飛行機雲(コントレール)・ I K さん ・ 清孝の母の声・・・〈来栖の独白 2017.1.6.Fri 〉

2017-01-06 | 日録

〈来栖の独白 2017.1.6.Fri 〉
 もう何年も、夕方は近くの公園を散歩するのが私の日課。公園で猫ちゃん〈三毛ちゃん・琵琶ちゃん〉に餌をあげる。日によって、〈しろちゃん・とらちゃん・牛柄ちゃん・ミックスちゃん〉にも。みんな賢くて、多勢の人のなか、私を見分けて駈けてくる。駐車場の傍のカフェにいる三毛ちゃんは、私の車を覚えていて、駐車場に入れると、嬉しそうに(♪?)走り寄ってくる。ちょっと危ない。
 そんな歳月が続いているが、昨年から、もう一つ、楽しみが増えた。公園を歩きながら飛行機が飛んでいるのを探し、見ることだ。コントレール(飛行機雲)も好きだが、飛行機の飛ぶのを見るのが、なぜか好きでたまらない。「無限」の空を飛ぶ姿、景色が、私にとって魅力なのかもしれない。

 ところで、公園の顔見知りであり、三毛ちゃん繋がりの I さん(高齢男性)が癌の手術をしたのが1年ほど前である。2016年1月21日だった。食道・胃・リンパ腺に癌ができており、10時間を要す手術と聞いていた。状態が落ち着かれたころを見計らって、私はお見舞いに行くつもりだった。が、病院へ電話したところ「個人情報保護のため、姓と電話番号しかご存じない方には(病室等)ご案内できません」とのことであった。
 様子を知ることができないまま、日が経った。時折、散歩で顔見知りになった数人と「I さん、どうなったかしらね」と互いに案じあっていたが、何か月も経過するうちに、「お姿を現さないところをみると・・・。10時間もかかるということだったし・・・」と悲観的な雰囲気となったいた。
 そんな12月20日、散歩で顔見知りの婦人が「あなた、I さんとお知り合いだったでしょ? 私、この前、つい2,3日前、I さんとファミリーマートで会いましたよ。とってもお元気そうでね。顔なんか、色艶好くて。リハビリにも、行ってるんですって。リハビリって、競馬のこと、よ」と。
 1年前までIさんは仲間とカフェに行き、そのまま競馬観戦に行くのが日課だった。「個人情報ということで、お見舞いも叶わなかったから、気になりながら・・・。教えてくださって、ありがとうございます」と婦人に、私。見舞いができなくても、ケータイの番号は互いに知っているのだから、電話すればよさそうなものの、一向に姿を現さない I さんに電話するのは、怖くてできない私だった。最悪の場合、ケータイも解約されているかもしれないと思えば、ダイヤルするのすら恐ろしかった。
 「I さん健在」を知り、早速電話。お元気そうな、1年前と変わらぬ声が返ってきた。予後と日々の過ごし方について、一方的!に喋り捲る。懐かしい。一通り、聞いた後で「ところで、I さん、私、お見舞いに行くつもりだったんです。でも、病院から『個人情報保護』ということで、病室も教えて貰えなかったのです」。I さんは、「ああ、そうかぁ、そうかぁ、そうだったんだね」と得心したようだった。見舞いにも来てくれず・・・との失望(?)が解消されたのかもしれない。そう感じさせる明るさ(口振り)だった。

 単純に「I さんの声が聴けた」ことに、私は「生きている」ということの確かな証、手応えを感じた。
 昔から私は、顔よりも声に、強いインパクトを感じてきた。「声」に感動する人間だった。例えば、弟・故勝田清孝の顔は私の裡で朧であるが、声は今も耳朶に響く。はっきりと覚えている。一度話しただけの彼の実母の声も、はっきり覚えている。拙著『勝田清孝の真実』の末尾に、そのことを書いた。清孝の死刑確定から幾らか経過した日の会話である。

p305~
「かつた、です。清孝が、すまないことで・・・。お父さんが、チャンとお礼も申し上げんと、(p306~)そっけないことで。けど、あの電話のあと、勿体ないことや、縁組までしてくれはって・・・誰にもでけへんことやで、言うて涙こぼしてました。ほんまに、勿体ない、なんとゆうていいのか、わかりません」
「お母さまですか。清孝さんと姉弟になりました。実のご両親であれば世間へのご遠慮で、とても清孝さんのお世話はしておあげになれないと思います。私どもは元々他人ですから、世間への遠慮も少なくてすみます。私は清孝さんに会えますから、傍らで見守ってゆきたいと思います。手紙も書けます。どうぞ、お気持ちを楽になさってください。ご心配なさいませんように。お二人だけのご家族ですから、どうか、仲良く、お体を大事になさって」
「あの子に会えますか。会えますか。・・・なんで、あんなことになったんや、判りません。嫁さん貰って、ああ、これで安心や、思ってた矢先やったんです。やさしい子で、川に溺れて死にかけはった人にもね、飛び込んで助けてあげたいうてね、お礼の手紙、戴いてますしね。高校生の時アルバイトに行った先からも、清孝ちゃん、又来年も来てなぁ、言うて貰うてますしね。そんな子が、なんであんなことになったんや、悔しくてね。いろいろ考えたり、思い出しもしてますんやけど・・・ほんまに判らしまへんのや・・・」
 泣きながら、かき口説くように、高い艶のある声で繰り返すのだった。長い電話だった。
 不意に私に、「野良仕事で日焼けしたお母ちゃんの顔を白くしてあげたい」と、幼い清孝少年が『母の日』のプレゼントに、粉おしろいのコンパクトを買ったエピソードが思い起こされた。(p307~)小さい体で、朝早くから晩暗くなるまで田畑に出て働き、子供を育てた人だった。おしゃれの一つもせずに過ごした生涯だったろう。
 その人が、電話の向こうで泣きながら訴えているのだった。一度も会ったことのない私に、やさしい子だったのにどうして、と問うているのだった。
 あの声は、今も私の耳朶に響いてやまない。
 私がこの世で聴いた、最も懐かしい調べだったような気がする。

 視覚に訴えてくる空と飛行機の話が、いつの間にやら、声の話に「飛んで」しまった。
 I さんは「今度、入院する時はゆうこさんに知らせるから」と言い、住所も下の名前(K)も教えてくれた。入院の時でなく、いつか会えると信じている。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。