死刑待てなかったのか 『飯塚事件』久間三千年元死刑囚(2008/10/28 刑執行) 死後再審願う妻

2009-06-15 | 死刑/重刑/生命犯

2009年6月14日 東京新聞朝刊
 飯塚事件で2人の女児が連れ去られたとされる道路=福岡県飯塚市で
 東の足利、西の飯塚-。一九九〇年代前半、初期のDNA型鑑定によって有罪認定された受刑者が、再審を求める二つの事件があった。「足利事件」の菅家利和さん(62)は十七年半ぶりに釈放されたが、二人の女児を殺害したとして死刑判決を受けた「飯塚事件」の久間(くま)三千年(みちとし)元死刑囚は昨年十月、七十歳で死刑を執行された。再審請求前だったが執行の時期に誤りはなかったのか。一方で事件の現場では「もう済んだ話だと思っていたが」との戸惑いが広がっている。 (荒井六貴、佐藤直子)
 「今、ここまで執行されているが、自分の番まではまだあるかな」。昨年九月、弁護団の徳田靖之弁護士が福岡拘置所で面会した際、久間元死刑囚は確定死刑囚のリストを示しながら語っていた。
 昨年十月中旬、足利事件の再審請求で、東京高裁が最新技術によるDNA型の再鑑定を実施する方針であることが報じられた。弁護団も希望を見いだした。しかし、久間元死刑囚は直後の同月二十八日に死刑が執行された。
 足利事件の再鑑定の動きを知りながら、法務省は精度の低い初期の鑑定を基に刑が確定した死刑囚の執行に踏み切った。確定から二年というスピード執行だった。
 「早く再審請求をしていれば」と弁護団は悔やむ。「足利の再鑑定が動きだす中での執行は、判断の誤りではないか」と指摘する。足利の弁護団と連携しながら、年内に死後再審の開始を請求するが、捜査に使われた試料は残っておらず、足利の再鑑定で、初期のDNA型鑑定の信ぴょう性が疑わしくなったことを突破口にしたい考えだ。
 「弁護士さんに(再審請求の)意思は伝えています」。久間元死刑囚の妻は九日、福岡県飯塚市の自宅前で心境を明かした。弁護団によると、妻は事件後も地元を離れず、働きながら一人息子を育てたという。
 「足利のことはよく分かりません。(無実だという)本人の言葉を取り上げてほしかった。(死刑を執行されたら)言いたいことを言えないままでしょ」と、記者に厳しい視線を向けた。
 飯塚市内の同じ小学校に通学する一年生の女児二人=当時(7つ)=が、登校途中に姿を消したのは一九九二年二月。現場は民家の壁に囲まれた三差路とみられ、現在も通学路になっている。
 近所の無職男性(80)は「もう済んだもんだと思っていたが、どう判断していいのか」と戸惑いを見せる。
 二人の女児の遺体は約二十キロ離れた薄暗い雑木林で見つかった。現場には三十センチほどの二体の地蔵が置かれていた。久間元死刑囚の再審請求の動きに、女児の母親は「もう結構です」とだけ答えた。
 <飯塚事件> 1992年2月、福岡県飯塚市の小学1年女児2人が行方不明になり、遺体が南東部にある甘木市(現・朝倉市)の山中で絞殺体で見つかった。目撃された車などから、久間三千年元死刑囚が浮上。女児の体内から検出された体液のDNA型が一致したことや、車のシートの繊維が女児のつめから見つかったなどの状況証拠から福岡県警が94年9月に逮捕。捜査段階から否認を続けたが、一審の福岡地裁は99年、「鑑定の証拠能力を肯定できる」と死刑を言い渡した。最高裁で2006年に確定し、昨年10月に死刑が執行された。
......................................
<飯塚事件>再審請求へ DNA鑑定の信用性争点に
 6月6日1時22分配信 毎日新聞
 92年に福岡県飯塚市で女児2人(共に当時7歳)が殺害された「飯塚事件」で殺人罪などに問われ、08年10月に死刑が執行された久間三千年(くま・みちとし)・元死刑囚(執行時70歳)について、弁護団は5日、今年秋以降に再審を請求する方針を明らかにした。公判では「足利事件」と同じ方法のDNA鑑定を巡って検察・弁護側が争っており、弁護団は改めて鑑定の信用性を問い直したい考え。
 弁護団によると、久間元死刑囚は再審準備中に死刑が執行された。再鑑定する試料は既に残されていないが、弁護団の岩田務弁護士は「当時の鑑定の不備を裏付けられるものであれば、再審開始に必要な新証拠となり得る」としている。【和田武士】
.......................................
動機や状況「真相」封印 久間死刑囚刑執行
 2008年10月29日 08:55 カテゴリー:社会 九州・山口 > 福岡
 これですべてが終わった。久間三千年死刑囚(70)の刑が執行された。最高裁が上告を棄却した2006年9月、私は「久間被告が口をつぐんだまま死刑となれば、明らかにされるべきいくつもの真相が、永遠に封印されてしまう」と書いた。その真相が、ついに封印されてしまった。
 この事件は犯行場所も殺害状況も動機も、正確には何も真相が分かっていない。久間死刑囚は逮捕された1994年9月から最後の日まで、一貫して無実を主張した。
 「冤罪(えんざい)」の訴えを無視するつもりはない。だが、司法が下した判断に従い久間死刑囚が真犯人という前提に立てば、死に際し、自らの胸に閉じ込めた真相とともにこの世を去る、その胸中はいかなるものだったのか。
 事件にかかわった複数の捜査関係者は「彼は家族を守るために否認を貫いた」と言う。犯行を認めれば自分の家族が崩壊する、冤罪のまま死ねば救われる‐と。
 もしそれが真実なら、久間死刑囚の心境をどう理解すればいいのか。久間死刑囚が奪った女児2人の命と家族の苦しみの重さと、必死で守り通した自らの家族への思いを。
 久間死刑囚には、語らなければならないことがたくさんあった。語らずに、この世を去った。もう少し時がたてば、あるいはその日が来たかもしれないという思いもぬぐえない。判決確定からわずか2年での執行には疑問が残る。
 発生から事件を追い続けた。いくつもの「なぜ」を残し、16年8カ月後の3人目の死をもって幕を閉じた。心は、晴れない。 (宮崎昌治)
=2008/10/29付 西日本新聞朝刊= 
―――――――――――――――――――――――――――
法務省、2人の死刑執行 久間三千年死刑囚と高塩正裕死刑囚 森英介法相 2008(平成20)/10/28   
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
死刑執行の飯塚事件〈久間三千年元死刑囚〉 2018/2/6に再審可否 福岡高裁
〈来栖の独白2018.2.5 Mon〉
 再審は、おそらくは叶わないだろう。「事実」がどうだったかという前に、司法(官僚)にとって再審を認めることのメリットが何一つ無いからだ。メリットどころか、先輩の下した判断にケチを付けるに等しく、それは、ひいては、自分の出世の大きな妨げになる。
 加えて、本件の場合、既に死刑執行されており、執行に至る手続きなど、法務大臣の死刑執行命令書サインに至るまでの法務当局の精査も、問われることになる。
 このような自分たちに何の得るところも無い再審開始決定など、裁判所は、しない。

* 名張毒ぶどう酒事件/「司法官僚」裁判官の内面までゆがめ、その存在理由をあやうくしているシステム
* 「広島女児殺害事件」司法官僚によって行使される人事権は全国の裁判官たちに絶大な影響力をもつ
...............................


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。