車谷長吉の人生相談『人生の救い』朝日文庫 2012年12月30日 第1刷発行

2015-05-22 | 本/演劇…など

車谷長吉の人生相談『人生の救い』朝日文庫 2012年12月30日 第1刷発行
p10~
■運、不運で人生が決まるの?
 相談者 大学4年生 22歳
p12~
回答;幸運の上にふんぞりかえるより
 私は遺伝性蓄膿症なので、物心ついた時から鼻で呼吸ができません。口で息をして生きてきました。苦しいことです。
 田舎の高校2年生の夏、60日余り、病院へ入院して2度、5時間余の大手術を受けました。けれども額の後ろの骨に溜まっている膿を取り除くには、3度目の手術が必要であり、その手術をするのには目の神経を切断する必要があると言われ、盲(めしい)になってもよい、という同意書に署名・捺印を求められました。私は署名・捺印をすることが出来なかった男です。
 私と同年配の女性で、署名・捺印をして手術を受け、遺伝性蓄膿症はからりと治ったものの、以後、盲人の按摩さんとして生きてきた人を知っています。鼻で呼吸が出来るのは、目が見えないよりは楽だと私に言うています。偉い人です。
p13~
 私はこの病があるゆえに、私の独り考えで作家になりました。親の財産はすべて放棄して、弟に譲りました。
 弟は百姓をしていますが、同じ遺伝性蓄膿症なので結婚はしていません。(略)
 世には運・不運があります。それは人間世界が始まった時からのことです。不運な人は、不運なりに生きていけばよいのです。私はそう覚悟して、不運を生きてきました。
p14~
 私も弟も、自分の不運を嘆いたことは一度もありません。嘆くというのは、虫のいい考えです。考えが甘いのです。覚悟がないのです。この世の苦しみを知ったところから真(まこと)の人生は始まるのです。
 真の人生を知らずに生を終えてしまう人は、醜い人です。己れの不運を知った人だけが、美しく生きています。
 私は己れの幸運の上にふんぞり返って生きている人を、たくさん知っています。そういう人を羨ましいと思ったことは一度もありません。己れの不運を知ることは、ありがたいことです。

p15~
■車谷先生でも夫婦仲がいいのに
 相談者 会社員男性 50代
p17~
回答;円満の秘訣などひとかけらもなし
 私は遺伝性の疾患があるので、青年時代から将来結婚はしないと決心していました。ところが48歳の秋、49歳の女と所帯を持ちました。女の係累にも結婚は不可能な子がいるので、結婚を決意した次第です。嫁はんは懇切丁寧な人なので、よかった、と感謝しております。子はありません。(略)
p18~
 そうすると、貧乏が好き、とばかりは言うていられなくなり、53歳の秋、強迫神経症に罹って、10年近く精神科病院に通うようになりました。
 去年、嫁はんの発案で四国お遍路に行ったのは、この病を癒したいのと、長い間、小説を書いてきて、作品のモデルにした人に謝罪したかったからです。2月15日から75日間、遍路道を歩いて、死後は地獄に落ちたほうがいい、という覚悟ができました。
 作家になって心に残ったのは、罪悪感だけです。(略)
 この世は苦の世界です。

p55~
■健康な人に嫉妬してしまいます
 相談者 女性 30代
p57~
回答;比較すれば必ず優劣がつきます
 私は田舎の高等学校を卒業する直前、一学年下の女の子数人に、人生で一番大切なものは何ですか、と尋ねられ、「健康だと思います」と答えたのを、つい、きのうのことのように覚えています。けれども、その人たちにとっては、健康はごく当たり前のことだったので、私の言うたことの意味は、よく分からなかったようです。(略)その夜、私は「孤独を強く決意」しました。私は鼻で呼吸することが出来ない人間として、この世に生まれて来ました。鼻で呼吸できる人には、この苦しみは分からないことです。これは、つらいことです。
 人の本質は孤独です。他人と自分を比較することには、価値はありません。あなたは虚弱体質で、物心ついたときから、かなり苦労なさってきたようです。(p58~)つまり他人と自分を比較することばかり、なさってきたようです。比較するがゆえに、苦痛を感じるのです。比較することは無価値なのですが、世の大部分の人は、比較しながら生きています。「愚か」です。明治以来、文部省がそういう教育をしてきたのです。
 不孝な人はしばしば、他人から思いやってもらうことを願いますが、その願いはほとんどの場合、かなえられません。ひとりぼっち(孤独)を決意する以外に、救いの道はありません。
 あなたの場合は、嫉妬心を抑えることが出来ない自分に、自己嫌悪を感じていらっしゃるようですが、それはつらいことです。そのつらさから逃れる道は、他人と自分を比較することを止める以外にありません。比較すれば必ず優劣がつきます。「劣でいいのだ」と決意できれば、そこから「精神の自由の道」が開けてきます。自己嫌悪は少なくなります。
 私は40歳ぐらいのときまで「優の人」とつきあってきましたが、それは無価値だと気づいたので、あとは孤独だけを信じて生きてきました。すると(p59~)楽になりました。優劣をつけることは、浅ましいこと、浅はかなことです。
 「妊娠・出産」への特別なお気持ちはよくわかりますが、うちの嫁はんは健康ではあるものの、「事情があって」結婚・妊娠・出産を断念したところから自分の人生を始めた人です。だから私と結婚したときは、すでに49歳でした。貧乏を気にしない、貧乏人でした。在宅で仕事をしていました。

