する最高裁の審理も、開始からすでに1年以上が経過している。オウム真理教に精通する滝本太郎弁護士によれば、
「麻原の死刑執行は、高橋の最高裁判決が出た後だと思います。最高裁判決は、17年のうちに出ると考えていましたが……」
 法曹界では滝本弁護士の見方が主流だが、
「安倍政権下では、何があってもおかしくありません。17年7月に2人の死刑が執行されましたが、そのうち1人は再審請求中でした。再審請求中の死刑執行は17年半ぶり。また、12月にも再審請求中の死刑囚2人が執行されたが、そのうち1人は犯行当時19歳。犯行時に未成年だった死刑囚への執行は、永山則夫死刑囚以来、実に20年ぶりでした」(先の記者)
 実は17年末には永田町と霞が関のごく一部で“麻原の死刑執行決定”との情報が駆け巡り、一時騒然となったのである。
「Xデーは、それほど先の話ではないでしょう」
 こう語るのは、ある政治ジャーナリストだ。
「“いつまで麻原を生かしておくんだ”との世論の批判に対して、法務省の幹部は“自然死させるつもりはない”と語っています。この先10年、20年も麻原の死刑執行を先延ばしすることはありえません」
 また、法務省幹部は“平成で起きた事件は、平成のうちに終止符を打ちたい”とも考えているという。
「18年内に新元号が発表され、その年の11月には眞子内親王が結婚し、さらに、その翌年には天皇が譲位されて、“新しい時代”が始まる。そんなめでたい時に死刑を執行したくない安倍政権も、皇室の慶事が目白押しになる前に決着をつけたいと考えているはずです」(同)
 どう転んでも、17年末から18年夏までにXデーはやって来そうだという。
「週刊新潮」2018年1月4日・11日号 掲載 デイリー新潮 

 ◎上記事は[livedoor NEWS]からの転載・引用です
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〈来栖の独白 2018.1.12 Fri〉
 麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚の刑執行については、週刊誌で定期的に取りあげられる(と云ってもよいような)ネタであるようだ。が、上記事末尾に
>17年末から18年夏までに
 とあるようにこの種の予想は、外れが多いのではないか。
 少なくとも、高橋克也被告の確定判決をみるまでは、執行されない。
 それにしても、オウム真理教事件の死刑囚は13名。彼らを同一日時に同一場所で執行するのは、至難の業だ。かといって、行刑施設も執行日時も分散すれば、死刑囚の間に動揺が広がるだろう。死刑囚の精神の安寧を処遇のモットーとする施設当局にとって、オウム真理教事件の死刑囚の刑執行は、難題だ。
 因みに高橋被告は菊池直子被告(当時)より9ヵ月ほど後に上告。菊池被告は2017年12月25日の確定判決であった。

オウム元信者 高橋克也被告 無期懲役確定へ 最高裁2018/1/19 オウム裁判終結
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オウム菊地直子被告の無罪確定へ 都庁爆弾事件 上告棄却(池上政幸裁判長)2017/12/25付   
オウム菊地直子元信者の2審無罪判決(2015/11/27)を不服として、東京高検が上告 2015/12/9 
◇ 元オウム・高橋克也被告が上告 2016/9/16付け 
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「死刑執行、教祖から」と江川紹子氏は云うが・・・/【63年法務省矯正局長通達】に見る行刑の苦難
 (抜粋)
 〈来栖の独白 続き〉
 上掲タイトルのように、江川氏は、死刑執行「教祖から」と云われる。
 死刑執行の現場から考えてみたい。同一事件でも、死刑確定の時期によって刑執行の期日にズレはある。オウム真理教事件のように死刑囚が多勢になれば、全員同日執行は余程の困難が予想される。
 期日をずらせばずらしたことにより、拘置所の管理運営は困難を極める。(たとえば、外部交通を遮断したとしても)自分と同事件の死刑囚が執行されたことを耳に入れずに済ませることは、苦肉の策に違いない。耳に入れば、死刑囚は動揺する。心情の安静は保ちにくい。いずれしても、拘置所職員の労苦は、並大抵ではないだろう。 

【63年法務省矯正局長通達】
法務省矯正甲第96号
昭和38年3月15日
死刑確定者の接見及び信書の発受について
 接見及び信書に関する監獄法第9章の規定は、在監者一般につき接見及び信書の発受の許されることを認めているが、これは在監者の接見及び信書の発受を無制限に許すことを認めた趣旨ではなく、条理上各種の在監者につきそれぞれその拘禁の目的に応じてその制限の行われるべきことを基本的な趣旨としているものと解すべきである。
 ところで、死刑確定者には監獄法上被告人に関する特別の規定が存する場合、その準用があるものとされているものの接見又は信書の発受については、同法上被告人に関する特別の規定は存在せず、かつ、この点に関する限り、刑事訴訟法上、当事者たる地位を有する被告人とは全くその性格を異にするものというべきであるから、その制限は専らこれを監獄に拘置する目的に照らして行われるべきものと考えられる。
 いうまでもなく、死刑確定者は死刑判決の確定力の効果として、その執行を確保するために拘置され、一般社会とは厳に隔離されるべきものであり、拘置所等における身柄の確保及び社会不安の防止等の見地からする交通の制約は、その当然に受忍すべき義務であるとしなければならない。更に拘置中、死刑確定者が罪を自覚し、精神の安静裡に死刑の執行を受けることとなるよう配慮さるべきことは刑政上当然の要請であるから、その処遇に当たり、心情の安定を害するおそれのある交通も、また、制約されなければならないところである。
 よって、死刑確定者の接見及び信書の発受につきその許否を判断するに当たって、左記に該当する場合は、概ね許可を与えないことが相当と思料されるので、右趣旨に則り自今その取扱いに遺憾なきを期せられたい。
    記
一、本人の身柄の確保を阻害し又は社会一般に不安の念を抱かせるおそれのある場合
二、本人の心情の安定を害するおそれのある場合
三、その他施設の管理運営上支障を生ずる場合

〈来栖の独白 続き〉
 死刑囚の心情の安静に苦渋するのも刑務官なら、実際に手をかけねばならない(死刑執行する)のも、彼らである。職務とはいえ、人を、白昼、殺さねばならない。
 江川氏も含めて、数分でもよい。我々国民一人一人が、現場の人の心情を忖度してみてはどうだろう。
 そこのところを、下記論説は言っている。

[神的暴力とは何か] 死刑存置国で問うぎりぎり孤独な闘い 暴力抑止の原型 大澤真幸(中日新聞2008/2/28) 
 日本は、「先進国」の中で死刑制度を存置しているごく少数の国家の一つである。井上達夫は、「『死刑』を直視し、国民的欺瞞を克服せよ」(『論座』)で、鳩山邦夫法相の昨年の「ベルトコンベヤー」発言へのバッシングを取り上げ、そこで、死刑という過酷な暴力への責任は、執行命令に署名する大臣にではなく、この制度を選んだ立法府に、それゆえ最終的には主権者たる国民にこそある、という当然の事実が忘却されている、と批判する。井上は、国民に責任を再自覚させるために、「自ら手を汚す」機会を与える制度も、つまり国民の中からランダムに選ばれた者が執行命令に署名するという制度も構想可能と示唆する。この延長上には、くじ引きで選ばれた者が刑そのものを執行する、という制度すら構想可能だ。死刑に賛成であるとすれば、汚れ役を誰かに(法相や刑務官に)押し付けるのではなく、自らも引き受ける、このような制度を拒否してはなるまい。(大澤真幸 京都大学大学院教授)

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