p65~
■結婚に性交渉は必須ですか
 相談者 独身女性会社員 40代
p67~
回答;私は大事でないと思うております
 私は48歳の秋、49歳の女と結婚しました。女は「事情があって」子はいらない、と言うていました。だから、結婚しました。(略)
 あなたさまは「年老いても性行は大事」と思うておられるようですが、私は大事ではないと思うております。結婚生活においても、大事なのは健康です。私は今のところ、まずまず健康ですが、心の中では、一日も早く死にたいと願っています。(略)
p68~
 健康でない人間の苦痛は、基本的に、健康な人には理解されません。理解されたいと願っても、7割以上には不可能です。この「不可能」ということを、よく腹に据えることが大事です。さらに大事なのは、自分よりもっと困っている人を助けることです。自分に可能な限りで。(略)
p69~
 人間としてこの世に生まれてきたことには救いはない、と「徒然草」を書いた吉田兼好は考えていました。自殺はしませんでしたが。
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車谷長吉さん死去 味のある人生相談 生徒に恋←仕事も家庭も失えば  
 withnews 2015年05月18日
 直木賞作家の車谷長吉(くるまたに・ちょうきつ)さんが、亡くなりました。69歳でした。車谷さんは、朝日新聞で連載した「悩みのるつぼ」でのユニークな回答で、たびたび話題になりました。「教え子の女子に没入しています」との相談には「破綻して、職業も名誉も家庭も失ってみたら」と回答。単なる人生相談にとどまらない、人間の心の奥底をのぞかせる言葉を残しました。
■健康な人に嫉妬してしまいます
 「虚弱体質で、物心ついたころから大変苦労してきました」という女性の質問。健康な人に対して「嫉妬心を抑えることのできない自分が嫌でたまりません」と訴えました。
 それに対して車谷さんは「人の本質は孤独です。他人と自分を比較することには、価値はありません」と回答。「世の大部分の人は、比較しながら生きています。『愚か』です。明治以来、文部省がそういう教育をしてきたのです」と、他人と比較することが無意味であることを指摘しました。
 解決方法として提示したのは、孤独になることでした。「不幸な人はしばしば、他人から思いやってもらうことを願いますが、その願いはほとんどの場合、かなえられません。ひとりぼっち(孤独)を決意する以外に、救いの道はありません」=(悩みのるつぼ)意味のないことはやりたくない(2010年1月9日)から
■口汚い妻にうんざりです
 口論の絶えない妻との関係に悩む男性から「このような妻とはどのように婚姻を続けていけばいいのでしょうか」との切実な訴えが届きました。
 車谷さんは「人の持って生まれてきた性格は変えられません」としたうえで、「私は離婚なさっても、かまわないと思います」と回答。さらに、離婚を前提に「奈良盆地を歩かれるとよいと思います。法隆寺のようなお寺だけでなく、田んぼの畦(あぜ)道で休憩したり、おにぎりを食べたりなさると楽しいですよ」と、アドバイスしました。=(悩みのるつぼ)口汚い妻にうんざりです(2011年1月22日)から
■教え子の女生徒が恋しいんです
 「自分でもコントロールできなくなるほど没入してしまう女子生徒が出現する」という質問者。「教育者としてダメだと思いますが、情動を抑えられません」と訴えました。
 質問自体、論議を呼びそうな内容ですが、車谷さんの答えはさらに過激です。「あなたの場合、まだ人生が始まっていないのです」と、ばっさり。「破綻して、職業も名誉も家庭も失った時、はじめて人間とは何かということが見えるのです。あなたは高校の教師だそうですが、好きになった女生徒と出来てしまえば、それでよいのです」と、なんと教え子との関係を発展させることをすすめてしまいます。
 そして、こう結びました。「阿呆になることが一番よいのです。あなたは小利口な人です」=(悩みのるつぼ)教え子の女生徒が恋しいんです (2009年6月13日)から
 withnews編集部
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けったいな連れ合い 車谷長吉氏が死去 69歳 2015年5月17日 


『絶歌』元少年A著 2015年6月 初版発行 太田出版 (神戸連続児童殺傷事件 酒鬼薔薇聖斗) 
 〈来栖の独白 2015/06 〉
 先般(2015/5/17)亡くなった直木賞作家、車谷長吉氏は、『鹽壺の匙』の〈あとがき〉で、次のように云う。

 詩や小説を書くことは救済の装置であると同時に、一つの悪である。ことにも私(わたくし)小説を鬻(ひさ)ぐことは、いわば女が春を鬻ぐに似たことであって、私はこの二十年余の間、ここに録した文章を書きながら、心にあるむごさを感じつづけて来た。併しにも拘わらず書きつづけて来たのは、書くことが私にはただ一つの救いであったからである。凡て生前の遺稿として書いた。書くことはまた一つの狂気である。(略)
 私は文章を書くことによって、何人かの掛け替えのない知己を得た。それは天の恵みと言ってもいいような出来事だった。

 『絶歌』の著者、元少年Aは、〈被害者のご家族の皆様へ〉に次のように綴る。

 この十一年、沈黙が僕の言葉であり、虚像が僕の実体でした。僕はひたすら声を押しころし生きてきました。(略)でも僕は、とうとうそれに耐えられなくなってしまいました。自分の言葉で、自分の想いを語りたい。自分の生の軌跡を形にして遺したい。朝から晩まで、何をしている時でも、もうそれしか考えられなくなりました。そうしないことには、精神が崩壊しそうでした。自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした。僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした。

 私事だが、私も勝田清孝が手記を出版したことで、彼の心に触れる切っ掛けを得た。犯罪者ではあるが、彼の人間性に触れることができた。「死刑囚が手記出版など、けしからん」と世の非難が集中するが、勝田は自らを問い詰め「真人間」として生きるために、孤独に文字に向かい、書きつけた。そうしないでは、僅かの日々を生きられなかった。
 被害者遺族にとってみれば、「悪」であるのだろう。
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